ベースボールはどこから来たのかを根掘り葉掘り調べてみたら意外な歴史がわかった件
野球を見てきました。
阪神の応援に圧倒されました。
さて、というわけで本日の勉強犬のお散歩シリーズは、
野球場。つまりは、ベースボールの歴史を駆け抜けます。
ベースボールが日本に伝わったのは、明治のこと。
1871年(明治4年)に来日した米国人ホーレス・ウィルソンが当時の東京開成学校予科(その後旧制第一高等学校、現在の東京大学)で教え、その後「打球おにごっこ」という名で全国的に広まった。従って、日本国内の野球の創世記の歴史は、そのまま大学野球の創世記の歴史と重なっている。なお、ホーレス・ウィルソンは2003年(平成15年)、その功績から日本野球殿堂入り(新世紀表彰)している。
それを「野球」と訳したのは正岡子規という俗説がありますが、
これは間違いということ。
Wikipedia博士にはこう書かれています。
「ベースボール」を、初めて「野球」と日本語に訳したのは、第一高等中学校(1894年、第一高等学校に改称。第二次大戦後の学制改革の際に東京大学に併合され、新制東京大学教養学部になる)の野球部員であった中馬庚である。1894年(明治27年)、彼らが卒業するにあたって部史を刊行することになり、中馬の書いた文章中に「野球」が登場するのである。逸話として、同僚で名投手の青井鉞男が「千本素振り」をやっている所に中馬がベースボールの翻訳を「Ball in the field-野球」とすることを言いに来たと言われている。
しかし子規は野球用語を数多く翻訳しており、
2002年にはその功績によって日本野球殿堂入りを果たしたそうです。
さて、その後野球の人気は大きく広まり、
世間ではネガティブキャンペーンが行われるまでになったそう。
しかし、各新聞社などが擁護論を出し、ネガティブキャンペーンは沈静化。
遂に、「甲子園」が歴史にその名を現します。
大学野球の盛り上がりは高校(旧制中学)にも広がり、1915年8月に大阪の豊中球場で第1回全国中等学校優勝野球大会が開催され京都二中が優勝。第3回大会からは兵庫の鳴尾球場で開かれたが、観客増により手狭になったため1924年からは阪神電車甲子園大運動場で行われることになった。また夏の大会の盛況をうけ、同年春からは名古屋市の山本球場で全国選抜中等学校野球選手権大会が開催され、翌年からは甲子園球場で行われた。1927年には企業チームによる都市対抗野球大会が明治神宮野球場で開かれた。
さぁ、そしてプロ野球がスタートへ。
1920年、早稲田大学野球部OBらによって日本初のプロ野球チーム日本運動協会(芝浦協会)が、1921年には天勝野球団が創設されたが両球団とも後に解散。1934年、読売新聞社の正力松太郎によって大日本東京野球倶楽部が創設され、1936年には日本初のプロ野球リーグ日本職業野球連盟が設立された。
こうして今に続く、
「野球」の歴史は始まっていったのです。
沢村、王、長嶋、野茂、イチロー、大谷、清宮…
彼らに続く歴史の起源は、明治にあったのですね。
ん?
ちょっとマテオ(マテオは阪神の抑えピッチャー)。
今回の記事のタイトルは「ベースボールはどこから来たのか」。
野球の起源が明治でベースボールの伝導がスタートならば、
では、ベースボールの起源は??
折角です。どんどん遡ってみましょう。
最初のベースボールの試合は1846年に行われました。
1846年6月19日には、マンハッタンの対岸に位置するニュージャージー州ホーボーケンにおいて最初のベースボールの試合が開催されたが、発案者のカートライト率いるニッカーボッカーズはニューヨーク・ナイン相手に1-23で負けてしまった。この6月19日は、現在の野球の基本となるルールで初めて試合が行われた日であることから、ベースボール記念日、もしくはベースボールの日と呼ばれている。
それ以前にも「ベースボール」という言葉自体は、
頻繁に書物に登場するのだという。
アメリカ合衆国で、"Baseball"という言葉が記された現在判っている最も古い文書は、1791年にマサチューセッツ州ピッツフィールドで記された、町のグラウンドの利用に関する内規である。これは町の集会所の窓にボールが当たって壊れないよう、集会所の建物から80ヤード以上離れた場所でしか球技を行うことを認めないという内容で、様々な球技のうちの1つとして"Baseball"や"Batball"といった記述が登場する。
舞台はアメリカからイギリスへ。
18世紀に入ると、英語の"Baseball"という言葉が書物にあらわれ始めるようになるが、これは大半が前述のラウンダーズのようなゲームの一種である「ストールボール(英)」を言い表したものである。イギリスで1744年に刊行された『小さなかわいいポケットブック』には、ストールボールを描いた木版画に「ベース・ボール」と題された記述が見られる。
まだまだ遡りましょう。
イギリスでの進化の過程です。
なぜ野球では選手ではない監督までもがユニフォームを着ているのか、
の謎の答えにも出会えます。
大英帝国の発展とともに、兵士が戦争や植民地支配へ駆り出されるようになる。すると、石に草の茎や糸を巻き付けるだけで簡単にボールが作れるスポーツが流行るようになっていった。 町民が集会所に集まり町の行政について話し合う「タウン・ミーティング」が開かれたときによく行われたことから「タウン・ボール」と呼ばれた時期があった。この時期には既に、投手が打者にボールを投げ打者が打ち返す、フィールドに適当に散らばった野手がその打球をキャッチしそれを打者走者にぶつければ打者はアウトになる、4つの塁があり走者がこれを全て回ってホームに帰ってくれば得点が認められる、など現在の野球に似通った部分が多く認められる。18世紀になると選手の中からベテラン選手がチームをまとめる役どころになり、選手兼任で監督も行った。野球監督がユニフォームを着るのはその名残である。
「代打、俺」はよもやの原点だったのですね。
そして、舞台はフランスへ移ります。
12世紀頃のフランスで、「ラ・シュール」というスポーツが誕生した。2チームに分かれ、足や手、棒などを使い敵陣にある2本の杭の間にボールを通すゲームで、今日のあらゆる球技の原型とされるスポーツである。死傷者が出るほど危険であるにもかかわらず人気が非常に高かった。これがイギリスに渡り「ストリート・フットボール」となった。
ここがスポーツとしての、
ベースボールの起源かもしれません。
しかし、今回の記事のタイトルは「ベースボールはどこから来たのか」。
まだまだ遡りましょう。
舞台は古代エジプト。
古代エジプトやその他の地方では、王が球を棒で打ち、その飛び方で農作物の豊凶を占っていたことが判明している。
農作物ということは、農耕が始まっていますね。
最後にもうちょっとだけ、遡ってみましょう。
先行人類の時代にはすでに、野球のボールと同じくらいの大きさの石が使用されていたことが確認されている。アフリカの地中海沿岸地域から、その石が多数出土した。これは、何らかの武器であったと考えられている。足の速い動物を仕留めるために、命中率と威力を兼ね備えた武器を求めた結果、「野球ボールと同じくらいの大きさの」石が最も適した武器であるという結論を得たと思われる。
どうやらここが野球、ベースボールのスタートのようですね。
ベースボールは、古代から来た。
そしてそれは生きるための道具であった。
もしかしたら、野球というスポーツが愛されるのは、
「生きるため」というそのルーツのせいなのかもしれません。
本日もHOMEにお越し頂き誠にありがとうございます。
だいぶ延長してしまいました。ちなみにプロ野球の延長戦の記録は28イニング。
(1942年5月24日、大洋軍対名古屋軍戦で記録)