第1章 その2:「私の人生、順風満帆」
3年間、編集社で修業を積んだあと、フリーランスのグラフィックデザイナーとして独立した私。デザインの仕事は大好きだったものの、編集社での連日の深夜残業は、続けていくには体力的にとても厳しいものがあった。また、大きなプロジェクトを任されたりしたときには、自分の限界点を大きく超えたプレッシャーに耐え切ることができず、逃げ出すことばかりを考えていた。
今だからこそ、会社が自分に期待をかけてくれたチャレンジの機会と捉えることもできるのだけれど、当時はまだ二十代。元来、末っ子で、甘やかされることに慣れていた私は、苦手なことを無理に頑張ることをやめて、得意な領域で生きていこうと決心した。
幸いにも尊敬する人と出会い、結婚することができたわけだし、語弊をおそれず言うと、自分で決めたサイズの枠のなかでは、順風満帆にやっているのではないかな、と思い込んでいた。
そんな私にも一度だけ人生の最悪な出来事があった。
約5ヶ月前の2015年1月に、子宮頸部高度異形性(CIN3)と診断され、手術を受けたのだ。放っておけば子宮頸がんになる病気だと言われたけれど、幸いにも発見が早く、この手術はさほど大きな問題にはならなかった。体力の回復も早く、仕事もセーブしながら続けることができた。
一番気になっていたのは、将来妊娠できるかということだったけれど、それも体力さえ回復すればもちろん可能とのこと。それが分かったときは正直、「良かった、私の人生、最悪なことは起こっても、人並み程度の葛藤でしかなかった。やっぱり、私にはそんなにつらいことは起こらないようになっているんだ。」なんて考えてしまっていた。
私には、「いわゆる平均点の人生」をよしとする傾向がある。しかも、せいぜい自分に見える視界領域において、「このぐらいが平均かな。」と地面に枠線を引き、そこで好きな人達だけに囲まれて、快適に過ごせることを求めていたのだと思う。
だからこそ私は、こうして自分のペースで仕事を続けられることを、とても大事にしていた。