死が起点
The role of the work of the day
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実はわたし、よく「死」について口にする方でして、例えば、「死ぬときは」 とか、「死ぬまでに」 とか、今書いてる物語もすでに死ぬシーンを3回書いていました。
その都度、リアルに想像します。その瞬間どんな感じかを。そしてさらに死んだ後のことまで想像します。
魂が光に還ったとき、こんなことを報告して、きっとこんな気分でいるのかもなぁ。などとイメージしていることが日常の中で度々あり、「遊園地に行ったみたいに楽しかったし、いろいろ体験してきたよ!」と、誰かに嬉しそうに報告している感じのイメージが浮かびます。
「死」が起点、そこから逆算して
「今を埋めている」という生き方。
いま書いてる物語では、昨夜に「未来の章」が、ほぼまとまりました。その未来までを埋めるために「現在の章」を書き上げるのと同じように。
たぶん、何かしら1人1人にはそれぞれのゴールがあって、そこへと向かっているのだと思います。平和であれ、健康であれ、こども達の幸せであれ、それぞれが持つゴールへと向かいながら毎日の選択を日々繰り返している。
私は地球全体も同じなのではないかと思っています。未来にある人類の進化へ向かうための、これまでの道のりがある。
「死」が起点
この限られた肉体の期間の中で、どう生きたいかと問いながら、創造的に自分の神話を生きているこの地球。
Valley of the Kings _Egypt Loxor
Be more creative もっと創造的であれ
Blog by Mami Grace Osada
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