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史上最悪のインフルエンザ - 忘れられたパンデミック

2020.11.17 10:49

  2020年もそろそろ年末に近づいてきましたが、現在、世界的な新型コロナ(Covid -19)の流行で、人間社会の生活基盤の脆さ、危うさが浮き彫りになっています。目にも見えない小さなウイルスによって、我々人類の生活が掻き乱される。やはり人間は、自然の前に常に謙虚にならなければいけない、と痛感させられます。

 そんな思いもあり、また、過去に実際にあったパンデミックというものを知りたい思いもあり、この「史上最悪のインフルエンザ ‐ 忘れられたパンデミック」を読みました。(著者は歴史学専門のアルフレッド・W・クロスビー氏。)本書が取り上げている  インフルエンザとは、これまで人類が体験した中で最悪だったと言われている「スペインかぜ」(スパニッシュ・インフルエンザ)です。この感染症は、1918-19年にかけ世界的に流行し、全世界で2500万人もの犠牲者を出したと言われています。ちなみにアメリカでは50-60万人以上、日本でも25万人以上もの人が亡くなっています。

 アメリカでは、このインフルエンザは18年の春ごろからはやりだしますが、政治家や市民は当初この新型インフルエンザの流行にあまり関心を持ちませんでした。当時、ヨーロッパでは史上初の世界的規模の大戦(第一次世界大戦)が起こっていて、ウィルソン大統領もこの大戦の平和的な解決を目指し、国際連盟の設立などを盛り込んだ内容の14か条の演説などの準備で慌ただしく、社会全体的にこの新型インフルエンザに対処する余裕も関心もなかったのです。人はそのインフルエンザをいつしかスパニッシュ・インフルエンザと呼びます。(この感染症が、スペインからやってきたというのではなく、当時、スペインがこの感染症に対する情報公開をしていなかったので、いつしか、このインフルエンザにスペインいう国名をつけたようです。)

   18年8月、このインフルエンザは突如変異を起こし、ヒトの肺に強いダメージを与えるウイルスに変化します。しかも、このウイルスの特徴は高齢者よりも、若者の肺により強い被害を及ぼすものでした。スパニッシュ・インフルエンザは、ボストン、フィラデルフィア、サンフランシスコなどアメリカ国内の大都市でパンデミックを引き起こしていきますが、これとは別の経路でヨーロッパへも渡って感染を広げて行きます。アメリカは当時、ヨーロッパにおける戦況からフランス、イギリスに援軍を派遣する計画を進めていました。このインフルエンザは、ヨーロッパ遠征準備を進める若いアメリカ兵を通して、アメリカ軍基地、遠征軍を乗せる港、彼らが乗船する船舶、そして到着地のヨーロッパの軍港、そして戦場という移動ルートに沿って徐々にヨーロッパの都市や戦場に感染拡大を起こしていくのです。(当然のことながら、戦場において敵国のドイツ兵にも感染が広がっていきます。)

  本書では、アメリカの大都市の貧困街に住む外国移民の感染拡大のエピソードや、大都市における市民の様子。また、大都市とは対照的な、極寒で辺境の地方都市アラスカでの感染の広がり、エスキモー住民の感染状況、ヨーロッパの戦場での軍隊組織の中で広がる感染拡大の様子を丁寧に解説します。その中で特に印象的なのは、アメリカ遠征軍を乗せ、ニュージャージー州ホーボーケンからフランスのブレスト港へ航海したリヴァイアサン号における大西洋上の感染流行でしょう。この船は当時の兵員輸送船として最大、かつ最も有名な船舶でした。9月29日、リヴァイアサンは二千名の乗員、一万人の陸軍関係者、そして二百人の看護婦を乗せヨーロッパに向け出航します。しかし、本来の最大乗客定員六千八百人の収容能力を1.5倍増すよう改造し、この出航においては、一万一千名を超える乗員を乗せていたのです。つまり、戦時下という人員、物資共に不足している状況から、乗せられる人(もの)はできるだけ乗せて行こう、という今風でいえば正に「三密」状況で出航したのです。しかし、というか、やはりと言うべきか、この状況において感染は発生します。

  「あれほど懸命に病人を健康な兵士たちから見つけ出しては部隊から取り除いていたにもかかわらず、インフルエンザは兵士たちとともに船に乗り込んでしまっていた。」(P162) 当然出航前には検疫検査があったのですが、出航の翌日の9月30日には、早くも700人の兵士が体調不良を訴えます。この患者数は航海を終える頃(ブレスト港到着は10月7日)には2000名にまで膨れ上がります。「この巨大な輸送船(中略)の中では刻一刻と何人もの兵士がインフルエンザで倒れ、大勢の死を告げる亡霊が悪習に満ちた兵員居住区を闊歩しているのがほとんど手にとるようにわかった。ある公式の報告書によれば、夜は最悪だったといい、そこでの様子が次のように書かれている。『あの光景は、実際にそれを見た人間でなければ想像もできないだろう。鼻出血を起こした大勢の患者の鼻からしたたり落ちた血でできた血だまりが部屋中そこかしこに散らばっており、病人の世話をする者が患者の吐瀉物や排泄物を踏まずに通り抜けることもままならなかった。甲板では恐怖にかられた者たちのうめき声や叫びと治療を求める者たちの声があいまって、まさに地獄が思いのままにはびこっているといった様子だった。』」(P168) 遠征軍の兵士の中には、不思議なことに、医師からインフルエンザと診断されても、戦場の後方区へ送られるのを拒んだ者もいたのです。なぜなら戦場の後方区の病院では、戦闘で負傷した者ももちろん、インフルエンザの患者であふれかえり、看護婦も医療物資も不足している中で、療養所とは言っても、それば名ばかりで、ひどく不衛生な場所で看護もされず、邪魔者扱いをされるのが普通だったからです。また、(戦闘での負傷ではなく)インフルエンザで戦場を離れる、ということは軍人としては不名誉なことと見なされたようです。

