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文章のゲシュタルト崩壊

2020.11.20 20:51

私は文章を書いていると

いわゆる「ゾーン」に入った感覚に

近いものを感じる。




ゾーンに入るとは

「集中力が極限まで高まって、
他の思考や感情、周囲の風景や音などが
意識から消えて、感覚が研ぎすまされ、
活動に完璧に没頭している特殊な
意識状態のこと」

である。




私の場合ゾーンに入ると、

文章を打ち込むための

パソコンのキーボードと、

文章が打ち込まれた

スクリーンだけに目線が行く。


手元が止まれば

スクリーンをじっと眺めながら

こう考える。


「次はどのような話の展開で書こうか?」


「この表現の仕方は正しい?」


そんな作業を

ぐるぐると繰り返している。


これが私にとっての

「ゾーンに入るか」と感じた。








「ゾーンに入る」は心地よい。


だから、

私は文章を書いている時は

全く気づかなかったのだが、

昨日、たまたま

「私、何を書いているんだろう?」

と思った。


それは突然認識が止まる、

ゲシュタルト崩壊のよう。


「私は何を書いていて、

私は何を書こうしているのか」

という思考にいきなり陥る。


「文章のゲシュタルト崩壊」だ。


これは非常に避けたい現象である。





ただ、これってなんだか

人生にも言えるなと私は思った。


「私、なんで生きているのだろう」

「私、なんの為に生きているのだろう」


そう思い始めたら

自分の人生がわからなくなって

この先の人生が描けなくなってしまう。


「人生のゲシュタルト崩壊」だ。


これも非常に避けたい現象である。






自分が何かに集中している時、

ただ”今”ここに生きている時、

その意味を見出しては

いけないのかもしれない。


「意味がないと文章を

書いちゃいけないのか?」


「意味がないと生きていては

いけないのか?」


私もあなたにもわかるはずだ、

「絶対そのようなことはない」と。








何かにおける

”ゲシュタルト崩壊”は生活の中で

まだまだ起こりうると考える。


私は

「何かに対して意味づけする」ことが

好きなため、気をつけなければならない。





ふと崩れ落ちる

「ゲシュタルト崩壊」




パラパラと

何か崩れはじめる音がしたとき、

私はその音の原因先を知り、

崩れ落ちるモノたちを

止めなければならない。


 

今はまだ、

大丈夫そうだが。