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首都圏映画サークル連合

『夏風乃尾』徐 亦陶監督インタビュー

2020.11.21 09:30

Cinema Terminal Gate006コンペティション部門がオンライン開催となり、これまでのCinema Terminalにあったトークセッションや懇親会がおこなえない中で、また、「コロナ禍」によって学生映画が深刻な危機に直面している中で、学生の映画制作者の声を少しでも多くの方に届けるため、コンペティション選出監督のインタビューを掲載いたします。


コンペティションA『夏風乃尾』徐 亦陶監督(東京大学映画制作スピカ1895)

聞き手:石丸峰仁(首都圏映画サークル連合代表)


石丸:まずは選出おめでとうございます。

徐:ありがとうございます。

石丸:ではさっそく質問させていただきます。まず、選出されての感想を伺いたいと思います。

徐:はい。この作品は撮影したのが1年以上前で、この一年間は他の映画祭に出していなかったんですけど。いい機会なのでシネマターミナルに出そうと思って。選んでいただいて本当にうれしいです。

石丸:昨年の五月祭に出していらっしゃいましたよね。

徐:そうです。完成がギリギリ昨年のシネマターミナルに間に合わなくて、五月祭で上映しました。

石丸:私も昨年の五月祭に伺ったのですが、巡りあわせが悪くて観ることが出来ず、それ以来気になっていたので応募いただいて、観ることが出来たのでうれしかったです。それでは作品の内容についてお伺いします。本作では、「海」や「女の子」などのモチーフが象徴的に用いられていますが、どういったところに着想があったのでしょうか。

徐:「海」は、水が川から流れて海に行くっていう時間の流れ的なものを考えていたんですけど。どこからそれが来たか……タルコフスキーさんの映画とかから来ているのかなという気がします。「女の子」に関しては、主人公がやさぐれていて、それに対して「女の子」は純粋さを表しています。

石丸:女の子は身体の年齢からは、中身が幼いように感じました。

徐:そうですね。違和感のあるキャラクターになっています。

石丸:ありがとうございます。『夏風乃尾』は、登場人物のキャラクターが際立っていたように感じるのですが、演技指導や演出はどのようにやっていったのでしょうか。

徐:役者の方に結構ゆだねていましたね。おおまかなあらすじと物語のテーマは説明したうえで、役者に解釈してもらって、演技してもらいました。リテイクも少なくやりました。

石丸:リテイクが少なかったんですね。

徐:移動時間の長い撮影になったので、スケジュールがつまっていたのもあります。

石丸:なるほど。移動時間が長かったということですが、それは作品の内容からも感じ取れました。本作品はロケーションが多様であったと思います。裏社会を描こうと思うと、やはりロケーションの説得力は重要かと思います。

徐:そうですね。なかなか、東京の市街地でやるわけにはいかないですからね。

石丸:はい。特に、監督自身が出演されていた、クレジットでは「糞上司」と煙草を吸いながら会話をする場面のロケーションは、看板は日本語なので日本なのは間違いないのですが、ちょっと現代日本とは思えない雰囲気がありました。ロケーションに対するこだわりというのはありますか。

徐:そうですね。僕は結構こだわって選びました。映画にはもちろん、非日常的なものが欲しいので、世界観を崩さないためにもロケーションはかなり事前に調べて、可能な限りロケハンもやりました。

石丸:なるほど。ちなみに「糞上司」と煙草を吸いながら会話をする場面はどちらにあるのか伺ってもいいですか。

徐:あそこはたしか……有名な商店街跡地があるんですよ。それを調べて。駅近くなんですけど。

石丸:なるほど。ロケーションが多様で大変だったと思います。委員からは、女の子の登場や存在が唐突だという意見がありました。バックグラウンドなどはあるんでしょうか。

徐:バックグラウンドはないですね。完全に象徴的な存在で、少女が実際に存在するかも特に問題にはならないかなと思っています。

石丸:主人公以外の人物と交流がないですもんね。

徐:はい。主人公にしか見えない存在でもいいのかなと思っています。

石丸:そういう可能性もあるのかなと思って観ていました。そのほかにも、委員から聖書の引用場所について意見がありました。ホテルの場面で、主人子は「ヘブライ人への手紙(13章)」から引用をしていますが、ここは「神はみだらな者や姦淫する者は裁かれるのです」という節に続いていく。これは買春している主人公の心情と結びついた引用に思われますが、聖書の引用には何か意図があったのでしょうか。

徐:聖書を引用したのは、主人公も昔は純粋だったというのを表現したかったというのがあります。あの時の主人公は純粋からやさぐれていく頃で、主人公も昔はもっと純粋だったというのを表現したくて、その中で、その節の話が適していたと思ったので引用したという感じです。

石丸:なるほど。では続いて、海で女性を撲殺するシーンについて伺いたいと思います。ここで殺害されている女性が誰なのか、なぜ殺したのかそれが分かりにくかったという意見があります。この辺りはいかがですか。

