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日本庭園       The japanese gardens

「大麻山神社」島根県・"Taimasan Shrine" Shimane pref

2020.11.21 13:31

「大麻山神社」島根県・"Taimasan Shrine" Shimane pref

大麻山神社の御由緒は889年宇多天皇の勅許により阿波国の大麻山鎮座の大神を勧請したことに始まります。平安時代以降、大麻山は神仏習合の修験地として栄え標高599mの山肌に多くの宿坊が立ち並んでいたと言われます。その中心として神宮寺・尊勝寺が創建され高野山と並び称されるほどの隆盛を誇っていました。しかし江戸後期・天保七年の長雨による地すべりで尊勝寺・大麻山神社ともに倒壊、さらに明治5年の浜田地震で大きな被害を受け、さらに戊辰戦争の戦場となり、最終的には廃仏毀釈がとどめとなって尊勝寺は廃寺になり大麻山神社だけが残ったのです。現・社務所の裏にある庭園は、今はなき尊勝寺書院の北庭でした。この庭園は枯山水様式で江戸初期〜中期に作庭された小堀遠州好みの遠州流庭園です。島根県の解説によると「蓬莱枯山水」とのこと。手前の広い平庭には白砂を敷き詰め、その背後左に築山があり三尊石・枯滝石組が置かれ、築山は八つの峰にわかれているとのことですが緩やかに微妙に起伏している程度ではっきりとはわかりません。また背景の右側はあえて築山とせず山影が青く重なる中国山地を見せて借景としています。これは杉木立の向こうに比叡山を見せる京都圓通寺庭園を彷彿とさせ山奥でありながらも雅さを漂わせています。手前の平庭の中心で一際目を引く横長の巨大な伏石は実はもともと「沓脱石」で、本来ならばそこに尊勝寺の書院があったことを示しています。平庭の面積が広すぎてやや間延びしているのはそのせいです。しかし靴脱石を庭園の景石として取り込んだおかげで築山の中心でひときわ威容を誇る巨石による枯滝とのバランスが取れていると私は感じました。その枯滝石組みは小堀遠州が活躍した安土桃山時代の豪放さを思わせ圧巻です。その両側の築山斜面を抽象的なスライムのような樹形に剪定された皐月の大刈込が覆っています。中にはとても樹高を低くしもはや斜面に貼り付いているかのごとく剪定され部分もあり、個人的には京都・退蔵院の中根金作による余香苑の滝の横の斜面を這うように剪定された刈り込みを思い出しました。このような抽象的な形状の刈込みは小堀遠州作の岡山「頼久寺」に代表される遠州流庭園の大きな特徴の一つでもあります。ですがこの手の剪定は高いスキルを有する庭師にしかできません。それもそのはず、大変珍しいことにこの庭を管理している大麻山神社の現・宮司さんは京都で修行された庭師でもあるのです。だからこそ遠州流の庭園をよく理解した上で京都仕込みの高い技術とセンスでこのような剪定をしておられるのです。京都以外でこのようにレベルの高い刈り込みに出会えるとは思っていなかったので正直驚きました。かってこの庭園は雑草におおわれ荒れていた時代もありました。しかし、現・宮司さんが就任してからこの庭は蘇ったのです。平安時代から1000年の長きに渡り神仏習合で栄えた大麻山の神宮寺・尊勝寺は失われましたが、この庭だけは残り、往時の尊勝寺の力強くも華麗なる面影をいまに伝えてくれているのです。


