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レイリーブルー(3)

2020.11.19 05:09

三、五十二ヘルツの鯨


 ライブ終わりに合流した俺たちは、打ち上げには参加せず駅に向かって歩いていた。

 体の芯がホクホクしたままの軽い足取りで、煌びやかなネオン街を進んでいく。慣れない都会の夜に、すれ違う人波を懸命に避けながら、はぐれまいと身を寄せて歩く。ピンクや黄色の派手な明かりが眠たい目に少し痛い。グラデーションの装飾、妖しく光る店名、それらがテンポの速いリズムで点滅する。何処もかしこもちぐはぐで、むしろそれが独特のメロディを刻んでいた。

「ライブ楽しかったなー、すげぇかっこよかった」

「めっっちゃ緊張したわ……!」

「そうか? 全然見えなかったけど」

「知り合いが来ることってあまりないからさ、お前のせいだぞ」

「まじかよー意味わかんねえ」

 大音響の興奮と初めての連続で舞い上がったまま、メイスの丸まった背中を見る。

 長い髪が前の方に垂れて、顔がよく見えない。なんとなく帰りたくない。この高い温度をもう少し共有していたい。でもメイスの疲労を考えるとそんなことは到底言い出せず、俯いた横顔を盗み見ながら無理矢理に会話を進めた。

「駅、こっちで合ってる? メイスはどうやって帰るんだ?」

 メイスは頭を掻きながら多分あっちと指をさす。しかしその方向を見ると同時に、遠回りしよう、と肩を掴まれた。

 歓楽街をメイスの言う通りについて行くと、ネオンの先の暗闇に小さな明かりが点っていた。魔女の洋館さながら、誘蛾灯のようなそれが何かはすぐに分かって、以前友人に見せられた雑誌を思い出す。

 見開きいっぱいに、黒いウェーブがかった髪を乱しながら横たわる流行りの女優のグラビア。ページの隅にはホテルの名前と、部屋の内装を事細かに説明するテキスト。並んだ文字列は俺の日常とはかけ離れたものばかりで、露出度の高い人体はだいぶグロテスクに見えた。友人はにやにやしながら、お前はどれがいい? とページをめくる。思わぬことにあまり好きじゃないと答えると、笑われた。

 ひゅっと息が詰まって、メイスの背中に隠れながら自動扉をくぐる。

「……未成年が入ったらヤバいんじゃねぇ?」

「大丈夫だろ、ハタチだって言えば。俺は気にしないけど」

 さらっと言ってずんずんと進んでいくその背を追いかける。帰るぞと言ってギターごと出口へ引っ張るが軽く振り切られてしまい、彼は奥の大きなパネルを指差した。

「どれにする」

 なんの譲歩か、俺に部屋を選ばせてくれると言う。まったく意味がわからない。ひと通りパネルに目を通すが、貝殻のベッドや天蓋付き、内装が真っ赤だったりと、混乱する俺にはどれも選び難いものだった。

「えっ、え、俺でも普通に帰んねーと」

 ここまで来て何を言うんだと呆れられ、それにじっと目で訴えるときりっと訴え返される。負けじとまた睨み返し、するとメイスは顎に手をやって少し考え始める。それから閃いたという顔で眉をハの字に下げて言った。

「知らない街だし俺行くとこないんだ。一人で泊まるのさみしいし……ゲーラがいてくれると嬉しい」

 くそ、適当なこと言うんじゃねーぞ。至近距離で潤む瞳につい絆されそうになる。顔が近くて、離れようとしても肩を掴まれて逃げられず、顔ごと逸らしても覗き込んでくる。メイスはそのつもりがなくても俺はふつふつと沸いた罪悪感を丸め込めず、彼は芝居がかった口調で俺の庇護欲を掻き立ててくる。

「頼むよ、ゲーラといたいんだ。何もしないから」

「な、なにもって、なに、なんだよ!」

「ここが何する所か知ってるからだろ? そんな事しねぇよ、寝るだけ。睡眠」

 顔から火が出そうだ。口をパクパクしながら反論の言葉を考えるけど、一度沸いた脳はなかなか冷静になれない。メイスは俺の隙をつき、適当なボタンをカチンと押した。

「つーか知っててここまで来たらもう同意だから」

「はっ⁉︎」

「行くぞ、五階」

「あーもうくそ、待てよ!」

 やけに狭く、いろんな香りの混じったエレベータにふたりで乗りこむ。肩が触れるほど近くで、ツンと高い鼻筋につい目を奪われる。俺の視線に気付いた彼はついたぞ、と笑う。

 目的階ではドアの上でランプが点灯していた。そう言う仕組みかと感心しながら開けられた扉をくぐると、クーラーが既に効いていて、汗をかいて疲れた体は少しほっとした。入ってすぐ右側には黒い革張りの二人掛けソファ、左の奥にはクイーンサイズのベッドにふかふかの白い布団が敷いてある。

