子どもの問題行動は助けてというサイン
今日は、「児童虐待」について学ぶ機会を頂きました。何となく知っているようで分かっていない児童虐待について分かりやすく、且つ具体的にに教えて頂きました。
児童虐待が子どもに及ぼす影響
児童虐待と聞いて「うちには関係ない」「特別な家庭で起こるもの」と思ってはいないけれど、どことなく違う世界の話だと思っていませんか?
逆に自分自身が子どもを育てる中で「私のこの行為は児童虐待なのではないだろうか…」と自責の念に苛まれている方も少なくないのではないかと推察します。何が虐待で何故虐待が起こるのでしょうか・・・。そして虐待を受けると子どもにどんな影響があるのでしょうか。
虐待とは
虐待…言葉だけでも恐ろしく感じますが、現在はマルトリートメント(不適切な関わり)と言われることが多いそうです。
虐待はしていないけれど、子どもにとって適切ではない関わりをしているかもしれない…そう思うことってありませんか?
今日のお話の中で虐待の例として次の4つの項目について説明がありました。
・身体的虐待(身体を傷つける暴力行為、身体への影響が強い行為…例えば溺れさせる、異物を食べさせる、外へ締め出す)
・性的虐待(性行為を見せる、強要する、性器を触ったり、子どもの裸の写真を撮る等)
・ネグレクト(飲食物を与えない、ひどく不潔なままにする、病気を放置する、家や車などに放置する等)
・心理的虐待(言葉で脅す、脅迫する、無視や拒否的態度をとる、著しく兄弟間で差別をする、自尊心を傷つける言葉を言う、子どもの前で暴力的行為を行う)→子どもの存在を否定し、差別を子どもに感じさせる言葉の暴力
いかがでしょうか。前3つはテレビ等で報道される一部の虐待事例でご存知の方も多いかと思います。
では、4つ目の心理的虐待はいかがでしょうか。
「もう、そげん(そんなに)言うこと聞かないならお菓子買ってあげないよっ!」
言ったことないですか?私は講師が自らの経験をもとにそう仰った時、正直ドキぃぃィィィっとしました。普段何気なく言ってしまっているからです。
また、自分の機嫌が悪い時にしつこく子どもに声をかけられてつい返事をしなかったり(自分はあれだけ「返事くらいしなさいっ!)と言っているにも関わらず…苦笑)していることに気づきました。
それ・・・不適切な関わりです(ガーン)
虐待による影響
それこそ何だかただごとじゃなくなってきて、まさか自分も当事者?!と落ち着かない中講話を聞いていました。本当に特別な家庭で怒る問題ではないのです。子どもはどうしても大人より立場が弱く、被害者になりやすいそうです。
そして、その不適切な関わりの影響で子どもの脳に様々な影響(反応性愛着障害、解離性障害、PTSD、反応性挑発行為障害)が起こるそうです。
愛着、いわゆるアタッチメントに関してはご存知の方も多いと思いますが、このアタッチメントは安全基地の形成から始まり、安心基地、そして探索基地となるとのこと。つまり、快不快を泣いて伝えてその欲求が満たされたら、ハイハイ等で少しお母さんから離れてみるけど、ちょっと心配になって振り返るとニコッと笑ったお母さんがこちらを見ていてくれて安心してまた冒険に出る。そして幼稚園に入る頃になるとお母さんがそこにいなくても(もちろんお父さんも)心の中にお母さんがいて安心して活動できるようになり、その次はお母さんがいないところでの出来事をお母さんお父さんに共感してもらうことで自分の感情を増強したり軽減することができるようになる過程だそうです。
この愛着形成が上手くいかないと、子どものその後に感情面や行動面、そして思考面や人間関係、身体面や道徳感・倫理観など様々な面でで影響が出るとのことでした。具体的には突然キレたり強い孤独感や疎外感を抱いている、自分を宥めることが出来ずになかなか泣き止むことができなかったり癇癪を起こしやすい。過度の刺激を求めたり多動などの症状が見られるそうです。
えっ?!多動は発達障害じゃないの?