  本書において、著者のクロスビー氏は、当時の資料からできる限り、公平に冷静に当時のパンデミックが社会に広がる様子、市民のインフルエンザに対する意識、そのインフルエンザに対処する市民の様子を詳細に報告しています。しかし、一方では何かあいまいというか、中途半端というか、そんな印象を持ったことも事実でした。端的に言うと、著者も本書でたびたび言及しているのですが、大都市や地方都市、または、軍部でも至る所においてスパニッシュ・インフルエンザについての当時の資料が意外と少ないのです。筆者によればこのインフルエンザのパンデミックは個人個人のレベルにおいては、恐ろしい記憶として残っているのですが、アメリカの社会全体では、このインフルエンザの猛威は、意外とはやく忘れ去られ、そのため包括的にこのパンデミックを後世に記録として残そう、という機運が芽生えなかったようなのです。

  第一次的には当時の人々の関心事が第一次大戦であり、インフルエンザの流行はどちらかというと脇に置かれていた関心事であったこと。次に、この感染症による感染拡大の被害は1918-19年の一年間程度であったこと(二波、三波の流行もあったのですが、社会的に免疫を獲得していたせいか被害は大きくなかったのです。)また、最悪のインフルエンザとはいっても、被害致死率は2%程度であったことなどです。特に一番最後の点は、ヒトの恐怖の感じ方の問題になると思います。つまり、短期間で広範囲に拡大流行する致死率2%程度の感染症と、ある程度発症地域が限定されたり、感染の流行が遅い致死率の高い感染症とを比較した場合、ヒトはどちらをより恐怖に感じるか?ということです。 おそらくヒトは後者に対し恐怖を感じるのではないでしょうか? 

  また、(前述しましたが)このインフルエンザについては、医学的にも当時の詳細なデータというのが残っていないようで、この感染症の正体も実は未だに不明なのです。(もちろん、当時の資料などから、いろいろな学者が仮説を立て、検証し、その結果から、研究は進んでいるのですが。)実は、度1951年、アイオワ州立大学の医療チーム3人が検体採取のためにアラスカへ赴き当時の被害で亡くなった人の遺体の一部から検体を再生し、スパニッシュ・インフルエンザを解明しようと試みたことがあったのですが、結局、再生できなかったのです。(アラスカは極寒の為、比較的当時の遺体の保存状態が良いと期待された。)(*1)

  映画なんかでは昔、宇宙の隕石(人工衛星の破片?)に付着していたウイルスと対峙する科学者の活躍を描いた「アンドロメダ」(1971年製作、原作は、「ジュラシック・パーク」の原作者マイケル・クライトン)とか、感染すると人が狂暴化する(ゾンビになる)ウイルスと人類が闘う「ワールド・ウォーZ」(2013年製作)とか感染症の症状をより強力にして、感染の広がりも早いものにして、パンデミックの怖さをより強烈(ドラマチック)に演出します。このようなドラマ上の感染症や、実際の致死率が高い感染症(狂犬病など)に対し、ヒトはより恐怖を感じると思います。しかし、短期間で広範囲に感染拡大を起こす致死率の少ない感染症。でも(この広範囲に感染拡大を起こすスパニッシュ・インフルエンザのような感染症の方が、)結果的に見ると犠牲者は二千五百万人(*2)にもなってしまう。。。

  突き詰めて考えると、どちらが「怖い」という比較ではなく、それぞれを「正しく恐れる」方が賢明かもしれません。。。本書の「序文」に寺田寅彦博士の言葉が引用されています。「ものを怖がらなすぎたり、怖がりすぎたりするのはやさしいが、正当に怖がることはなかなかむつかしい。」 やはりインフルエンザと言い、今回の新型コロナも正しく恐れることが大切なのでしょうね。。。

(*1)本書の「あとがき」では「(スパニッシュ・インフルエンザは)ウイルス学、病理学の分野では、現代まで保管されていた、あるいは最近発掘された病理学的な検体を用いて当時の流行ウイルス株の全遺伝子配列が解読され、この病気にまつわるさまざまな謎へのアプローチが意欲的に進められている。」(P423)ということです。

(*2)これは当時の資料の記述が曖昧で、その資料も少ないことから控えめに見積もった数字で、実際の死亡者数は、三千万人とも四千万人とも言われています。