数千時間の習い事
それはスポーツなのか?
それとも芸術なのか?
はたまた見る側にとってのエンターテインメントなのか?
もし、どこにも属していないと言い張るのであれば、それは世の中から「浮いている」としか言いようがない。
ただただ、それを唯一無二の存在と認定したくて、世に認めさせたくて、頑なにどこかのジャンルに該当しないようにしているとすれば、それはそれは、相当な努力とエネルギーによって、新たなマーケットを切り開き、世の中にソレの価値と凄みを知らしめる覚悟が必要となる。
この業界に、その覚悟はあるだろうか。
経済活動に結びつく確率が極めて低いソレを、人々の格式高い活動として魅させておきながら、周りの大人が実は市場を作り出せないよう歯止めをかけているとしたら、先人になれなかった平成と令和の子供たちは悔むしか道がない。
そしてそれを理解していない親御さんも情報弱者と言われても仕方がない。
どれだけ頑張っても、その先に美味しいポストは無いのかもしれない。
批判的な書き物になってしまい恐縮だが、子供たちの数千時間という貴重な時間の先に、もう少し経済活動に結びつくキャリア教育とフォローアップが整っていることを切に願う。
それは、大金を稼ぎだす必要性を述べているわけではなく、子供たちが数千時間をかけて学んだ活動を継続しようとも、それが仕事として成り立たなければ、彼ら彼女らはイスに腰掛け、学んだことと違う職務に就き、数千時間の思い出を否定しかねないからだ。
私たち大人の役割は、子供がやりたいことで経済活動に結びつける「知恵と作戦」を必死になって考えることだと私は思っている。
「それで飯が食えるか」という言葉は自分にビジネススキルがゼロだということを発する恥ずかしい発言だということを弁えたい。
子供たちが ネテモサメテモ 考えている対象物に対し、もっと大人は真剣に知恵を絞って欲しい。
そして決して恥ずかしい一言を言うものではない。
もし、あなたのお子さんが芸術なのか、スポーツなのか、見る人にとってエンターテインメントとなるものなのかが はっきりとしていない習い事に数千時間もの月日を費やそうとしているのであれば、自己満足で終わらないサポートをしてあげて欲しい。
自己満足も大切だが、それならば数千時間は要らないだろう。
ジャンルがないことは価値ではなく、マーケットが存在しないため、そこに世の中が価値を見出せず、お金が落ちる仕組みが ソモソモ ないため、それでは生計が立てられない。
子供が物事に没頭する姿は素晴らしい。
素晴らしいだけに、その時間を通して人間形成だけでは終わらせない 手土産 を必ず付けてあげて欲しい。
仕事になることを子供に習わせる親は打算的な凡人。
子供の好きなことを仕事に結びつけてあげられる親はアーティスト。
アーティストのアーティスティックなセンスがまた、子供に経済活動のノウハウを伝達ヒントとなる。
この時期には発育曲線的に考えて、誰がどうやって携わろうが子供たちは伸びていく。
それが素晴らしい伸びか否かを判断する実証実験は存在しない。
そのテコ入れの良し悪しが他者の指導と比較できない中で、自分が携わることの責任感を胸に、指導者は指導者としての責務を全うしたい。
数千時間をかけた学びは誰かを幸せにする芸であって欲しい。