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Tao  無為自然

2020.11.21 04:03

http://home.att.ne.jp/alpha/koichiro/01_theme_page/95_12_tao.html 【Tao  無為自然】 より

石にも木にも精霊(神)が宿り 有と無 生と死 存在と不在を区別しないというアニミズムの思想は今から二千年前 西洋では一つのシステムしか信じないという一神教が生まれた頃老子により はじめて言葉として記録され現代でもそれは禅の中に残っています

無為自然 これが老子の言葉です

この場合の自然とは山や川 花鳥風月のことではなく万物がそれぞれの存在の根拠を持ち

他者の介入を許さない状態つまり真の自由を得た状態を言います

人為の介入を許さない真に自由な人間と万物斉同の世界 それが自然なのだと

時が経つにつれ この自然という言葉は天然と混同され老子の思想も曲解されてきました

芭蕉は言います

かれ狂句を好むこと久し  終には生涯のはかりごとと為す

ある時は・・・?・・・放てきせん事を思い ある時はすすんで人にかたむ事を誇り

是非胸中にたたかいて これが為に身安からず  終には無能無芸にして 只此の一筋に繋がるもし芸術が創作を通じての自然の再現であるならばそれは作為を経過して自然に達するからであり有為自然とは呼べるが真の自然とはいえない

しかしたとえ有為の自然であってもいつかはその作為をのりこえ無為の自然に至りつく日が来るかも知れない

風雅を愛し 花鳥風月を詠み わずかながらの名声と富を得てはいるが それが生涯をかけて求めていくものなのか芭蕉四十五才にして 無為自然つまりは真の自由を求め旅にでます

老子の言葉の真意を求めて 

全てを知りながら何も知らない 全てを言いながら何も言わない

居間には古い置き時計があります

サンフランシスコから引っ越ししてきたその日から十三年間止まったままの時計です

五才だった娘は 異邦人として日本に来てこの夏 再び異邦人として一人米国へ旅立ちまし

その娘に一輪の花を贈りたいと思い つくりはじめた花が いつの間にか こんなに増えました

https://shibunraku.blogspot.com/2011/02/blog-post.html より

荘子と俳句

昨日今日と、閑暇あり、荘子を読む。昨日は雑篇、今日は内篇と外篇を読む。

こうして荘子を読むのは、他方、松尾芭蕉というひとの思想を理解しようとするためなのであるが、荘子を読んで明白なことがひとつだけあります。それは、荘子は、政治的であることを徹頭徹尾排したということです。あるいは、商売とのことを考えると、その言っているところは、社会的な交際、社交というものも全く排したということです。

逆に、積極的に、この思想と態度をどういえばいいのかと考えてみると、それは、やはり世上いわれるように、無為自然に即(つ)くという考え方と、その行いです。

芭蕉が惹かれたのは、このことであることに間違いはないと思います。

つまり、無為自然、芭蕉が自然を何だと思い、どのように思ったのかを俳句から読み取ることができるだろうということでもあります。

俳句をするひとたち、即ち俳人たちは、芭蕉七部集の連衆の職業をみても、市井のひとたちであります。商人もいれば、医者もいれば、富裕のひとたちです。

富裕の余り、余剰の高等な遊芸が俳句であるといえば、それはその通りでありませう。

江戸の時代、元禄時代は、学校の歴史の授業で教わったように、確かに成熟していたのだと思います。改めて、この歳になって、そのことの意義を思うのです。芸術と経済と歴史の関係の意義もまた。

荘子を読んでおもうのは、やはり内篇の第1章、宇宙のはじめの生き物が、次々と変身を繰り返してゆくという話です。

これが、荘子という書物の根幹です。

それは、丁度、老子という書物、道徳経の根幹が、第1章にあるのと全く同じだと思いました。

わたしは、この荘子を、最初のところは、づっと、西洋の哲学と論理学でいうと何をいっているのかという観点から文章を読んでいきました。

同じものが別のものになる、成る、変身する、変態するということは、主語と述語は、実は同じものだ、同じ価値を有しているということをいっているのであり、それは一だというのであります。

これは、西洋哲学のよく考えないところだと思います。

混沌に穴を穿ったら、混沌が死んでしまったなどという話は、誠に、東洋人であるわたしからは、最高の話であります。この場合、話の中では、間違いなく、混沌という宇宙の始まりの状態は、媒介者、媒介物であり、その役割を演じている生き物です。(ここから、機能の話しをしたいのですが、今は控えます。)

何故西洋哲学は、そうなのか、そうは考えないのか?

つまり、わたしの哲学の定義は、哲学とは、それは何かという問いに答えることだというものですが、この定義から考えると、それは何かという問いに答えるときの、答え方、即ちものの考え方が、荘子と西洋の哲学者、たとえば、ソクラテスとは全然違っているのです。

何故なのか?

どうもこれは、老子もそう、荘子も読んで、そう思いましたが、言葉、言語に対する考え方の相違だと思いました。今、これについては、こういうに留めます。後日を期して、また論ずることがあるでしょう。

さて、それから、もうひとつ。

人生は旅だという考え、人生を旅に譬える考えは、荘子にはありません。

それなのに、芭蕉をはじめ、お弟子さんたちの句、連句には、それがそう歌われているのは、荘子とはまた別の、日本人の譬喩であると思います。

旅のはじめと終わりをどのように考えるのか、生と死をどのように考えるのか、芭蕉の考えと、荘子の考えは異なっているということになります。

芭蕉は荘子の何を正解し何を誤解したか、芭蕉は荘子をどう正解し、どう誤解したか。

しかし、文藝は、誤解と引用から生まれるものです。

わたしだって、ソクラテスを誤解しているかも知れない。

それでも、そのひとの人生、わが人生を豊かにしてくれているのであれば、それは素晴らしいことではないでせうか。

こうして荘子を読んできて、先ほど、老子の第1章を読み返してみますと、誠に誠に、これで老子の思想は、やはり、尽きているのであります。

荘子も、そうではないかと思います。荘子の、哲学も論理学も言語学も。

追伸:

混沌が、媒介者であることを、今回読んで認識しました。媒介者、即ち関数、functionであります。それはとらえどころが無いので、混沌と呼んだのでしょう。

宇宙創造の最初の関数、隠れた関数です。(わたしなら、概念というでせう。)

それを恩恵を蒙ったふたつの生き物が、7つの穴を穿ったら、混沌は死んでしまったというのです。全く、わたしは、この歳になって、古典の真理を知るということだ。

生きていてよかったなあと思い、歳をとってよかったなあと思う。