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古池・カエル・水の音

2020.11.19 13:10

http://toi.oups.ac.jp/07kusu.pdf  【古池・カエル・水の音】  より

楠瀬 健昭

雪の朝 水滑らかに 鴨遊ぶ 我先に 池に着水 鴨の群れ 新池や 付かず離れず 二羽の鴨

拙宅の近くの池に鴨の姿を見た時に、上の三句を思いついた。このとき、意識の底には、しばらく前に調べた芭蕉の一句があった。「古池や 蛙飛び込む 水のおと」

は蕉風開眼の句と言われ、国内外を問わず、芭蕉(一六四四-九四)の俳句の中で、もっともよく知られているものである。この句は『蛙合』(一六八六)において、編者仙化の

「いたいけに 蝦つくばふ 浮葉哉」の句と並べられている。『蛙合』は、蛙の句ばかり集めた句合であり、句合とは左右に分かれた詠み手が、同じテーマで句を詠み、判者が勝敗を決めるものである。

『蛙合』第一番の芭蕉と仙花との対決は、いずれにも軍配が上がっていない。それほど評価されていなかったのであろうか。

写実的な句と解釈すれば、「水のおと」に焦点は収束する。しかし、これは、どのような音であるか、また、その音が暗示するものは何か。「古池」とは、芭蕉が現実に見たものなのか、想像上のものなのか。

いずれにしても、芭蕉は古池で何を表現したかったのか。「蛙」は私達がよく目にするアマガエルなのか、それともトノサマガエルなのか。「蛙」はカエルであっても、カエル以外のものを読み込むことは不可能か。

「水のおと」の深さに聞き入るだけでも十分かもしれないが、詩である以上、聞き手はさまざまなことを考える。子規の言う「初學の人俳句を解するに作者の理想を探らんとする者多し」(「俳諧大要」)の一人になるかもしれないが、あえて、この句について考えてみよう。

一般に、この句の意味は「古い池にカエルが飛び込んで水の音がした」ということであると考えられている。子規も「意義においては古池に蛙の飛び込む音を聞きたりという外一毫も加うべきものあらず」(「古池の句の弁」)と断定し、「古池に蛙が飛びこんでキャブンと音のしたのを聞きて芭蕉がしかく詠みしものなり」(「俳句大要」)と述べる。水の音が「キャブン」と聞こえたあたりは、さすがに子規というべきか。

「キャブン」という音は、実際の音に近いと思う。また、「自然の妙を悟りて工夫の卑しきを斥けたるなり」(「古池の句の弁」)と評価する。虚子は、『俳句はかく解しかく味う』の中で、「古池が庭に在ってそれに蛙の飛び込む音が淋しく聞こえるというだけの句である」と解釈し、「歴史的価値を認むべきは否定することはできない」としながらも、「そうたいしたいい句とも考えられないのである」と切り捨てる。「或日芭蕉が深川の草庵にいると、庭の古池に水音が聞える。それは外の音でもない蛙の飛びこむ水音である。

四辺が静かであるので、その水音は独り際立って耳に響く」と、支考の『葛の松原』に依拠していると思われるが、子規よりは具体的に説明する。

金子兜太は、平成九年四月、ある講演の中で、次のような読みを提示する。

「芭蕉が四十三歳の春、旅から帰って来て自分の庵に座っていたら、蛙がポチャンポチャンと水に飛び込んだ。春が来て蛙がポチャンポチャンと水に飛びこむ音をたてている。この古池もよみがえるだろう。古池は芭蕉の心かも知れない。春が来て、春はどんどん躍動している。これから何かが開けてくるかもしれないと、そんな気持ちなのかもしれない。」いかにも兜太らしい天真爛漫な感覚である。兜太に言われるまで、閑寂な「古池の句」の季節が春とは思わなかった。たしかに、蛙とは春の季語である。春は生命躍動の時である。

子規は「自然の妙」と言い、虚子は「歴史的価値」を認め、兜太に「大胆な解釈」がありとはいえ、蕉風開眼の句の意味が「古い池にカエルが飛び込んで水の音がした」でいいのだろうかと、不思議に思っていたところ、数年前、長谷川櫂による『古池に蛙は飛びこんだか』(花神社)という刺激的な書物が目に飛び込んできた。長谷川によれば、「心に古池の幻、蛙は古池には飛びこまなかった。蛙が飛びこむ水の音を聞いて、心の中に古池の幻が浮かんだ」ということである。

長谷川は、第一に、「古池」と「水」との重複を指摘する。なるほど、俳句は、わずか十七字で世界を表現する、世界でもっとも短い詩である。もしも「古池」が文字通りの「古池」であれば、五七五の中で、「古池」と言いながら、さらに「古池」の「水」に言及することは、いかにも不自然である。もちろん、芭蕉は水ではなく水の音を問題にしている。しかし、やはり、水の音といえば、音だけではなく古池もまた心に浮かんでくることは否定できない。

