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"自分”は2人で「自分」と言うのかもしれない

2020.11.17 09:01



この度もまた、

#私の気づきシリーズが始まりました。笑




今回のテーマは

「自分」についてですが、

なにやらグルグルと、

思考を巡らせる内容になりそうです。


ご覧くださる方、

何卒ご容赦くださいませ。


 (文体が変わります)









‪✂︎‬ーーーーーーーーーーーーーーーーー


「自分」って
"自らを分ける"で「自分」。


そう思ってから私は

自分の意味をそのように

解釈するようになった。



でも、

「"自らを分ける"ってどういうことだろう?」

「どこと分けるのだろう?」と思っていた。



自分と他人のあいだ?

自分と世界のあいだ?










◼︎自分の中の2人で「自分」


私は日常生活の中で、

自分の中に「2人の自分がいる」と

思うことがよくある。




1人目は
本能的で感覚的な自分。


あれしたい、これしたい。

これはヤダ、あれはいい。

と、とてもワガママ。


精神年齢は

7歳くらいだろう(多分)




2人目は

本能や感情に動かされない理性的な自分。


社会のルールや秩序を

踏まえた上で熟考し、

道徳的かつ

倫理的な行動をとる。


精神年齢は

18歳くらいだろう(多分)







私はこの2人の存在を

日常生活の中で感じる。


感じるのは頭の中、

もしくは心と言われるところだ。



1人目が

ワガママや感情的な行動を

とろうとすると、

2人目が「ダメだ、ちゃんとしろ」と

制御をかける。


また

2人目が「ちゃんとしよう」とすると

1人目が「もっとラクにしたい!」と

揺さぶりをかける。


私はこの2人の存在のことを

「自分」と言うのではないか?

と思った。





「ワガママな1人と理性的な1人を
自らの中で分けていること」





でも、

ワガママな1人と

理性的な1人で分けてしまうと

「自」と「分」になってしまう。


そのため、

その2人を合わせて

「自分(ジブン)」とする。


"自分の中の
ワガママな1人と
理性的な1人が統合したカタチ(姿)を
「自分」という。"


私はそのように考えた。








■まとめ

私はまたひとつ、

「自分」に関する気づきを得て

嬉しく思っている。


冷静に文章に表しながらも、

心の中では嬉しさのあまり


「Yahoo!!(ヤッフー!!)」

「Mamma mia!!(マンマミーア!!)」


と某有名兄弟の

赤い帽子のM氏なみに

甲高い声をあげている。






私は今回、自分は


"自分の中の
ワガママな1人と理性的な1人が

統合したカタチ(姿)のこと。"

と考えたが


"「自分」は自ら分かる(気づく)"

とも言えると思っている。


"自分の存在を

自ら認識することで分かる、理解する"

ということ。


哲学的な発想だが、

たしかに分からなくもないな、と思った。


自分のことを認識することで

自分は存在する。




"我思う、ゆえに我あり"

(デカルト)









あなたは自分のことを

どのように捉えているだろうか?


私がお伝えしたかったのは

1人で成り立っていると思っていた

「自分」も実は2人から

成り立っているかもしれない。

ということである。


そう思ったら私という「人」も、

"自分の中の2人が支え合って「人」"

と考えることができると思う。




自分は1人ではない。


寂しくなったら

辛くなったら

苦しくなったら


自分の心に

声をかけてみてはいかがだろうか?




そこには

「大丈夫、大丈夫」と

自分をなだめてくれる、


1番身近な"自分"という

理解者がいるはずだ。