「わ! ベッドでかいな!」

「おお!」

 今までの困惑はどこ吹く風で、規格外のベッドに俺は夢中になって飛び乗った。

「はー、つっかれたなー!」

 仰向けに寝転がると、天井に小ぶりなシャンデリアが下がっている。左には先ほどのソファ、起き上がった視線の先に大きなテレビ。私生活では考えられない、なんと豪華な部屋なんだろうと感嘆する。

「メイスも来いよ! ふかふか!」

「初めて来た?」

 担いでいたギターをゆっくりソファに置いて、メイスは丁寧に身の回りのものを片付けていく。微笑ましそうな眼差しにすっと羞恥が振り返して、あぐらを掻きなおしてから低い声で言い返す。

「なに、メイスは来たことあんの?」

「まあな」

「えっ、誰と?」

「気になるか?」

 俺の苛立ちには気付かないままメイスは楽しげに笑ってる。同い年のくせにいやに大人びて、本当に違う世界を生きていたのを再確認させられる。

「べっつに!」

「はは、風呂いってくる」

「おう」

 

 風呂から上がったメイスは乾かした髪をお団子にまとめ、捲り上げられた半袖シャツからはしなやかな筋肉が伸びている。華奢ではあるが思ったよりは太く、やっぱり男の子なんだなと改めて思う。

 彼はどこもかしこも色素が薄かった。寒色の涼しげな目元に始まり、くっきりと浮き出た鎖骨は血管も青く透けていて、同じ人間とは思えない。長い髪をきちんと手入れしているのも、性格が正反対だからだろうと思った。

 結い逃した髪が一束落ちて、鎖骨の上でカールしている。それがやけに艶めいて、革の独特な軋み音に乗じて浮き立ちそうな気を散らす。

「メイスは、どうしてバンドはじめたんだ?」

「なんだよ急に」

「なんとなく。俺もそこそこ音楽聞くけど、バンドするほどじゃないし」

 ふうんと言ってメイスは顎に手をやり、言って良いことと悪いことを整理しているようだ。別に俺相手に気を使う必要はないのにと焦れている間、彼はひとりでうんうんと頷き、話し始めた。

「音楽はもともと好きだったんだ。でもバンドを始めたのはお前に会いたかったから。昔からずっとお前の声が聞こえてたんだよ」

「へぇ、俺の声どんなだった?」

「思ってたのと全然違う。本物の方が可愛い」

「なんだそれ! 嬉しくねぇなー」

 メイスはコンビニのビニル袋から温められた発泡スチロールの弁当を取り出しながら、お前はどうなんだ、と問いかけてくる。照明は薄暗いまま、仄暗い天井を仰ぐ。

「んー、俺もメイスの声聞こえてたかな」

「こんな声だった?」

「全っ然ちげぇ。本物の方がかっこいい」

「俺と一緒じゃねぇかよ」

 男ふたりで、ラブホテルの一室で、ソファの隣同士でコンビニ弁当を食べている。色気があるんだかないんだかわからない状況でのとりとめのない時間が俺は楽しかった。

「どんな音楽が好き? 俺、ありきたりだけどショパンが好きなんだ」

「え、クラシック?」

「あぁ、詳しいってわけじゃないけど少しなら弾ける。多分ゲーラも知ってるやつさ」

 メイスは、壁に立て掛けていたギターケースを取り出した。黒いその中から、薄い黄緑色が鮮やかに発光して虹彩を刺激する。

 狭い所から出されたベースギターは、目覚めるなり大きく伸びをしてこちらを見た。ボディとネックをクロスで綺麗にしてもらい、ピン、と一本の弦を弾かれると、今日の仕事は終わったはずだとメイスを睨む。しかしすぐに、君は僕がいないと本当にだめだな、と不敵な笑みを浮かべながらウォーミングアップをし始める。チューニングのためにさらに弦を弾かれると全身を震わせながら楽しそうにうたいだした。

 鮮麗な黄は蛍光塗料のようないやらしさは無く、透明感のある、凛とした佇まいを醸す。聞くとシャルトルーズグリーンという色らしい。

「デトロイトっていうんだ」

「強そー! そういうモデル?」

「いや、パ…父親がつけて、もらった時はもうこの名前だった」

「へぇー、大事にしてるんだな」

「弾いてみるか?」

 メイスはペグを巻きながら嬉々と微笑んだ。俺の手を引きピックを持たせ、そしてステージ上と同じく、流れるように、導かれるように和音を唱えさせる。

 デトロイトははじめ俺の手を怪訝そうに見て、不思議そうに不協和音を鳴らした。彼は誰だと不満げなまま、しかし二度三度と指でなぞると何かに気付き、納得したように口角を上げた。するとその音は、いかつい名前に似つかわしくなく落ち着いて、意外と大きく甘く響いた。

