神社学的☆命生み出す陽ざしと笑顔
神社に魅せられ、その信仰の源流に興味がわいて日本全国様々な祈りの地へのご挨拶を重ねてきた。知れば知るほど、近代に生まれた宗教としての神道から僕の興味は離れていき、暮らしの中に見出され、各地で大事にされてきた信仰への興味がいまなお増幅している。
大自然の中に抱かれるように佇む祈りの地は雨が降ればしっとり美しく、光射せばキラキラと輝きを見せてくれる。同時に厳しくもあり、時折、大きな気づきを僕にもたらせてくれもする。
この考え方はあくまで僕自身の体感してきたものであり、誰にとっても同じだとは思わない。感じ方も人それぞれで、一つの表現が万人に共通するとは思っていないが、日本の神様である大自然そのものは、今日も変わらずただそこに在る。
その大自然はこの星そのものであり、僕らはこの星そのものの姿に心奪われ祈りを捧げているわけで、自然崇拝は地球という星への信仰ではあるまいか。地球が地の球と表現されるのはこの星が丸いからだろうけど、日本語は字よりも音を重要視するのなら、地球は地の宮とも考えられるし、本来のこの星の姿を見たとき、僕らは言葉にならない感嘆の声をもらす。
光り輝く太陽の陽ざしをこの星が抱き寄せたとき、様々な命は生まれ育まれていく。この星の至る所で歓喜の声が上がり、喜びが増幅する。しとしとと降り続ける雨もまた、地中で寝ている命のもとに生命の道を指し示す。そんなことに思いが募ると、自然の摂理そのものを神と見立てる古代の先人たちの祈りを現代、受け取れるような気がしてならない。
命あるものすべてに神宿る日本の八百万の神々への信仰はこの大自然とともにあり、そこに生きる僕らも、存在している時点で神仕組みの主人公なんじゃないだろうか。命をもち、生かさされているということは、生ききることこそ神への奉仕であり、喜びに満ちた生き方こそこの星のご神事なのではないだろうか。
人の笑顔はまた人を幸せにする。僕らはただ笑って生きていけばいい。
笑顔はかならず他の笑顔を生み出す。まるで太陽の光が命を生み出すように。
その時の笑顔は光り輝く神仕組みに他ならないな~って、いつも思うこと。
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