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大阪大学男子ラクロス部

4回生G 藤井啓太

2020.11.17 03:00

どうも藤井です。東から流れてきました、まあ仲良しなので順当ですね。ちなみに僕はがっぴーと1度も呼んだことがありません、死んでも東と呼びます、ゆうかとも呼びません。最近は東を軸にいろんな部員を開拓していくのが1つの楽しみになっています。


さて、せっかくの機会なのでらしくないかもしれませんが、真面目に思いを綴って行こうと思います。テンションを低くして読んで下さい。


では。






"一勝も出来なかった世代"


日々脳裏でこの言葉が反芻されている。



大教戦、紛れもなく自分のせいで負けた。

全ての考えが裏目に出た。相手OFがゴールに向かってくるだけで怖かった、ショットの度に体が硬直した、どうやったら止めれるかも全く分からなかった。こんなに恐怖を感じた試合は初めてだった。完敗した。自分のせいで。 


ただの慢心、といえばそれまでだが、自分がラクロスに対して抱いていた甘い考えが露呈した試合、現実を見せつけられた。

自分は2年3年でA.Bリーグに通じて計8Q出たかどうか、ここまで耐えたなら報われると勝手に信じていた。みんなほどラクロスに献身してないくせに。考えが浅はかすぎる。

思えば自分は常に浅い思考で周りに迷惑をかけている。



1年、ウィンター立命戦。

調子が悪いにも関わらず、自分がスタートで出た。案の定止めれなかった。素直に入船に託すべきだった。自分の傲慢さが敗北を生んだ。


2年、A練。

自分の実力不足に絶望し続け、不貞腐れていた。ショットを撃たれる度に萎えた、どう考えてもチームの士気を下げていた。4年になって思うが、今自分のようなゴーリーが居たら即Bに落としてる。存在が邪魔。あそこで歯を食いしばって成長すれば、何か変わっていたかもしれない。Aで居させてくれた上回生には感謝と申し訳なさしかない。


3年、リーグ戦

迫さんに甘えた。もっと強い2枚目にならないとダメだった、大した貢献もできなかった。立命と京大、途中で出してもらったが、試合の流れを変えれず負けた。周囲にはプレーを褒められた。だがスポーツは結果が全て、特にゴーリーは結果を出さないとゴール前に存在している価値がない。チームを負けに導いた。


4年、特別大会。立命と大教、白星を付けれなかったのは自分の責任。決められた6点、止めれば勝てた、それだけ。



サマーも無い、最後のリーグ戦も無い、そんな不遇な代を不甲斐ない自分のせいで"一勝も出来なかった世代"と言わせるわけには行かない。


27期、最高の同期に恵まれた。誇りに思いたい。でも幹部としても、ゴーリーとしても何も出来ていない。このままだとこの4年間は後ろめたい記憶になってしまう。

だからもう勝利しか許されないし、最後くらい頼りになるゴーリーにならないといけない。


12月5日の最終戦、股が裂けてもいいし、指が折れてもいい、急所を失ってもいい。死ぬ気で止める。

そしてずっと一緒に頑張ってきた入船に、コイツが1枚目なら仕方ねぇ、と思わせる。納得させる。 


4年間の集大成。最高のパフォーマンスで、勝って、華々しく引退する。





次は最近何かのネジが飛んでしまった齊藤君です。