『TO TOP ONESELF』年井千尋監督インタビュー
Cinema Terminal Gate006コンペティション部門がオンライン開催となり、これまでのCinema Terminalにあったトークセッションや懇親会がおこなえない中で、また、「コロナ禍」によって学生映画の世界が深刻な危機に直面している中で、学生の映画制作者の声を少しでも多くの方に届けるため、コンペティション選出監督のインタビューを掲載いたします。
コンペティションA『TO TOP ONESELF』年井千尋監督(自主映像制作団体「宵」)
聞き手:中畑智(首都圏映画サークル連合委員)
中畑:こんばんは、連合委員の中畑です。お久しぶりです。
年井:お久しぶりです。
中畑:まずは、入選おめでとうございます。
年井:ありがとうございます。
中畑:早速インタビューの方に入っていきたいと思うのですが、これどこまで話して良いのでしょうか。代表の石丸には好き勝手やって良いと言われているので、多分に自由にやっていこうと思うのですが、大丈夫ですか?
年井:大丈夫です、よろしくお願いします。
中畑:では内容に入る前に、選出されての感想をお願いします。
年井:はい。シネマターミナルで作品を上映してもらうことが、大学で映画をやっている中でずっと目標だったので、ありがたい限りです。コロナでひでえことになっている中でも、良い作品が出てきていてすげえなと思いました。
中畑:今年で大学5年目になりますが、選出は初めてですね。おめでとうございます。製作期間はいつでしたか?
年井:今年の3月ですね。コロナ前くらいです。
中畑:委員を務めてきた中で、年井監督がシネマターミナルに出した作品も観てきましたが、これまでは「出すために、間に合わせるために」撮った作品という印象があって。それが今回は、しっかり仕上げたなという印象を抱きました。
年井:所属していた大東文化大学映画研究会では、部内コンペがあるんですよ。なんだかんだ僕はタイミングが悪くてそこで作品を出せないことが多くて、それが去年やっと出せたんですね。当時の自分は納得していた部分もあるんですけど、後で見ると妥協したところが多くて、とにかくコンペに間に合わせようという気持ちが強かったんです。今年は本当は撮るつもりがなかったんです。去年の10月に撮ろうとしていたものがあったんですけど、作ろうとしているものの規模と熱意がキャストと合わなくて、ポシャってしまったんです。それで自分の中で行き詰まってしまって、しばらくリフレッシュ期間にしていたんです。
そんな中で久々に映画館に行って『JOKER』を観て、面白いなあと思ったんです。たまたま大東映研の同期にジョーカーの真似がうまいやつがいて、とりあえずパロディで予告編だけ作ってみようかなとなったんですね。そいつが主演になるんですけど、たまたまコロナのおかげで就職先の研修が無くなった期間に撮れることになって、それなら作品を撮ろうと思って準備したんです。
中畑:そしたら、撮影の準備にそんなに時間はかけられなかった感じですか?
年井:そうですね。準備を急いだので、撮りたいシーンをどんどん挙げて、それを繋いでいこうと。だから結構、ストーリーより撮りたいカットを優先したんですね。そしたら撮影中は楽しかったんですけど、編集は大変でしたね。
ただ、必ずどこかの映画祭に通したいという思いが強くあったので、状況が悪い中でもしっかり撮影に臨めましたね。
中畑:追われながら作っていたという印象は余りありませんでした。個人的に感じたことは、「ああ、ちゃんと映画をやっているな」ということでした。技術的な面は数年前に比べて機材も使いやすくなってきたのであまり関係ないのですが、他の作品を観るとカット割りや編集のぎこちなさ、ショットの弱さなど、映画的な文法があまり意識されていないものが多かったです。その中で『TO TOP ONESELF』は、これらの点がしっかりと守られていたと思います。映画をちゃんと観ていて、映画をちゃんと作ろうという人の映画だと思いました。
年井:嬉しい。
中畑:あと僕は年井さんのTwitterを観ていて、最近はインディーズ映画をやっている人たちと積極的に交流しているのを知っているのですが、そこからの影響はありますか?
年井:そうですね、結構悔しいところがあって。自分の物足りなさというか、力不足を強く感じました。というのと、「そこまで急がなくて良いんだ」と思えるようになりました。結構学生で映画撮ってる人って、学生のうちに売れたいという気持ちの人が多いじゃないですか。
中畑:そうですね。学生のうちにやっていける目途が立たなかったら、普通に就職って人が多いと思います。
年井:ただ、自主の人たちと関わり始めて、それだけが世界じゃないなと思い始めました。就職したとしても趣味とか、休みを取ったりとかで映画を作り続けられるという安心を得ました。
それから、映像を作り続けていくためには母体が必要だとも考えて、「宵」という団体を立ち上げたというのもあります。
中畑:今回の作品応募は、大東映研ではなく「宵」からでしたね。これはどういった団体なんですか?
年井:今のところは大東映研から卒業生を集めていますね。大学の枠を出て、本気でやっていきたい人の集まる場所になれば良いなと思って立ち上げました。それから自分が映画をつくるためのプラットフォームになれば良いなと思っています。
中畑:そういう意味では、シネマターミナルで上映されることにも大きな意味があると思います。小さなコンペティションですが、その関係から人が集まるし、その実績から人を集めることもできますからね。
では、そろそろ作品の内容について触れて行こうと思います。演技面は『JOKER』の真似が元にあったとのことですが、そこに年井監督からの演出はどれほど入りましたか?