徐:これはもともと、もうちょっと脚本が長くて、その中にあったワンシーンなんですけど。色々な都合で切っていって。ただ、ここは主人公が色々なものから目を背けていたということを表すシーンだったので残しました。

石丸:撲殺の場面だけを残したんですね。

徐:ちょっと浮かせたシーンがあってもいいのかなと思っていました。

石丸:なるほど。この映画では「公共事業」とか「経済」といった、マクロなテーマが取り入れられています。学生映画ではあまり取り扱われないテーマに思いますが、監督はどのような意図でこうしたモチーフを取り入れたのでしょうか。

徐:この映画には時間の流れの中で、自分とあと、その他のもっと大きい流れという対比があって、公共事業とかそういうものはもっと大きな流れのものなんです。それ自体を映画の中では語っていないし、もっと大きなものなので分からない。そういうものに対して、主人公は無力なんですけど。無力だけどそれでいんじゃないかという。

石丸:なるほど。ニヒリズムみたいな。

徐:そうですね。それに近いものかもしれません。

石丸:ありがとうございます。では、続いて、映像面についてもお伺いしようと思います。本作品は映像の質感が独特なように感じました。そのあたりで工夫やこだわられたことはありますか。

徐:『ペパーミント・キャンディー』という映画がすごく好きで、90年代とか00年代初頭のざらついた感じの映像、彩度も今ほど鮮やかじゃない、というのをイメージして撮っていました。

石丸:たしかに、00年代の中国、韓国の映画、ドラマにはこのような質感の作品がけっこうあったような気がします。言われてみると、納得します。

徐:今は個人でも高性能のカメラを使う人がいますが、僕は入門の一眼で撮っていて、それが意図にもあっていると思っています。

石丸:たしかに、意図を考えると高性能すぎるカメラというのは違う気もします。

徐:そうですね。映り過ぎちゃうのかなと。

石丸:映り過ぎちゃうという問題は面白いですね。

徐:あんまり映り過ぎるのは違うかなと。映っていないものを映すのが映画でもあるので、映ることはもちろん大切ですが、一方で映り過ぎてしまうことにも問題ですし、常にそれが必要ということではないだろうと思います。

石丸:なるほど。私も漠然と、優れた機材で撮影することに拘り過ぎることに違和感を覚えることがあったのでハッとさせられました。

徐:ありがとうございます。

石丸:映像表現を含め、裏社会を描こうとするとどうしてもチープになってしまうイメージがあります。

徐:特に学生映画はそうかもしれません。

石丸:ですが、本作はかなりチープさをクリアしているように思いました。ロケーションへのこだわりがあったとのことですが、実生活では分からない、こうした世界を描くにあたって気を付けられたことなどはありますか。

徐:そうですね、僕は極力登場人物を減らそうと思っていて、やっぱり映るものが増えれば増えるほど、粗が目立つようになってしまうので、あくまでも肌感覚で、観客、受け手の想像力で物語の雰囲気や背景を作れたらと思っていました。

石丸:なるほど。先ほどの映り過ぎる問題とも関係している気がしています。

徐:そうですね。関係しているかもしれません。

石丸:たしかに、本作品には見えないことによる魅力があったように思います。では、安直な質問ではありますが、制作時のエピソードなどはありますか。

徐:え、おもしろい話ですか(笑)?

石丸:いやいや、別に面白い話でなくても(笑)。

徐:一番最後の海のシーンで、一番最後の最後でイアリングが流されるシーンがあるじゃないですか。これを二つ用意していたんですけど、撮影途中で一個流されてしまって、どうしようってなりました(笑)。

石丸:そうだったんですね。

徐:のこり一個を必死に流されないように下で受け止めながら撮っていました。

石丸:もう予備がないですからね(笑)。それでは、現在の活動状況と今後の展望についてお伺いしたいと思います。

徐:最近は先輩の撮影に参加していました。それがひと段落したので、自分が一年くらい前から出していたプロットの中身を詰めようと思います。

石丸:なるほど。前期はどうでしたか。こういう状況ですけど。

徐:先輩の撮影はコロナ禍以前から行っていたのですが、中断していました。それでようやくひと段落ついたという感じです。

石丸:なるほど。ありがとうございます。では最後に、観客の皆さんにむけて、また話しきれなかったことなどありましたら自由におねがいします。

徐:この作品は結構抽象的で、説明をそもそもしようとしていない部分が多いんですけど、その分は皆さんが見て、自分で思った通りの解釈でいいのかなと思っています。個人個人の経験や価値観で価値観で良いと思っていて、僕自身、少女のくだりなど、明確な解釈を出していないので思った通りに受け止めて、そのうえでちょっと、昔の経験とか、振り返ってもらえたらうれしいなと思います。