小学時代の中二病、全能感はいつからなかったか、損なわれたという感情
2019/10/21 13:05
中二病という言葉があるが、いわゆる厭世的な、"ファッション悲観"的に世界を見るという傾向のことを言うなら、わたしは小学校高学年のころ、中二病だった。
だった、と思ったのは中学生のときで、仲良しの友達が中二で中二病っぽくなっていたころ、琴音はこういう風に思わないの、と聞かれて、「わたしはもうそういうの卒業したの」という言葉が口をついて出て、ああ、わたしの中二病的時期は少し早めに終わったんだなと感じた記憶がある。
先日、芝居の稽古場で、14〜15歳の頃の記憶について話していて聞かれた。
「その頃『全能感』ってあった?」
「わたしは、中学生の頃はもうとっくに全能感なんてなかったなあ」
「いつからなかった?」
いつからと聞かれると、小学3年生からだと思う。
小学校のクラス替えで仲の良かった子と離れて、孤独というものについて考えるようになった。むしろ、今と地続きの人生ってそこから始まったような感覚がある。
「損なわれた」とでもいうような感覚が、その時からずっとわたしの中にある。ほんとうの朗らかさというものは、その時に手放した気がする。
そうしてわたしの根暗人生が始まったわけだが、別にそれが悪かったとは思っていない。むしろ、「損なわれた」という感覚こそが表現のみなもとであるような気がしている。
満ち足りていたら渇望しないから、ということだろう。
むしろこちら側を人生ルーレットで選べたことを、日々誇りに思っている。
小学校のクラス替えで親友と離れ離れになったから、遊ぶ相手がいなくて一人遊びの孤独を覚え、読書に没頭するようになり、想像力の世界で遊ぶことを覚えた。(本の虫になった結果、大して勉強しないで大学に推薦で入れたとも思っている。)
あのクラス替えがなかったら、今役者をしていないだろう。人生の因果関係というのは面白い。
ほかにも因果関係を語りたいことがたくさんあるような気がするのだけど、時間がないので今日はここまで。
よかったらみんなの全能感はいつまであったか、聞きたいです。コメントやTwitterリプライなどでおしえてください。