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琵琶湖と芭蕉

2020.11.18 12:23

http://basyo.halfmoon.jp/oumi.htm  【琵琶湖と芭蕉】 より

 堅田の琵琶湖畔に立つ満月寺浮御堂と「比良三上雪指しわたせ鷺の橋」の芭蕉句碑

 近江は,奥の細道の旅を終え,晩年を迎えた芭蕉がこよなく愛した土地である。奥の細道で松島,象潟を中国の洞庭湖,西湖に比べているあたりからして,水面のある景色が芭蕉をとらえたのだろう。この碑の句は元禄三年の冬の作で前詞として「湖水の眺望」とあるそうだ。近江八景があるように,さまざまな八景が海か湖で作られるのは水面が風光をつくるということだろう。

 この境内には芭蕉の「鎖あけて月さし入れよ浮御堂」の他たくさんの文人歌人の碑があり,白い砂利と枝振りのいい松が美しい。

 あいにくの曇り空だが,琵琶湖対岸に見える三上山別名近江富士

 湖を隔てて相対している比良山の雪を三上山まで白鷺の広げた翼の橋でさしわたしてほしいと想像したのだろう。

 だが,すぐ脇に琵琶湖大橋が見えてしまうのは皮肉じゃないだろうか。

彦根から近江八幡

 彦根市の明照寺にある笠塚

 芭蕉塚にはいろいろな種類がある。明照寺第十四世住職で蕉門の李由が芭蕉の渋笠をもらい受けて立てたという。元禄十三年(芭蕉七回忌)以前の建立という。ひび割れたのを修復したあとがある。

 明照寺は大きな境内と山門,本堂を構えた寺で,中世には信長に対抗する真宗教団の勢力を持つ寺院として栄えたというが,今や住宅地に埋もれてしまっている。観光に向かない歴史というのは埋もれていくものでしかないようである。

 彦根市原八幡宮にある昼寝塚の裏

 「ひるかほに晝ねせうも床の山」とあるそうだ(かなり摩滅していて読むのは難しい)。

 上の明照寺の李由を訪ねる時に作った句であるが,昼寝塚とした人は誰なのか建立時期ともに不明である。床の山は枕草子や古今集にも出てくる歌枕なのだそうだが,どの山なのか諸説あるらしい。郷土史研究などを始めると謎が謎を呼んで大変だろうと思う。

 近江八幡市小船木町願成就寺にある芭蕉翁百回忌に立てられた

 「一聲の 江に横たふや ほとときす」の句碑。どう見ても,墓か供養塔に見える。このお寺には200回忌と300回忌にも芭蕉句碑が建てられている。目立った観光スポットではなく市内の西はずれにある小高い山(日牟礼山)のうえにある。

 芭蕉を偲んで句碑を建立する人々が,ひっそりとだが絶えることなく生きていることを感じた。

 願成就寺の芭蕉300回忌の句碑

 「五月雨に 鳰の浮き巣を 見にゆかん」

 この句碑は芭蕉塚蒐には載っていない。父に報告したい気持ちで,ちょっと感傷にひたってしまった(2002年8月22日)。

参考文献

 滋賀県高等学校歴史散歩研究会(1974):滋賀県の歴史散歩,山川出版社.

 田中昭三(1993):芭蕉塚蒐Ⅴ,近代文藝社.

 乾憲雄(1994):淡海の芭蕉句碑上下,サンライズ印刷出版部.


https://tokuhain.arukikata.co.jp/shiga/2017/07/post_6.html 【芭蕉が愛した大津(その1)幻住庵を訪ねて・・・】より

俳句に疎い方でもその名前は一度は聞いたことがあるでしょう。

「古池や蛙飛びこむ水の音」

という俳句が有名ですよね。

また全国各地を旅してつくった作られた「奥の細道」という俳諧紀行文は誰もがしるところ。

(学校でも習いましたよね。)

全国を旅してまわり一所に長居することのなかった芭蕉ですが、近江の国は大変愛していたようで生涯に何度も訪れており、

実は芭蕉のお墓は大津の「義仲寺」にあります。

(義仲寺については次回・・・)

そんな芭蕉が晩年に4か月もの(芭蕉の滞在時間としてはかなり長い)期間を過ごしたのが大津市国分にある「幻住庵」です。

「幻住庵」があるのは「瀬田の唐橋」から西へ進んだ石山寺の奥にある国分という地。

瀬田の唐橋ではこんな句を・・・

「五月雨に 隠れぬものや 瀬田の橋」

近江八景の一つである瀬田の唐橋を望む景色は芭蕉も何度も眺めたのではないでしょうか?

橋を渡って京阪唐橋駅を越え国分へ。

標高270mの国分山の中腹に「幻住庵」はあります。

正確には「近津尾神社」の境内に幻住庵跡の碑が残っているのみなのですが、

その境内から少し上ったところに平成3年に庵が再建されました。

まずは、ふもとの駐車場から「近津尾神社」へ向けて登っていきます。

駐車場からは「せせらぎ散策路」という小道が。石段脇にはせせらぎが流れ、木陰が涼しいですね。

石段を登り切る手前あたりに「とくとくの清水」という湧き水があります。

芭蕉はこの地で記した「幻住庵記」に

「たまたま心まめなる時は、谷の清水を汲みてみづから炊ぐ」とあり、ここに降りてきては湧き水を汲んだのでしょう。

その先でさらに階段を登ったところに「幻住庵」はありました。

いたるところに地元の小中学生が作った俳句が木々につるされています。

簡素な門が侘びさびを感じせますね。

茅葺の庵に、鹿威しのカコーンという響き・・・

今にも芭蕉が出てきそうな雰囲気!

庵の軒先からは大津の街並みが見下ろせます。芭蕉もここからの景色を楽しんだのでしょうか。

こんな景色を眺めていると私も一句詠んでみたくなりましたが、何にも浮かびません・・・。

幻住庵のすぐ近くには「太子堂」という聖徳太子の2歳像を祀るお堂があります。

この日はたまたま中の太子像を見せていただきました。

鎌倉時代のものだそうです。

この太子堂からの景色もなかなかの絶景!

幻住庵には紅葉の季節にも是非訪れてみたいですね。そのころにはせめて一句くらいは思いつかないでしょうかね。