 重なった俺の指と、彼の指。デトロイトのボディが俺の方まで乗り上げてきて、アルペジオで爪弾かれるたびに振動する。

 ひとつひとつの音符を抱きとめながら、リズムは部屋中に浸透していく。自分の中に全部ある。デトロイトはそう言いたげに彼の呼吸と一緒にまろやかに、金平糖でも降らせたかのようにころころと子供らしく鳴る。

 デトロイトが奏でる音は、俺がメイスを、メイスが俺を知っているのと同じように、俺たちの中に昔からある気がした。情緒を交えて弾く彼の後頭部を見つめ、ゆらゆらと揺れる毛先に俺は誘引される。俺と同じシャンプーの香り。さっき食べた食事の匂い。それが俺の張りつめた琴線を刺激した。

「はは、ピアノ音楽は難しいな、音が足りねぇ。そろそろ……」

 俺はほとんど無意識にメイスの肩に手を回していた。メイスは驚いて咄嗟に視線を逸らす。その口元に俺が目を離せないでいると、覚悟を決めたような、深く色づいた左目を俺に向ける。風呂上りのしっとりとした二の腕に俺の冷たい手が食い込み、思わず胸に引き寄せてしまいそうになる。

 浅く息を吸う。緊張のせいで胸がつまり、喉まで出かかってるのに、吐き出すことが出来ない。薄暗い室内でも彼の頰が染まっていくのがわかる。触れ合った体温に浮かされ、さらに魅了されてしまう。しかしその目が潤んでくるのに気づいて、ハッと手を離した。

「あっ、悪りぃ。狭かった?」

「……いや」

「そろそろ寝ようぜ! 明日も早いし」

 気まずくなってそそくさとソファから離れ、おやすみ、とベッドへ潜り込む。顔色を窺われないように壁を向いて布団をかぶると、後をついてきたメイスの体重でベッドが少し沈む。後ろに彼が寝転ぶ音がして、俺は口を結んできゅっと息を止めた。

 しばらくは眠れなかった。背中越しのメイスの呼吸が、暗闇で敏感になった耳にはっきりと聞こえる。さっきまで喉につかえていた空気を、こっそりと最後まで吐き出す。背中越しに切なげな声がかかり、振り返るとメイスは俺の腰に腕を回してきた。

「……っえ、メイス?」

「ちょっとさ、こっち向け」

「な、なんで」

「いいから」

 言われるまま向かい合わせになると、回された手の力が強くなり、うっ、と声が押し出される。しかし彼は黙ったままで、俺も何も言わずに艶のある前髪に顎を乗せた。

 いつまでも、どこに触れても高い体温。どこかで燃えているんじゃないか、そのうち燃え尽きて消えてしまうんじゃないかと意味もなく不安になる。するとメイスは、なにが面白いのか急に吹き出した。

「ゲーラ、心臓ヤバいぞ?」

「……言わんでいい。メイスって意外と寂しがり屋?」

 呆れながら言い返すと、まだ笑いが止まらない彼は背を震わせながら聞き返す。

「ん? なんで?」

「だってライブ中とか、風刃さんの時とかは、一匹狼? っつーか。じゃれたりしない感じだったのに、今は、」

「……今は?」

「すごい、くっついてくるなって」

「嫌だったか?」

 ぱっと離れて顔を覗き込んでくる。嫌じゃねぇけど、と口籠ると、彼はまた俺の胸におさまったまま甘えてくる。

「こんなことゲーラにしかしないから、妬くなよ」

「そんなんじゃねえって! 意外だなって思っただけ!」

「ふふ、そっか」

 少し頰が赤くなっているのがわかる。メイスの顔にかかった髪を整えて撫でると、彼はからかうように、嬉しそうに首を傾げた。

「ゲーラ、ほんっとドキドキしてるな」

「もういいから寝ろよ」

「……俺もだよ、すげぇ、緊張してる」

 俺は心臓の音を聞かれたくなくて、彼の服の背中を引っ張って少し離れようとした。しかし抵抗虚しく抱き締め返され、丁度良い位置にあるメイスの丸い頭をまた撫でると、思い詰めたような声で問われる。

「……ゲーラってさ、シたことあんの?」

「ん? なにを?」

「んー、やっぱいいや」

 そのまま彼は眠りにつき、俺もまた夢の中へ吸い込まれた。今日はメイスの体温のおかげでいつもより深い眠りにつくことが出来た。