「ルノワールの女性たち」3 第一回印象派展②「パリジェンヌ」
画家ルノワールが活躍を始めた、19世紀半ばのパリ。そこはまた「ファッション」が誕生した場所でもあった。つまり人々の服装が流行=ファッションによって目まぐるしく変化する、そんな現象が始まったのは、ちょうどこのころだった。流行の先端を担ったのは、ブルジョアの女性たち。彼女たちはつぎつぎ新しい服に着替えることで、それだけ服を買える自分たちの豊かさを誇示しようとした。そしてこの彼女たちの要望にこたえたのが、シーズンごとにデザイナーたちが発表する、見事なオートクチュール(高級仕立服)のドレスだった。
やがて売り出し中の画家、ルノワールのもとには、この最新のドレスをまとった女性たちが訪れるようになる。お気に入りの一着で装った最高の自分を、肖像画として永遠に残してもらうために。ルノワールは喜んで、彼女たちの願いを聞き届ける。彼にとっても願ってもないチャンスだった。そうした作品が大邸宅の壁や展覧会で人目に触れ、その出来栄えが評判になれば、ブルジョアの新しい顧客も開拓できる。というわけで、時にはモデルを少々美化して描くこともあった(モデルの写真と比べると違いがよくわかる)。ルノワールは彼女たちが着てくる、オートクチュールの美しさにすっかり魅了されてしまう。
人間を愛したルノワールは、また人間の手になるものも愛した。19世紀という、機械による、正確だけれども味気ない大量生産の品が、急速に社会に出回り始めた時代、その時代にあって、仕立て屋の父親をはじめ職人一家に生まれた彼は、手仕事のぬくもりこそが大切なのだと説きつづけた。
「彼が「進歩」にたいして加えた最大の非難は、進歩のために、個人による生産が画一的な大量生産にかわってしまったということだ。・・・たとえ日常使う品物であっても、とにかくなにかある品物が彼の興味をひくのは、それが、それを作った職人を表している場合だけだ。その職人にかわって、ひとりひとりが一行程中の特殊な役割を受け持っている多くの人々が作者となった時、ルノワールにはその品物が無名のものと見えた」(ジャン・ルノワール『わが父ルノワール』)
【作品4】「パリジェンヌ」1874年 ウェールズ国立美術館
大きな目がキュートなモデルは、駆け出しの女優、通称アンリオ夫人。ルノワールはここで、当時流行の鮮やかな青一色のドレスに、ピンクのシンプルな背景を合わせている。現代のファッション雑誌にも通じる、大胆な画面づくりだ。漠然とした空間の中に人物を配置し、おおざっぱに正面から光をあてて、スカートの向かって左手にわずかな影をつくっただけで画面の奥行きを暗示するという点で、ベラスケスやマネの影響は明らかである。アンリオ夫人の印象的な黒い瞳と几帳面に引かれた眉がくっきり浮かびあがっている。彼女が身につけている流行のガウン、手袋、そして帽子の鮮やかな青が黄色のイヤリングや金のブレスレット、袖や襟にかすかにのぞく白いブラウスと対照をなしている。それまでは傘のように広がったクリノリン・スタイルのスカートが流行していたが、この時期、前の部分は平らで、腰の後ろだけを膨らませたバッスル・スタイルが流行し始めた。この作品は、流行の衣服の見本帳のような役目も果たしている。
ポール・シニャックは1898年にこの絵についてつぎのように書いている。
「色の要領というものが実に見事に記録されている。その上単純にして美しく、なおかつ新鮮だ。20年前に描かれたこの絵を、今日アトリエからでてきたばかりだと思う人もいるかもしれない」
【作品5】「ジョルジュ・アルトマン夫人」1874年 オルセー美術館
ボリューム感のある黒が印象的なドレス。この圧倒的な存在感は、極上の生地を長い裾やリボンにたっぷりと使うことからきている。黒々とした衣服の量塊の上に乗っている夫人の顔と、スカートのところに止まっている小さな手が異様に白く何か珍しい、貴重なもののように描かれている。夫人が手に持った扇子は、ルノワールがあまり日本趣味に関心がなかった画家だったことからすれば、夫人の要望で描かれたものと思われる。モデルの夫は楽譜出版業者。背景の楽譜が乗ったピアノがそれを物語る。
1874「パリジェンヌ」
1874「アルトマン夫人の肖像」
1880「ファッション雑誌を読む女」
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