この尊勝寺書院北庭の入り口には平成26年に作庭された新しい神苑があります。古代神道の磐座磐境(いわくらいわさか)をテーマにした石庭で、白砂の平庭に緩やかな築山をつくり大きな石を立てて中心とし、神が鎮座されそうな上部が平たい石を幾つか置き、それらを囲むように伏石を配しています。この庭のもう一つの特徴は神の乗り物である舟のような形の自然石の大きな手水鉢を添景物として取り込んでいること。それらの自然石とは対象的に、白い加工石の一休型灯籠、さらに隣接する大麻山旧神宮寺・尊勝寺の古庭へのアプローチの役割も果たしている同じく白い切石の石畳(延段)が敷かれています。これは桂離宮の古書院御輿寄(おこしよせ)前の「真」の石畳を「行」にアレンジしたものです。この庭は神苑にふさわしく仏教性をふくまない景物だけで構成されています。それでいてこの神苑の石組みは奥の旧神宮寺の古庭とも大変よく調和しており、神仏習合の往時の姿を彷彿とさせています。


※大麻山神社(たいまさんじんじゃ)は(おおあさやまじんじゃ)とも読みます。


■名称:大麻山神社

■住所:島根県浜田市三隅町室谷1097-乙

■TEL: 0855-34-0855

■駐車場:有り・無料30台。

■アクセス:JR折居駅から車20分 ※車での訪問をお勧めします。


"Taimasan Shrine" Shimane pref

The history of Taimasan Shrine begins in 889 with the solicitation of the cannabis mountain god of Awa Province by the imperial ordinance of Emperor Uda. After the Heian period, Taimasan prospered as a training ground for Shinto and Buddhism, and it is said that many sub-temples lined up on the mountain surface at an altitude of 599 m and many Yamabushi lived there. The Sonsho Temple attached to the shrine was built as the center of the temple, and it was so powerful that it was named alongside Mt. Koya. However, both Sonsho Temple and Taimasan Shrine collapsed due to a landslide caused by a long rain in the latter half of the Edo period, and they were severely damaged by the Hamada Earthquake in 1897. Only Taimasan Shrine remained. The garden behind the current office is the now-lost Shoin North Garden of Sonsho-ji Temple. This garden is an Enshu style garden that was created in the dry landscape style from the early to mid Edo period.

There is no Tsukiyama because the flat garden in the foreground is covered with white sand, a Tsukiyama (artificial hill) is created in the left half behind it, and the Chugoku Mountains that overlap in blue are borrowed in the right half. The horizontally long stone that stands out in the center of the flat garden in the foreground is actually a shoe stone. Once upon a time, the Shoin of Rokusho-ji was built up to that place, and the flat garden was smaller than it is now. What stands out in Tsukiyama is the dynamic dry waterfall of huge stones reminiscent of the Azuchi-Momoyama era, and the topiaries of Satsuki are intricately hung on the left and right, and the height of the tree is very low, as if slime is stuck on the slope. Some parts are pruned like this, which is reminiscent of the setting of Kyoto Retirement Institute, and some parts are reminiscent of the pruning of Raikyuji Temple in Okayama. Such pruning can only be done by highly skilled gardeners. In fact, the current priest of Taimasan Shrine is a gardener trained in Kyoto. That is why pruning is done with a good understanding of the Enshu style garden style. There was a time when this garden was covered with weeds. However, the north garden of the Shoin was revived after the current priest took office. Rokusho-ji Temple, which used to be here, has been lost. However, only the garden of the Shoin still shines and conveys to us the remnants of the past.

On the day I visited, a storm blew and many leaves were blown from the cedar forest around the garden and fell into the garden. But usually this garden is very well maintained.

■ Name: Taimasan Shrine

■ Address: 1097 Murodani, Misumi-cho, Hamada City, Shimane Prefecture-Otsu

■ TEL: 0855-34-0855

■ Parking: Available / free 30 cars.

■ Access: 20 minutes by car from JR Orii Station * We recommend visiting by car.

訪問当日は終日強風が吹き荒れ、庭に杉の葉がたくさん落ちていました。これは仕方のないことで普段は綺麗に清掃管理されていますので誤解しないでください。写真を撮影しているあいだも神社の方が清掃作業をされていましたが杉の葉を取り除くとすぐに杉の葉が庭にて飛んでくるというきりがない状態でした。庭園の維持管理は本当に大変です。