そうなんです。愛着障害による発達障害もどきと言われるのがこれだそうです。この愛着障害による多動と発達障害による多動は似て非なるものだそうです。
発達障害の場合は、TPOに関わらず多動性があるものの、愛着障害に起因している場合は不適切な関わりが原因であるためにその症状の現れ方にムラがあり、いつでもその多動性が見られるわけではないとのことでした。何故この発達障害もどきが見逃されやすいかというと、発達障害なのかこの愛着障害によるものなのか区別をつけられる専門家がまだ少ないことが原因の一つだそうです。
何だかだんだん子育てに自信がなくなってきt…(言えない)
なんかこんなに不適切な関わりや、その影響について聞いてしまったら段々その責任感に押しつぶされそうになってきて「やだ私、そんな…子どもを育てられる自信ないわ…(涙)」と正直思いました。
そんな私(あ、権藤が書いています)…人様に自慢できる子育てなんて程遠いですし・・・・・・と一人でウジウジしかけた所で先生が「私も今こうして講話のためにスライドを作りながら、自分も不適切な関わり(「それは○○が悪かったっちゃないとー?」「そんなに勉強しないなら進学しなくていい!」等)をしてきたなぁと反省しました」言われ、勝手にホッとしました。
そうなんです。(急に元気になったわけじゃないですよ。)
誰にでも起こりうるし、それを責めることで虐待は防げないのです。発達性のトラウマ障害というのがあって、
幼児期 愛着障害
⇩
学童期 ADHD
⇩
思春期 解離(多重人格) PTSD 非行
⇩
成人期 複雑性PTSD 解離 抑うつ 気分障害 自傷行為 依存(薬物、アルコール含む) 衝動的行為
という過程を辿るそうです。子どもの虐待ばかりが取り沙汰されますが、同時にその親も何かしらの「満たされない心」の影響があるように思います。今子育てをしているお父さんお母さん世代が育ってきた時代は、今でいう不適切な関わりがそこかしこにあったように思います。
気がつかれなかっただけで、自分自身がそういう境遇の中で育った方もいらっしゃると思います。そして自分が親になった時、物凄く孤独を感じたり夫や誰かに依存的になったり、でも誰にも頼ることができなかったりと自分でも気づかないうちに子育てしづらさを感じることもあるかもしれません。
虐待はなぜ起こるか。どうすれば防ぐことができるのか。
虐待は誰にでも起こりうることで、特別な家庭・環境で起こるものではないことをお話ししてきました。そしてその原因は
1、親自身が子ども時代に大人からの愛情を受け取れていない
2、生活のストレス(経済不安、夫婦不和、育児負担の積み重ね)
3、親子ともに、もしくはどちらかに発達障害や知的障害がある
4、社会的に孤立化し支援が求められない
の4つが挙げられていました。私はここに親や子のメンタル上の問題も付け加えたいと思います。その原因は1であったり2であったりはたまた別のところであったりするかも知れません。ですが、それ以外にもメンタル的に余裕のないお父さんお母さんも少なくないと思います。
どんな環境であっても、どんな気持ちがあっても区別なくまずはその人に対して適した支援が必要であることに変わりはないと私は考えています。
そして、虐待を防ぐには
1、体罰は暴力であるという認識を持つ
2、被虐待児のケア
3、子育て中の親を「褒めて」「認めて」「共感する」
何よりも
4、親も子も地域みんなで育てていく
ことが大事と話されていました。
最後に次の言葉のご紹介がありました。
虐待を受けている子どもだけを救う社会ではなく、どうか、虐待を生き抜いてきた大人たちにも、理解と優しさを向ける社会であってほしいと願います。(『わたし、虐待サバイバー』羽馬千恵著 より引用)
長くなりましたが、私自身子育てをしていて子どもに対して「もっとこうした方が子どもの環境や育ちには良い」と思ってはいても、そうできない自分に歯痒さや自責の念を持つことが沢山ありました。その度に「完璧な親はいない」とか「仕方ないよー」というアドバイスで何となく宥めて貰ってきたように思います。
虐待をしている人、してしまっている人を責めるだけでは何も解決できません。まずは地域全体で、「虐待とは何なのか」を正しく理解し、親自身が「もしかして…私虐待している・・・?」と思ったり、「もしかしたら虐待?」と思ったらすぐに誰かに相談できる仕組みが必要ではないかと思います。189☎️のハードルは若干高いように感じるのでもう少し身近な相談相手とか。それだけでなく、虐待が起きる背景にも関与して予防していく必要性を強く感じます。
親自身が安心して誰にも批判されたりジャッジされずに話したり過ごせる居場所を作っていきたいなと改めて思いました。