Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

バロックの時代26-国王、ヴェラスケス共に逝く

2020.11.20 09:43

1665年9月17日、スペイン王フェリペ4世が崩御した。フランスとの和平後にカタルーニャを奪回、スペインの分裂は免れた。さらにポルトガルの奪回にも専念したが、ポルトガルは王女を英国王妃とすることに成功し、フランスの代わりに英国が援助した。

65年6月17日、モンテス・クラロスの戦いで、スペインは完敗し、ポルトガル独立が決定的となった。スペインの栄光の再現を期待されて登場したフェリペ4世だが、身に余る戦いを行って、スペイン凋落の引き金を引いたのは皮肉である。

その5年前の60年8月6日、王に先立ってヴェラスケスは死去していた。その年のルイ14世と西王女マリア・テレサの婚儀の疲れが原因である。この婚儀では2000万マラベディという莫大な費用が費やされた。彼は婚儀が行われるフェザン島に渡り、その施設を準備した。

会見の儀式の間は長さ140m、そのスペイン側入り口から飾られたタピストリーの制作を指揮したのはヴェラスケス。そして会見の間に飾られたのは何と黙示録だったという。黙示録は悪との戦争の勝利であり、敵国として相対した両者の和解に相応しい。フェリペ4世はカトリック統一の望みをこの婚儀に期待し、ヴェラスケスは最大限に応えた。時代は彼らを裏切るが、スペイン人は夢とロマンに生きるのだ。

下はプラド美術館正面のヴェラスケス像