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じゅんじゅんホームページ

おえかきとわたし。

2020.11.12 04:42

※画像は下記。

小さい頃から絵を描くのが好きだった。

うちはお金がなかったので、新聞に折り込まれたチラシの、裏に何も印刷のないものを見つけては絵を描いた。

幼稚園のスケッチブックには、なぜかセーラームーンと十字架のお墓の絵ばかり描いてあった。

先生に少し心配された。

死に対しての執着がすごい。

前世の影響なのかもしれない。

絵を描く仕事につきたいなと思ったので「じゅん、絵描きさんになる」と言っていた。

私の脳内ではバリバリ漫画やアニメのイラストが浮かんでいたのだが、漫画家などという言葉を知らなかった。

あとはちょっとお堅い感じの言い方の方が、大人から反感を買わないだろうと思っていた節もあった。

当時から小狡い脳をしている。


そんなわけで、小学校低学年から工作なんかもやるお絵描き教室に行っていた。

小学校卒業する頃、もっときちんと絵を描いてみたい、と、幼馴染の通うアトリエに移った。

そこで初めて油絵を描いた。

高校生になった頃、美大に行きたいと話す私に先生が、

「じゃあ美術予備校に通わなくっちゃね。」

と言った。

大学に受かるための絵は、美術予備校で訓練しなくちゃいけないと言っていた。

と同時に、日本の美大に行く必要もないのよ、とも言っていた。

「皆藝大を目指して浪人するけれど、浪人すればする程、受かる絵しか描けなくなっていくの。」

「大学に受かるための絵を必死で身体に叩き込んで、受かってからの大学在学中の4年間は、それを捨てるためのようなものよ。」

と言っていた。

「海外はそんなことないから、いっそ海外の美術大学に行くのもいいわよ」

とも。

「環境が変われば、評価だって変わるんだから。自分が評価されないなら、そこで努力するだけではなく、その場所から飛び出して、環境を変えてしまうという手もあるのよ。」

先生はおばあちゃんくらいの歳の女性で、直子先生という。

当時私は頷きながら、先生の言っている事がわかったような気持ちでいた。

でも全然、まったくわかっていなかった。

知ったかぶりであった。

内心では、

「ラーメンズ好きだから、同じ多摩美超行きたい。」

と、クソミーハーな気持ちを滾らせていた。

先生はあんなにも大きな話をしていたというのに。

私は多摩美ブランドもとい、ラーメンズと同じ多摩美という称号が欲しいために、海外ではなく、美大を目指し美術予備校に通うことにした。

その後、今もなお、その時の直子先生の言葉の重みをひしひしと感じ続けている。

美大を目指す人間は、美術予備校でアホみたいに絵を描く。

私はたしか高校2年の春季講習くらいからだった。

朝は9時から、夜は21時まで、ひたすらデッサンや油彩。

でも既に出遅れた感がすごかった。

周りが上手過ぎる。

焦る。

それもそのはず、浪人生も混じっているのだ。

浪人生のひとたちの無言の圧力がすごい。

胃がちぎれそうな沈黙の中、ひたすら絵を描く。

私の行っていた予備校は変わったところだった。

チェーンソーで檜の丸太を削って作品を作らされたり、富士山を制することが出来ない奴は受験も制せない、と、夜20時くらいから富士山を登らされたりした。

だから普通の美術予備校とは少し違うと思う。

私は現役で(残念ながら多摩美ではなく)東京造形大学に合格した。

それと同時くらいに、私の通っていた大手予備校から講師の先生方が独立して新しい美術予備校を作った。

予備校の卒業祝いで呑み過ぎて前歯を折って、翌朝目覚めたのがこの新しい美術予備校のアトリエだった。

前歯の神経剥き出しで悶絶する私に川合先生が、

「大山、これでうがいして消毒しとかな」

と、緑茶を差し出してきてまんまとうがいして発狂したりした。

先生は私を見てめちゃくちゃ笑っていた。

大山は自分が学生時代、車を押し倒したりしてた奴らによく似てると言われた。

平成生まれのにおいがしないとも言われた。

そんな思い出のある予備校だが、独立してからあまり顔を出していなかったし、大学でなにをしたらいいのか迷走し音楽をやり始めたりして、めっきり交流が途絶えてしまった。

ホームページを覗いたら、私の記事もなくなっていた。

世は、うつろいゆくのである。

[▲森村玲先生の木版画。すごくかっこいい。」

大学で凸版、いわゆる木版画の授業をとっていた時森村先生と出会った。

森村先生は細身で、いつもスタイリッシュな黒い服を着ていた。

絵画科の教授を良く思っておらず、授業中よく毒づいていた。

私がギターを背負ってアトリエに来ると、私も昔ベースを弾いていましたよと話しかけてくれた。

髪の毛が長いから乾かすの大変でしょう、私も昔長かったから大変だったけどマイクロファイバータオルはすぐ乾いてお勧めですよとも言ってくれた。

変わった先生だった。

私も人のこと言えないけれど。

そんな先生の立ち振る舞いがとても好きだったが、先生の作品はさらに素敵だった。

先生が下さった名刺を今でも大切に持っている。

なんだろう、線がもうすでにかっこいい。

ネコチャン。

とてもかわいい。

先生の版画には、必要な形や色しかないやと思った。

この名刺は、試し刷りやインクがずれてしまって使わない版画が使用されている。

裏側にはずっしりとインクがのっている。

紙もとても良い版画用の紙。


私は大学3年の時最大級に迷走しすぎて、留年している。

凸版の授業も、最後の課題を出せずに終えた。

あー、単位落としたなあと思って見てみたら、凸版の単位がきちんと付与されていた。

もりむらせんせぇええええ。

なんて聖人なのだ。

ありがとうございましたのご挨拶もせずに、かたじけない。

せっかく名刺が手元にあるので、年賀状でも出してみようかな。

届くかはわからないけれど。


そんな森村先生が、デッサン力は、見て描き写すことではないとよく言っていた。

誰が見てもそれだとわかるように描ける力が、デッサン力だと。

その訓練に、先生は、ひとつのお題から10種絵描くことをしていると言っていた。

花と決めたら花、人と決めたら人を10種類描く。

「ささっと一筆描きでいいんです。私はいつもやっていますよ。」

と言う先生を見て、ああ本当に絵を描くのが好きな方なのだなと思った。

私はそのとき、絵を描くのが苦しかったから、私もまたいつか、先生みたいに描ける日がきたらいいなと思った。

いくら苦しかったからとはいえ、何万とする油絵具や画材道具一式、コンテナにぶち捨ててしまうことはなかったじゃん、と、今となっては思う。

極端が過ぎる人間である。

おもったこととかやりたいこと、少しずつでも稚拙でも、やっていけたらいい。

【ダムダム団】

11月18日(水)四谷アウトブレイク 

おいおい教バンド/ハイファイコーヒーズ/じどうぽるの砲/ダムダム団

OPEN: 18:30 START: 19:00

前売2000円/当日2500円(共に1D別)


11月20日(金)高円寺無力無善寺

「ライブ ビール好きな女」

op/6:30st7:00 1ドリンク付1000円

4じゅんじゅん 6髙橋ライ蔵 1無善菩薩

 3蒼伎敬 5タダフジカ 2吉原悲劇