Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

30代になってからの特撮

ゴジラと戦後70年の意外な関係性

2015.08.08 23:00

今年日本は戦後70年を迎えます。夏は広島・長崎への原爆投下の日、終戦の日を迎えるので戦争について普段より戦争について考えるきっかけが多いと思います。実際に戦争を経験したことのない世代である我々が戦争をどう捉えるべきなのか。特撮映画を通して考えます。


今回取り上げる作品は2001年公開の映画「ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃」です。


<「ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃」予告編>

<ストーリー>

米国原潜の救助に向かった防衛軍の特殊潜水艇は、破壊された原潜近くを移動する巨大な背びれを確認し、ゴジラの再来を危惧する。一方日本各地で怪事件が発生。それら怪事件の現場は「護國聖獣傳記」なる書物に記載されている聖獣たちが眠る場所と一致していた。「護國聖獣傳記」の著者・伊佐山嘉利はゴジラについてある仮説を唱える。それはゴジラは太平洋戦争で死んでいった全ての人間の怨念の塊であるというもの。現代の日本人が戦争のことを忘れてしまったため、その怒りと無念を晴らすため日本を襲いかかろうとしており、ゴジラを倒せる護國聖獣をよみがえらせなければならないという。

そしてついにゴジラが焼津に上陸。東京を目指すゴジラと対峙するように護國聖獣の一体:バラゴンが復活し二対は大涌谷で対決する。 この後バラゴンを倒したゴジラは続いて復活したモスラ・キングギドラと横浜で対決することになる。


本作のゴジラは人間に対する怒りを明確に表現し、襲われ犠牲になる人々を描いている。ゴジラがかつて太平洋戦争で命を落とした人々の霊の集まりなら、なぜ現代の日本とそこに生きる人々を襲うのか。それは劇中で伊佐山が指摘しているように戦争に対する現代日本人の忘却があると推測します。それはなぜでしょうか。

戦後、日本はGHQにより大きく変貌しました。戦時中と比べて、憲法をはじめ思想から何もかもが、根こそぎ真逆に変わりました。そして、高度経済成長を通し日本が復興していく中で、戦争は過去の遺物となり、当時は確かに存在した、犠牲になった人々の思いや、無念を知る人、覚えている人は確実に少なくなっています。

この現状について戦争で犠牲になった者からすれば、理不尽に奪われた命を無意味にされるようなものです。現代の日本と日本人は、彼らにとってもはや守るべき場所ではない。自分達の犠牲にした戦争を行なった国への怒り。その犠牲を忘れた日本人への怒り。二度と帰ることのなかった故郷に帰りたいという願い。そしてその場所がもうないことの悲しみ。それらの想い全てを本作のゴジラが背負っているのではないかと考えました。

戦後70年。日本の安全や戦争に対する考え方が大きく変わろうとしています。憲法改正などのニュースを見るたび、白目をむき怒りとも悲しみとも聞こえる咆哮を発して、町を破壊するゴジラの姿が私の頭に浮かんできます。それは、こんな風になった日本を見て戦争で犠牲になった人々が、怒り悲しんでいる姿です。

私は戦争を何一つ知ずに育った世代です。ですが、戦争を経験してきたこの国の歴史や文化から学ぶことはできます。そしてそれは、映画からでも出来ると思ってます。まずは過去の歴史に敬意を払い、犠牲になった人々への哀悼の意を忘れないようにすることが、第一歩ではないでしょうか。これからの日本を背負い生きていく者として、今年の夏は例年以上に戦争について考える日々になりそうです。