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草加松原

2020.11.21 02:50

https://tabi-mag.jp/sa0036/  【草加松原】より

日光街道・奥州街道の草加宿(そうかしゅく)は千住宿、越ヶ谷宿の間の間の宿(あいのしゅく)として1630(寛永7)年に設けられた宿場。草加松原は、かつての街道沿いに残る松並木で、綾瀬川に沿って栄町3丁目の旧道南側詰から神明交差点にあるおせん公園まで約1.5kmに渡って続き、国の名勝になっています。

日光街道の美しい松並木は、名勝「おくのほそ道の風景地」に

草加松原遊歩道の歩道橋「百代橋」       和風の太鼓型歩道橋「矢立橋」

松並木を歩く「草加松原遊歩道」も整備され、矢立橋近くには綾瀬川舟運の船着き場を再現した札場河岸公園(ふだばかしこうえん)も整備されています。

草加の農産物を江戸へ、江戸から肥料や日用雑貨品を草加へ運んだ廻船の発着する綾瀬川の川湊・札場河岸の跡です。

また、埼玉県の文化財に指定される甚左衛門堰(じんざえもんせき)もあります。

明治27年〜昭和58年の間、利用された二連アーチ型レンガ造りの水門です。

公園には芭蕉像も立っていますが、『奥の細道』の第一夜が草加宿であったことを記念したもの。

残念ながら、芭蕉はこの松並木を眺めていません。

天和年間(1681年~1684年)の綾瀬川改修に伴い、右岸沿いの日光街道が整備された際に松が植えられたとする説もありますが、本格的な整備は、18世紀になってから。

現在では、「おくのほそ道の風景地」として国の名勝になっています。

綾瀬川、札場河岸の跡

レンガ造りの甚左衛門堰

芭蕉の『奥の細道』第一夜は草花宿

1689(元禄2)年3月27日、松尾芭蕉は、曽良を従えて江戸・深川を出立。

あまり知られていませんが、深川から日光街道千住宿までは舟運を利用しています。

千住宿で見送りを受けた芭蕉たちは、2里8丁(8.8km)を歩いて、初日の夜は草加宿にわらじを脱いでいます。

日光街道の千住と越谷の間は沼地が多く、1606(慶長11)年の新道完成に向けて沼地をたくさんの草で干拓したのが草加の名の由来。

1630(寛永7)年に日光街道2番目の宿場として草加宿が開かれ、さらに1792(寛政4)年に宿場北端の街道沿いに松が移植されたのです


http://www.city.soka.saitama.jp/cont/s2105/030/010/010/PAGE000000000000034539.html【甚左衛門堰】より

札場河岸公園内にある甚左衛門堰は、かつて付近に広がっていた水田の用水量を調整するため、綾瀬川と伝右川の間に設けられました。野口甚左衛門により造られたので、甚左衛門堰という名で呼ばれるようになりました。明治23年(1890年)の大きな水害の後、県に改築のための補助を求め、その3年後に補助金が交付されました。翌明治27年(1894年)に3ヶ月かけて現在の煉瓦造りの甚左衛門堰が完成しました。完成後は、昭和58年(1983年)まで、約90年間にわたり使用されました。

甚左衛門堰には、横黒煉瓦(よこくろれんが)という種類の煉瓦が3万2500個使用され、「オランダ積」あるいは「イギリス積」と呼ばれる技法を用いています。

甚左衛門堰は、古いタイプの横黒煉瓦を使用していますが、建設年代から見てもこの種の煉瓦を使った最後期を代表する遺構です。また、デザインが美しいだけでなく、保存状態も極めて良く、農業土木技術史・窯業技術史上、貴重な建造物です。


http://www.city.soka.saitama.jp/cont/s1410/010/020/010/01.html  【草加松原遊歩道】

【Soka Matsubara like “Big Bonsai Road”】 より

松原団地駅から旧日光街道(県道足立越谷線)に出ると、綾瀬川沿い一帯に美しい松並木が広がります。

江戸時代から「草加松原」「千本松原」などと呼ばれ、日光街道の名所となっており、平成26年3月に国の名勝(おくのほそ道の風景地)に指定をされました。

634本の松が植樹された約1.5キロメートルにも及ぶこの松並木は、ゆったりとした石畳の散策道に整備されており、市民の憩いの場となっています。

【Big Bonsai Road】"Soka Matsubara Walking Trail"

"Soka Matsubara" designated as "National Scenic Beauty- A Scenic Area of Oku-no Hosomichi"

札場河岸公園入口

草加松原遊歩道の南側に位置し、綾瀬川舟運の船着き場を再現して整備された「札場河岸公園」内には、草加の地を訪れたとされる松尾芭蕉の像や県指定文化財に登録される甚左衛門堰のほか、松並木や綾瀬川を一望できる五角形の望楼など、宿場情緒あふれる建造物が立ち並びます。松尾芭蕉の記した「奥の細道」にちなんで名付けられた二つの太鼓型の橋「百代橋」と「矢立橋」は、草加市のシンボルとなっています。

草加宿を訪れた文学者・正岡子規や俳人・水原秋桜子の句碑なども建てられています。

A statue of MATSUO Basho and other structures related to Soka-shuku (a post-town) are in the Fudaba Kashi Park, reconstructed as a place where cargoes were loaded or unloaded in the Edo Period.

草加松原イメージ3夜景札場

「日本の道百選」や「利根川百景」にも選ばれる草加松原は、日光街道有数の宿場町として栄えた草加宿の面影を今に残し、名実ともに草加市を代表する観光名所となっています。春は桜の名所となり、市の伝統行事である朝顔市や市民まつりの会場としても賑わいを見せる草加松原は、市民らの手によって今も大切に守られ続けています。


http://www.city.soka.saitama.jp/wadai/h26/15032099/08/13.html  【国指定名勝「おくのほそ道の風景地 草加松原」の記念碑を設置】 より

草加松原が「おくのほそ道の風景地」の一群として国の名勝に指定されたため、記念碑(標識)を草加松原遊歩道のハープ橋と百代橋の中間に設置しました。

7日に関係者とともに草加みどり幼稚園の園児が参加し記念碑の除幕式典が行われました。

記念碑は幅2.2メートル高さ1.3メートル厚さ70センチメートルの筑波石を使用しており、刻まれた文字は日本文学研究者のドナルド・キーン氏の書。

「草加松原が草加のシンボルとして、これからも人々に親しまれるように」との思いを込めて筆を振るったものです。

また、石板には紀行文『おくのほそ道』の行程図が刻まれ、芭蕉の足跡を見ることができます。

設計者は庭園デザイナーの加園貢氏で、キーン氏の文字を生かし、松並木の景観に合い、かつ『おくのほそ道』が記された元禄の時代の力強く華やかなイメージとなっています。