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マクトゥーブとエピファニー

2016.08.23 15:00


マクトゥーブとエピファニーという言葉があります。

僕はこの2つの言葉を、ちょうど同じ日の2015年3月22日に知りました。 

実は、僕はこの日の朝、ある小説を読み終えたところでした。ブラジルの小説家パウロ・コエーリョの『アルケミストー夢を旅した少年—』。

スペインの少年が夢に見た宝物を探しに旅をしながら不思議な経験をする小説で、おもしろくて夜通しかけて読んでしまいました。その中で主人公がアラブ人の老人から“マクトゥーブ”という言葉を教えてもらいます。 

Maktub:マクトゥーブとはアラビア語で、直訳では「それは書かれている」という意味で、つまり起こりうる物事は既に前兆が起こっていて、それは最初からそうなるべき運命であるらしいのです。そしてあとは、その前兆にその人自身が気づくか気づかないだけの話なのです。 

それを読んで「おもしろい考え方だな」と思いました。僕にも起こることの前兆は現れているのだろうか?その前兆に気づくことができるのだろうか? 


そしてその日の夜に食事をした友人から、たまたま勧められたある雑誌を手にしたら、その中で"エピファニー"という言葉に出会ったのです。 

Epiphany:「本質の突然の顕現」「直感的な真実把握」平たく言えば、「ある日突然何かが目の前にさっと現れて、それによってものごとの様相が一変してしまう」という感じ。  

僕はこの言葉をその雑誌『MONKEY Vol.5』で村上春樹さんが連載している文章で知ったのでした。(その後、村上春樹著『職業としての小説家』:所収)

彼が小説を書こうと思ったのは、ある日神宮球場でプロ野球を見ていた瞬間だったらしいのです。その瞬間、「自分は小説を書こう」と思った、そのエピファニーが村上春樹さんに起こったのです。 


僕はその瞬間確信しました。僕にもマクトゥーブは以前から現れていて、そのマクトゥーブに気付いたちょうどその日に、エピファニーという言葉と出会ったのだと。 そしてそのエピファニーという言葉を知った瞬間、僕にもエピファニーが起こりました。 「僕のやるべきことは、バラエティプロデューサーなのだ」と。 多分、誰しもの人生の中で、マクトゥーブが現れていて、もしその前兆を逃さなければ、いつかエピファニーが訪れるんだと思います。そしてそのエピファニーをキャッチすることが、人生の“きっかけ”なんだと僕には思えるのです。 

拙著:『成功の神はネガティブな狩人に降臨する』より