第二に、この句の成立までの経過を考える。つまり、「蛙飛び込む 水のおと」という中七下五が先にできている。これに、どのような上五を持ってくるのかを芭蕉は考えている。其角は、和歌の伝統を意識した上五、「山吹や」を提案する(『葛の松原』)。蛙(かわず)といえば、カジカガエルのことであり、古来、歌の世界では、その鳴き声を問題としてきた。その取り合わせといえば、厚見王による「かはづ鳴く甘南備河にかげ見えて今か咲くらむ山吹の花」(『万葉集』巻八、一四三五)に見られるように、「山吹」ということになっていたからである。しかし、「山吹や 蛙飛び込む 水のおと」では伝統的ではあっても、面白

みはない。芭蕉の蛙はカエルであって、カジカガエルではない。蛙の鳴き声が問題ではなく、蛙が飛びこむ「水のおと」が問題である。この説明も納得がいく。

第三に、切れ字の「や」に注目する。「古池」と「蛙飛こむ水のおと」は分けて考えるべきであり、前者は心の世界、後者は現実世界を示していると見る。言葉を切ることによって時間の流れを切り返し、その瞬間に心の世界を開く。それこそが「や」「かな」という切字の働きだった。切字はただ「大きな断絶」をもたらすのではなく心の世界を呼び起こす。「古池がある」、その古池に「蛙が水に飛びこむ音が聞こえる」のではなく、「蛙が水に飛びこむ音が聞こえる」、「古池がある」、つまり、「蛙が水に飛びこむ音を聞いて、心の中に古池の幻が浮かんだ」と考える。(このような考え方は、長谷川に限るわけではない。仁平勝も、『俳句をつくろう』(講談社現代新書)の中で、「古池や」における「や」の役割、すなわち上五/中七下五の区分、また中七下五(発句)に上五(脇句)が付けられたことも指摘している。)長谷川に従えば、「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」も、同様に、「閑さの中に身をおくと蝉の声が岩にしみいるように聞こえる」のではなく、「岩にしみ入るように鳴く蝉の声を聞いて、天地の閑さに気がついた」ことになる。ひとつの音によって、心の世界がひらけた。それこそが「蕉風開眼」と呼ばれるものの実体ではないか、と長谷川は指摘する。腑に落ちる、というべきか、目から鱗が落ちる、というべきか、いちいちもっともである。それにしても、芭蕉は、実際に蛙が飛び込む音を聞いたのであろうか。芭蕉がつけ加えた「古池」とは、いったい何か。

鈴木大拙は、『禅と日本文化』(岩波新書)の中で、芭蕉の参禅体験をとりあげながら、この句について語っている。これは、話の内容から、大拙の純粋な創作ではなく、春湖著『芭蕉翁古池真伝』に依拠していると思われる。

芭蕉が、仏頂和尚(臨川寺)のところで参禅していた頃の話である。

ある日、和尚が彼を訪ねてきて問うた。『今日のことそもさん』

芭蕉答えて、『雨過ぎて青苔湿ふ』

仏頂はさらに、『青苔いまだ生ぜざるときの仏法いかん』と問えば、

『蛙飛び込む水の音』と、芭蕉は答えた。

禅師に、万物創造以前の宇宙風景がどのようなものかを問われ、それに対する芭蕉の答えが「蛙とび込む水の音」だったというのである。

大拙によれば、禅問答の中で、「蛙とび込む水の音」は、おそらく無意識の奥底から生まれた直観の響きそのものだった。この句は、「時間なき時間」を有する永久の彼岸によこたわっている。芭蕉の洞徹した「無意識」は、古池の静寂にはなくて、蛙のとび込む音にあった。芭蕉の直覚は、意識の外殻を通り抜けて心の奥深い無意識界に入っていた。その時間なき永久の彼岸に、古池は横たわっている。ここまで読み込めば、私たちは深川芭蕉庵にあった古池から、ビッグバン以前の宇宙へと導かれたことになる。

子規をはじめ多くは、この句を写実的に捕らえ、現実にあった古池にカエルが飛び込んで、水の音がしたと考える。そこに静寂といったものを感じ取れるかもしれない。金子に見られるように、聞き手によって、この句の景色は一変する可能性は多分にある。長谷川は、カエルが飛び込む水の音は現実のものと考えるが、古池は芭蕉の心に浮かんだものと考える。大拙は、「禅学上悟道の句」と捉える。

いずれにしても、一見平凡に見えたこの句は、さまざまなことを聞き手に考えさせる。俳句の宇宙は、小さな世界のようでいて、実はその中に、とてつもなく大きな世界を内包していると感じた。

古池や 蛙飛びこむ 水のおと 芭蕉        広がる波紋 宇宙の果てに 健昭

1.中村俊定校注『芭蕉俳句集』(岩波文庫)、八九頁には、「古池や 蛙飛ンだる 水の音」

「山吹や 蛙飛込とびこむ水の音」が併記されている。

2.http://www.tcn.ne.jp/~pees1a/kaeru.htm 

3.山本健吉『芭蕉 その鑑賞と批評』(飯塚書店)、八六頁。

4.『芭蕉 その鑑賞と批評』によれば、仏頂が帰った後、その席にあった嵐蘭が「冠の五文字を定めよ」と言ったので、芭蕉が同座の人たちに考えさせた。杉風は「宵闇に」、嵐蘭は「淋しさに」、其角は「山吹や」と置いたが、芭蕉は「古池や」と定めたということである。

5.正岡子規『俳諧大要』(岩波文庫)、十九頁。