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執着よりも厄介な”惰性”

2020.11.21 22:44



「執着」

少しも可愛げのない言葉である。




意味は、

「心がとらわれて思い切れないこと。」


自分で執着していると

気づければ良いのだが、

自分では気づきがたいのもまた

執着の特徴である。







人はしばしば執着する。


お金や権力

過去の栄光、

過去の恋愛に。







執着とは常に

過去にあるのだろうか?


いいや、

たとえ”今”という瞬間でさえ

執着は存在すると思う、


そう思ったのだが、

心が他にとらわれており、

本人の心が今でも未来にも

生きていない状態ならば

執着は常に過去にあると

言えるのかもしれない。










執着は惰性だと、私は思う。


惰性とは

「”今まで続いてきた習慣や癖”であり、

その習慣を辞めることができずに

続けてしまっていること。」


お金や権力、栄光や恋愛を

追い求め続けていたことが

いつの間にか習慣と化し、

惰性で続けてしまって

執着になったのだろうと私は思う。






しかし、視点を変えれば

このように思うこともできる。


「執着を手放せば新しいものが始まる」




"新しいものが始まる。
古いものに執着している
人たちにとっては、
新しいものは恐ろしいだろう"

(ヘルマン・ヘッセ)




惰性によって身についた執着。


きっとそれを手放すまでには

葛藤で苦しむだろうし、

執着に引っ張られるかもしれない。


また、

「新しいものが見えてくるのか?」

「新しいものがはじまるのか?」

という執着によって身につけた

変化に対する疑い深さも

感じることになるかもしれない。


だがきっとそんな自分に

「新しいものに対する好奇心」

が教えてくれる。


"自分は惰性で執着していたのだと。
少しも可愛くないのは執着ではなく、
惰性なのだということを。"











執着よりも厄介な"惰性"


その「厄介な惰性」を

寄り付かせないためにも

まずは自分が新しいもの・人で

ワクワクしてみてはいかがだろうか?





惰性とおさらばし

執着を手放した自分に、


新たなものが訪れてくれるためにも。