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延喜式内 大前神社

2020.11.25 01:01

https://mana.koleaf.com/shrinesandtemples/shrine/oosakijinja_20200607  【大前神社に参拝しました 平将門公と五行川】 より

LOHA!

今日も、みなさんが笑顔になれますように。

先日、栃木県真岡市にある大前神社さんに参拝しました。

大前神社と書いて「おおさきじんじゃ」と読みます。

カーナビで読みで「おおまえ」と入れて出てこなかったので、調べたら「おおさき」でした。

ちなみに、真岡市は「もおか」と読みます。こちらも今までずっと「まおか」と読んでいました...

緊急事態宣言は解除されましたが、それでも三密は避けたいので、あまり人のいないところに行きたかったです。

近隣の神社を調べていたら、ピンときたので行ってきました。

僕の住んでいる千葉県野田市は、茨城県に近いので栃木県も思いの外近いです。

大前神社さんは、1500年以上の歴史ある延喜式内社です。

延喜式内社とは、延喜式という当時の仕組みを定めたものの、巻九・十に名前が載っている神社さんです。

延喜式の巻九・十のことを延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)と言うそうです。

延長5年(927年)にまとめられて2861社があるそうです。

とても由緒のある神社さんです。

ご祭神は、おなじみの福の神様のだいこく様とえびす様です。

大前神社さんの中に、大前恵比寿神社さんがあります。

そして、今回、行きたくなった一番の理由ですが、平将門公が大前神社さんに戦の勝利を祈願したそうです。

承平5年(935年)の承平天慶の乱のときに、勤行を五行川の御手洗に為したと伝られているそうです。

五行川は大前神社さんの隣を流れている川です。勤行川とも呼ばれています。

こちらの川で、お清めをされたそうです。

ということで、とても興味を持ちました。

カーナビで調べてみると、2時間かからないぐらいで到着します。

千葉県の九十九里浜に行くよりも遥かに近いです。(笑

ということで行ってきました。

初夏の今の時期のドライブは、とても気持ちが良いです。

うちからだと、茨城県のを抜けていきます。

道すがら、右手側に関東の霊峰、筑波山が見えます。

いつもと違って、このアングルからだと、なんとなくダイアモンドヘッドに似ています。

続きは次回です。


https://oosakijinja.com/%E3%81%94%E7%94%B1%E7%B7%92%E3%83%BB%E3%81%94%E7%A5%AD%E7%A4%BC 【延喜式内 大前神社】

ご由緒・ご祭神

大前神社は1500年有余の歴史を誇る延喜式内の名社です。ご祭神は福の神様のだいこく様とえびす様で、開運招福の願いを叶えてくれる神様です。 欝蒼とおいしげる杜には、安土桃山時代末期に造られた、 極彩色の彫刻豊かな御本殿がそびえたち、名工藤田孫平治や島村円哲工人達の足跡が偲ばれます。

大前神社の長い歴史を紐解くと、武将平将門も戦の勝利を祈願し、太平記に見える坂東荒武者・紀清両党の芳賀氏が 崇拝し、天正16年には、平家物語(大前神社本)を神前に奉納されました。そして、二宮尊徳大人も 当社のみそぎ所に籠もり大前堰を改修し、茨城県にもおよぶ大事業を完成されましたことは有名です。

えびす様 事代主神・だいこく様 大国主神

 えびす様 事代主神

 だいこく様 大国主神

御祭神は大己貴(おおなむち)神またの名を大国主・大物主・大国魂など多くのお名前があり一般的にはだいこく様と呼ばれる大国様とえびす様と親しまれる事代主神をお祀りしております。大国様は国土経営に当たり大きな袋に「もの種」を沢山詰め、背負いながら国内の農業をはじめとするあらゆる産業・生活文化の種を配り歩かれました。 悪しき者を正しき道に導き、医療の道や殖産興業を教えて歩かれたと申します。

開運招福の神様であり、健康や病気平癒をはじめ縁結び・五穀豊穣・厄除け災難除け・家内安全・産業発展など様々な御利益を与えて下さいます。 えびす様とも呼ばれる事代主神は、大国様のお子様にあたる神様で、河川海洋の守護神であり、漁業安全・大漁豊漁をはじめ商売繁盛・家業繁栄などの御利益を下さいます。 このお二人の神様を二福神と申すこともあるように、多くの御利益と教えを与えて下さいます御祭神であります。

因幡の白ウサギ

 因幡の白ウサギ

因幡の白兎の神話は、悪だくみをして鮫に毛を剥がされた白ウサギを大国様が助けるお話しで、大国様が大変優しい神様であり、医療の神様とも云われ、ひいては健康の神様ともいわれる所以です。私たちもいつも他人に優しく、朗らかな笑顔で接したいものです。

神護景雲元年( 767):大前神社の社殿再建(ご造替の初見)

延暦 十七年( 798):国司祭神社に選上

延喜  五年( 905):大前神社「延喜式」の式内社に選上される

延長  五年( 927):祈年祭に朝廷より幣帛を賜る

天正  五年(1577):芳賀高継、大前神社の御本殿を再建(国の重要文化財)

元禄  元年(1688):拝殿再建(国の重要文化財)