年井:真似と言っても、笑い方だけを寄せてもらいましたね。ちょっと気味の悪い笑い方をジョーカーに寄せてもらいましたが、他の点については作品内での登場人物として確立できるように、オリジナルを目指しました。主演は演技が苦手な人で、結構直してもらいましたね。
中畑:そうなんですか。あまり演技が下手だとは感じませんでしたが。
年井:オーバーに演技をしてもらったのが、今回の作品には上手くハマったと思います。
中畑:ここで個人的に思うのは、作品の中身に触れるのって野暮じゃねえかってことです。長い作品ではないので、ここが良い、悪いみたいなのは観てりゃわかりますし。だからここからは作家性みたいなところに触れていきたいと思うのですが、そもそもどういう思いで制作に臨まれたんですか?
年井:そうですね。僕はクスリ(合法)を始める前から芸術と呼ばれるものに関わっていて、クスリで良い作品が作れるなら良い作家ばかりになると思ったんですね。そういう世界なら僕はもう映画をやめていたと思って、クスリと芸術のかかわりに対してケジメをつけるためにクスリをテーマにしたという思いがあります。
中畑:なるほど、むしろクスリを使って何かをするというわけではなく、使うこと自体について考えたということですか?
年井:そうですね。自分の中での一つの答えだと思います。別にラリったからすごいものが生み出せるわけではなく、それ以前に自分の中に根本に大切なものがあると考えたんですね。だから、クスリでどうにかなろうとしてるヤツは何も生み出せないということを描こうとしました。
中畑:つまり、芸術はクスリと全く別の部分で動いているというわけですね。
年井:そうですね。クスリに限らず、イリーガルなもの自体にあてはまると思います。イリーガルなものはカタルシスを生み出しますが、それだけで良いものが作れるわけではありません。それとは別に、作り手の努力や才能が重要になってくると思います。
中畑:今回は自分と向き合うという意味で、クスリがテーマになったわけですね。今後の制作のテーマはどうされていく予定ですか?アクションにも興味を示されていると思うのですが。
年井:難しいですね。まずアクションについては、それはそれとして作って観たいという思いがあります。これまでずっと、寂しさとか悲しさとか、暗いものにフォーカスして作品を作っていたんですけど、一時的に、たとえば恋人ができたりすると、その感情が緩和されたというか、なくなっちゃったんですね。「彼女いるからべつに良いか」でたいていのことは済まされてしまうし、悲しくもないし、逆にすごい幸せだし。もちろん恋人がいるなりの寂しさとかを感じることはあったんですが、自分が今まで芯にしていた感情があっけなくなくなっちゃったんです。
中畑:自分のアイデンティティが消えたという感じですか
年井:そうですね、そうですね。自分が執着していて、どうにか表現しようとしていたことが映像以外で満たされてしまって、なんなら作る必要がないなとも思ったんですね。そこから改めて、自分が映像を作るときに芯にしていくのは何かというのをずっと考えていて、まあ煮詰まりつつという感じです。とりあえず目の前の作品に集中して、今まで持ってたものも活かしつつ、新しいものを見つけていこうと思っています。これから見えるものも変わるし、感じることも増えていくので、その中で考えていきたいですね。
中畑:ありがとうございます。良い話が聞けたと思います。なんか、インタビュー記事で監督が作品について「こうこうこうです」って語ってるの、クソダセェじゃないですか。僕はどちらかというと、そこは観て、解釈があって、それが監督の思うとおりに伝わらないならそれは監督の落ち度だと思うし。監督がやらなきゃいけないのって、自分が伝えたいことが各日に伝わるように盛り込んで、それに加えて人それぞれの解釈ができる余白を設けておくことだと思うんですね。結局、監督に話を聞いて、「この作品はこうなんです」って説明してもらっても、出てくるのは作品に盛り込んだ部分だけじゃないですか。だからインタビューでそこに触れるのは無粋だと思って、年井さんがどういう思いで映画をつくっていて、これからどうしていくかを聞けたのは良かったと思います。
だから最後に、なんで映画を撮りたいのかだけ聞いてもいですか?
年井:なんで、ですか
中畑:別に映画撮らなくても生きていきていけるし、撮らないほうが経済的にも精神的にも楽じゃないですか。
年井:確かに、今回5万円くらい使ってカツカツですからね。なんで撮っているのかということについてですが、これは僕が映画に限らず創作全般の話だと思っていて、何かを作るというのは、その時自分が感じたことをうつし出すという行為だと思うんです。たとえばあるときの感情が自分の中で昇華できるならそれに越したことはないのですが、絶対にやりきれないところが出てくると思うんですよね。それを、自分は何かの形にして吐き出したいんです。吐き出して無くなるわけでもないんですけどね。それを重ねて行って、映画を撮るにしても自分の中で学ぶことはたくさんありますし、何かにひたむきになることで学習していくことがあるというのと、自分の作ったものが誰かに評価されることはめちゃくちゃ気持ち良いですし、それがモチベーションになってますね。
中畑:作ることでしか得られないことがたくさんあるということですね。最後に良い話をありがとうございました。このあたりで、インタビューを終えさせていただきたいと思います。
年井:ありがとうございました。