玉藻稲荷神社
http://a11234842.travel-way.net/25422huukei020.html【玉藻稲荷神社】
■案内板・・・
●篠原玉藻稲荷神社
ここは、お稲荷さんと称える作神さまと玉藻の前(九尾の狐)の神霊を祭った由緒深い社である。宝前の社殿改記念碑と石の鳥居の柱にいわれなどが記してある。建久4年(1193)源頼朝が那須遊猟のときこの社に参詣したという伝えがある。また元禄2年4月12日(陽暦5月30日 1689)松尾芭蕉は、この篠原の地を訪れている。「おくのほそ道」に。「ひとひ郊外に逍遥して、犬追物の跡を一見し那須の篠原をわけて、玉藻の前の古墳をとふ。」とある。境内に芭蕉の句碑「秣(まぐさ)おふ・・・」と源実朝の歌碑「武士の矢並みつくろふ・・・」がある。また九尾の狐退治の伝承地としての「鏡が池」と「狐塚」の霊を移したという祠がある。なお「狐塚址」はここより北東の地の県道沿いにある。
芭蕉の里 黒羽
■とちぎふれあい自然歩道
句碑があるところ(※案内板に表示されている場所と、観光パンフレット記載してある場所を参考に作成してあります。)
①鶴鳴や其声に芭蕉やれぬべし(つるなくや そのこえにばしょう やれぬべし) 芭蕉 芭蕉の広場
②田や麦や中にも夏のほととぎす(たやむぎや なかにもなつの ほととぎす) 芭蕉 芭蕉の道(黒門跡)
③山も庭も動き入るるや夏座敷(やまもにわも うごきいるるや なつざしき) 芭蕉 浄法寺桃雪邸跡
④行春や鳥啼き魚の目は泪(ゆくはるや とりなきうおの めはなみだ) 芭蕉 芭蕉の道入口
⑤今日も又朝日を拝む石の上(きょうもまた あさひをおがむ いしのうえ) 芭蕉 明王寺
⑥秣負う人を枝折の夏野哉(まぐさおふ ひとをしおりの なつのかな) 芭蕉 玉藻稲荷神社
⑦かさねとは八重撫子の名成べし(かさねとは やえなでしこの ななるべし) 曽良 西教寺
⑧夏山に足駄を拝む首途哉(なつやまに あしだをおがむ かどでかな) 芭蕉 修験光明寺跡
⑨野を横に馬牽むけよほととぎす(のをよこに うまひきむけよ ほととぎす) 芭蕉 常念寺
http://a11234842.travel-way.net/25422huukei021.html 【玉藻稲荷神社】
■説明板・・・
鎌倉第三代の征夷大将軍、右大臣源実朝は承久元年正月(1219)拝賀の礼を鶴岡八幡宮に行い、帰途公暁(くぎょう)に殺され、28歳にして劇的な死を遂げる。後世の人々は将軍右大臣実朝としてよりも、悲劇の歌人実朝として不朽の名を称える。実朝は、14歳のときより歌を詠み、万葉集・古今集・新古今集を愛読した。特に万葉集は重宝として賞翫(※しょうがん:そのもののよさを楽しむこと。珍重すること。)また、中央歌壇の巨匠藤原定家に教えを受け、歌を愛する武士との結びつきも、不朽の業をなす基となった。実朝の歌は各種の歌集にのせてあるが、「金槐和歌集」は実朝の歌集として名がある。この歌集に「霰(あられ)」と題して、
もののふの矢並み(やなみ)つくろふ小手の上に 霰たばしる那須の篠原(しのはら)
が入集している。これは歌枕「那須の篠原」を詠んだ歌で、万葉調でしかも実朝の歌境がよく表現されている。賀茂真渕も「人麿のよめらん勢ひなり」と称えている。
芭蕉の里 黒羽
■説明板・・・
●八溝県立自然公園 鏡が池
三浦介義明が九尾の狐を追跡中、姿を見失ってしまったが、この池のほとりに立ってあたりを見まわしたところ、池の面近くに伸びた桜の木の枝に蝉の姿に化けている狐の正体が池にうつったので、三浦介は難なく九尾の狐を狩ったと伝えられ、これが鏡が池と呼ばれるようになったという。
https://zatoki.sakura.ne.jp/zatokiwa_2016/20160513 【篠原玉藻稲荷神社】 より
旧黒羽町の篠原、現大田原市蜂巣にある、玉藻前の神霊を祀った神社へ行きました。
篠原玉藻稲荷神社参道
鳥羽上皇の愛妾だったけど実は九尾の狐。陰陽師により正体が見破られ那須へ逃亡。那須野へ三浦氏、千葉氏、上総氏による狐討伐軍を派遣。初め優勢だった九尾の狐も劣勢に陥り逃避行。追跡され蝉に化けて過ぎ越しを待っていたところ、池の水面に映った姿がまんま九尾の狐で発見されてしまう。その後現殺生石にて矢で射貫かれ肉体滅び殺生石へ転ずる経緯の中の蝉化け発覚の地です。源頼朝、松尾芭蕉も立ち寄った由緒正しき神社でもあるそうです。
篠原玉藻稲荷神社鏡が池
境内にゆかりの池として「鏡が池」とし存在していました。栃木県八溝県立自然公園として指定されていた模様ですが現在は不明。
篠原玉藻稲荷神社本殿
屋根と狛狐には火炎宝珠の神紋が施されていました。
屋根の神紋
狛狐は左が知恵を現す巻物、右が稲荷神の霊徳の象徴を現す玉を咥えています。
玉藻稲荷神社の狛狐
本殿の裏手は小山になっています。アプローチは無しです。
裏山から本殿を望む
玉藻稲荷神社を後に奥の細道に記した「玉藻の前の古墳」と云われる狐塚に向かいます。
本殿から参道を望む
車で約1.1km。県道に戻り北上すると左角に小さな石の標柱がありました。狐塚之址と刻まれている通り遺址であり標柱以外それらしいものは何もありませんでした。
狐塚之址標柱
同様の今年 4月29日付記録 内の「殺生石関連地巡り」に関連する九尾の狐探索の一環を終え帰途に就きます。