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願いと手放し、とその手放し

2020.12.05 01:00

こうなりたい!


という願望は、とても純粋で

喜びに溢れたものだ。


けれども、一方で

そうならないと私は幸せになれない。

このままではいけないという、

裏の感情が潜み、

しだいに大きくなることがある。


願望や目標に向かっているのに、 

端からみれば喜ばしいようなことなのに

苦しい。


手にいれようとしすぎて。

遠くの未来を見すぎて。

目の前が見えなくなって。


そしたら『手放す』ことがよいと

よく見聞きするうちに


今度は手放そう、

もってたら良くないんだ

それに執着しているんだと

必死に捨てようとする。


例えば、このプロジェクトを成功させたい!

という願いがあったとする。

その熱い思いで喜びに満ちていたら

よいのだけれど

悩みや大きなストレスとなることがある。


結果がでないと幸せになれない。

うまくいかない自分は努力がたりない。

あっちのプロジェクトはいいな、とてもうまくいっていて羨ましい。


のように。


さらに加えて、

こんなことを考えている自分は執着が強い、

嫌だ、手放したい。

となると

どはまりする。


結果にフォーカスがあてまくることで

現状は悪循環になり

必要以上に自分に負荷をかける。


やみくもに人に『手放せ手放せ』だけ

を言うのは表面的でなんの意味もなく

さらにその人を苦しめる。


もちろん、手放すことでいいことは

たくさんある。

手放せるなら、手放したらいい。

願いを実現しないことで

得られていることがある。


だけど、

そんなに簡単にはいかないことだってある。

病気や最愛の人の死、

別れ、

どうしても誰かと比べて羨ましく感じるとき、

やりきれない出来事、、


そんなときに、手放すことだけを

良しとするのは地獄だ。

ものごとを深く観ている人は

そんなことは決して言っていないのだ。

一方的なものの見方はしない。


今では当たり前に飛び込んでくる

情報の中で

振り回されるのは

人によって同じ言葉を使っていても

解釈や意図が全く異なるから。


わたしは、情報を選ぶ。

ひとつだけではなく、

多方面から。

どんな人が言っているのか、

その背景、そこから感じるものを含め

良いなと思えば、いったん自分の中に落として

体験として吟味する。


だから、時間はかかるけれど

府に落とし自分のものにしていく。

揺られてみるのもいい。

答えなんてないから、

自分で確かめるしかないのだから。


(これが、私をよく知っている人が納得してからじゃないと動かないといっている私の性質だ。反応は早いのだけど、そこから揺れながらおとしこむ。)


自分がドMになっているとき、

他者からの言葉で気づき、わたしはこうした。

成功させたい自分でいい、

結果を欲しがる自分でいい、

欲まみれでいいんだよ、

だってしゃーないやん。と。


ぎちぎちに縛っていたときには

このオッケーを出せることが

ひとつの自分を緩めるきっかけとなり、

少し緩むと見えてくるものがある。


うまくいかないことで、

自分に得られたことはどんなものだったのかが。

すると

自分は自分を守りたかったのだと気づき、

本当の意味で手放すことができる。


守っている自分に対して

結果を欲しがるなよ!

それは承認してもらいたいだけだろ?オラ!

とかスパルタする絵を想像したら

地獄絵図やん。可哀想すぎるやん。

やめといたろーや。

(これが好きな人はいいと思う!楽しんでできてたらすごく面白い。)


人には人のペースがあり、

深さがあり、

タイミングがある。

空いてるスペースも違う。


だから、そのままでいい。