「宇田川源流」 人間の生理現象まで管理する中華人民共和国の「全体主義」の行く末はスターリンや毛沢東よりも恐ろしい世界が待っている
「宇田川源流」 人間の生理現象まで管理する中華人民共和国の「全体主義」の行く末はスターリンや毛沢東よりも恐ろしい世界が待っている
中華人民共和国では、徐々に共産党による人民に対する「管理社会」が強くなってきている。そもそも共産主義というのは「個人の権利を制限して全体の利益をもたらす社会を作り出す」ということを意味しているのであって、個人の権利などは全く無視される中にある。そのために「均一化」「平準化」というのはある意味で必要概念であり、共産党という政党が決めた「人民とはこのようなものである」というような感覚がそのまま一般社会に投射され、そのような「人民像」からはみ出した人物はすべて処罰の対象とする。なぜならば、そのようなはみ出した人物は必ず集団に対して悪影響を及ぼすからである。
ところで、この「均一化」「平準化」というのは何かに似ているのではないか。本日の主題からは外れるかもしれないが、「○○らしさ」というような言葉をもって「校則」ということで大人または教職員または教育委員会というところの価値観を押し付け、その価値観から外れた人を、さすがに処罰はできない物の「停学や退学」という処分を下すというのは、何か似ているような気がする。まさに「教職員」が「管理社会」を行っているということに他ならないものである。そのうえ何か事件があれば自分たち教職員の責任とはしないあたりが、管理社会の最大な問題になる。管理しているのに管理責任を問われない仕組みそのものがおかしな矛盾を持っている。管理をしているならば、非行などもすべて管理をしているものの不注意であり、生徒を処分することではないはずであろう。それにもかかわらず、そのようなことを行い、教職員は相互に保護・擁護している状態をおかしいとはだれも思わないところが不思議である。
さて話を戻そう。その管理社会、基本的には「生理現象」は含まないということが原則であろう。服装や髪形というのは、それでも歴史上かなり多くの人々が行っている。騎馬民族が中国を征服した時に辮髪という髪形を強要したり、古くは服装の色で冠位や身分を決めてしまったりしてた時代がある。しかし、「病気になってはいけない」「死んではいけない」などということは少なくとも管理できないことなのではないか。
「便秘だったらどうする?」=15分で出ないと自動的に通報される中国のスマートトイレが物議
19日、中国メディアの観察者網によると、15分以上滞在すると自動的に管理者に通報される「スマート公衆トイレ」について、中国のネット上で議論が起きている。
2020年11月19日、中国メディアの観察者網によると、15分以上滞在すると自動的に管理者に通報される「スマート公衆トイレ」について、中国のネット上で議論が起きている。
記事によると、上海市閔行区にある公園内に警報機能付きトイレが出現した。このトイレは緊急時に手動で管理者に通報できるほか、使用時間が15分を超えた時に自動で通報を行う機能も備えているという。
この「15分間」という基準を巡り、ネットユーザーの間で議論が起きており、「こういう機能は利用者への配慮が感じられる心温まるものだ」との意見が出る一方で、「もし便秘で長時間閉じこもっていた場合はどうするのか」との声も出たほか、「機械的に時間を決めるのではなく、利用者が自分で時間を設定できるシステムにすべき」との提案も見られた。
このトイレの設置プロジェクト責任者は「特に高齢者の市民をはじめとする市民が安心安全にトイレを利用できるようにすることが目的。公衆トイレの多くは和式であり、高齢者は長時間しゃがむと足のしびれやめまいを起こしやすく危険なため、時間を区切った通報機能を付けた」と説明した。
また、仮に使用時間が15分を過ぎて通報されたとしても、警報音は近くの事務所で鳴るほか、通報で駆け付けた担当者に話をすれば、すぐに解除されるとし、「慌てる必要はない」とも話した。今回は試験的な設置であり、効果が良好であれば今後地域の広い範囲での導入を検討する見込みだという。(翻訳・編集/川尻)
2020年11月22日 09時30分 Record China
https://news.nifty.com/article/world/china/12181-854488/
ドラマなどでは、王様や大名を守って死んだ寵愛する部下に対して「死んではならぬ」などという場面がある。まあ涙をもっとも誘う場面であろう。まあ、それも命令ではなく「願望の強いものが命令口調で出たもの」でしかないので、そのことを大きく言う必要はない。つまり「死んではいけないという法律は存在しない」ということになる。
しかし管理社会が進んでくると、いつの間にか「生理現象に対して制裁が加えられるようになる」ということが始まる。ある意味で、現在の「自粛警察」なるものがそうであろう。コロナウイルスにかかったというのは、ある意味で本人の不注意もあるかもしれないが、しかしそれ以上にウイルスというものの仕業であって本人に帰責性がない場合が少なくない。しかし、そのようなことに対して理不尽に非難したり、あるいは、差別的なことを行うというのはどうしてもおかしな話である。このようなことを見ると、ある意味で日本は「村社会的な平準化社会」であり「社会主義につかくなってしまったんだな」と思ってしまう。
さて、では「トイレに行ってはいけない」と異様なことが成立するであろうか。実際に学校などでも「急を要する場合は授業中でもトイレに行くことは許される」のであり、そのことによって問題が生じるということは少ないのではないか。実際にトイレそのものは秘め事として恥ずかしいとされる行為であり、また、そのことによって体内の検査などができるし病気などもわかる。ある意味でプライバシーの塊であるということができるのではないか。
その行為を制限するということが出てきた。さすがは中国であるとしか言いようがない。もちろん公衆トイレの事であり15分以上すると警報が鳴るというのである。
上海市閔行区にある公園内に警報機能付きトイレが出現した。このトイレは緊急時に手動で管理者に通報できるほか、使用時間が15分を超えた時に自動で通報を行う機能も備えているという。<上記より抜粋>
まあ、実際に15分以上公衆トイレの中にいる人は確かに少ないし、またそのような長時間いなければならないような状態というのは様々な病気が疑われるほか、何か不穏な行為(レイプなど)の犯罪につながっている可能性もある。そのような意味で通報システムが存在する場合がある。
私の記憶では、中国の場合はすべてのホテルに警報システムがあり、盗聴と盗撮のシステムがついている。ホテルの室内における犯罪防止ということであるが、実際に、プライバシーの方が大事でないかと思う。私のいたところでは、電話機が10分以上ひっくり返っていた場合に自動的に盗聴システムが作動するようになり24時間動くようなことはしなかった。そのようなことをしても、そのデータを使いようがないし、保存もできない(当時はカセットテープとビデオテープだった)状態である。しかし、それでも何か違和感があるということになる。
さて生理現象をそこまでして管理しなければならない事情が中国には存在する。一つは「治安の悪化」ということであり、もう一つは「トイレに逃げ込む」というような逃亡、または「トイレの中で何かを投稿する」などのネットの不正使用である。つまり「他者から遮断された空間」というのがどのようなことなのかということを考え「遮断され一人になれる時間を15分に区切った」ということである。それが適当であるかどうかは別にして、そこまで管理しなければならない状況に、現在の中国はなっているということなのである。そのような「本質的な議論」をしっかりとしなければ、物事は見えてこないのではないか。今後の中国を語る時にはぜひ必要な要素の一つが「生理現象の管理」ということなのではないか。