宝永  四年(1707):御本殿の全面改修がなされ、棟梁藤田孫平治の下に彫刻師島村円哲ら名工による現存する彫刻と彩色が完成

亮保 十五年(1730):御本殿・拝殿の屋根檜葺替工事と鳥居の改修がされた

宝暦 十二年(1762):御本殿・拝殿の彩色大修繕と、屋根葺替工事が棟梁磯辺儀左ェ門信秀らにより行われた

亮和  二年(1802):現存の両部鳥居が造営(当社所蔵「元禄絵図」の神域内第二鳥居の位置(国の重要文化財)拝殿の改修

文政  八年(1825):現存の神楽殿が造営

文政  十年(1827):二宮金次郎 大前堰を尊徳仕法による洗堰に改修

天保  十年(1839):御本殿改修、「永代大大御神楽之碑」建立(神主源忠義の文・安達元善筆)

文久  二年(1862):御本殿屋根葺替工事、神主風野筑前筆「大前神社由緒並び社殿造営綴」に氏子内外の寄進名主と村戸数奉賛額が記名

明治  十年(1877):社格が「栃木県社」に列せられる

明治 二三年(1890):御本殿改修。一ノ鳥居に次いで、花崗岩神明造り「二ノ鳥居」を久保六平奉納

明治 四十年(1900):神饌幣帛料供進之社に指定

延喜式の(神名帳)に掲載された神社を延喜式内社又は式内社といいます。当時朝廷より幣帛、供物が届けられた由緒正しい神社です。

下野国には十二社あり、千百年余の昔から今日まで、式内社巡拝が行われております。

延喜式(えんぎしき)…奈良、平安時代に神祗制度を確立するために作られた法典です


https://tabi-mag.jp/tg0171/ 【大前神社】より

栃木県真岡市にある平安時代編纂の『延喜式神名帳』にも記載される古社が、大前神社(おおさきじんじゃ)。福の神「大黒様」として名高い大国主大神、そして「恵比寿様」として知られる事代主大神を祀っています。本殿、幣殿・拝殿は国の重要文化財。境内には平成元年、「日本一えびす様」大前恵比寿神社も建立されています。

末社の足尾山神社は「バイク神社」として有名

かつては神社北側に芳賀沼があり、その突端に位置することから大前(崎)と呼ばれたもの。

神護景雲年間(767年〜770年)に社殿創建という古社で、明治以前の神仏習合時代には薬師如来を配して、大前大権現と呼ばれていました。

承平5年(935年)、平将門は承平天慶の乱(じょうへいてんぎょうのらん=平将門の乱)を起こすにあたり、大前神社で合戦の勝利を祈願したと伝わっています。

宝永4年(1707年)築の本殿、17世紀末頃築の拝殿と幣殿は、関東各地から技量の優れた大工を招いて建てられたもので、国の重要文化財に指定されています。

末社の足尾山神社は、二輪車・バイクの交通安全祈願発祥、「二輪車守護」の神社で、御朱印も用意されています。

また、ホンダ、カワサキ、スズキ、ヤマハのオートバイがそれぞれ描かれた「バイク絵馬」も授与。


http://hotyu.starfree.jp/2historicalspots/ashiosanzinzya/ashiosanzinzya.html 【大前神社/足尾山神社他 真岡市】 より

〇大前神社  真岡市東郷937 0285-82-2509

 大前神社の東には、五行川が流れています。(五行川水源)

 五行川と関わりの深い神社です。

 神様のお使いは「鯉」です。

 説明板

 「 大前神社(おおさきじんじゃ)

芳賀氏の信仰した神社で、本殿は桃山末期(1590年頃)に造られたものです。建物のいたるところに彫刻がみられ、権現造りの発達を知る上で大切な建物であり、写真のような彫刻もあります。本殿、拝殿、両部鳥居、銅燈ろう、太刀、版本大般若経、大前神社本平家物語などは、県指定文化財となっています。また五行川の堰は、二宮尊徳の監督のもとに修築した大前堰です。  環境省・栃木県 」

 <大前神社の神使「鯉」の話>

  説明板

 「 大前神社の神使「鯉」の話

当社の神様のお使いは「鯉」です。神職は鯉を食してはいけない決まりです。本殿や拝殿には鯉の彫刻や絵が残され、日本一のえびす様も鯛ではなく鯉を抱いています。そんな「鯉」にまつわる下野民話をご紹介します。この民話は当社の隣を流れる五行川で捕れた鯉を食べようとした侍の話です。鯉から流れた血が「大前大権現」という字に見え、怖くなった侍は神社で訳を話して祈祷をしてもらったそうです。五行川の鯉は食べてはならないことを知らなかったのでしょう。この出来事をきっかけに、お参りする時は生きた鯉と共に神社に参拝し、御神酒を飲ませた鯉を五行川に放流すると願いが叶うと言われるようになりました。

多くの参拝者がそうしたので、お陰で五行川にはたくさんの鯉が住むようになったのです。

鯉は大変生命力が強い魚で、鯉の滝登りと言ったり、端午の節句に鯉のぼりを上げるように立身出世の象徴でもあります。当社には三匹の鯉模様の絵馬があります。

神様、お使いの鯉、願い主を表し、鯉が皆様の願いを神様に届けてくれるよう奉製した当社唯一の絵馬です。 」

<足尾山神社>

足尾山神社の御祭神は、猿田彦大神と天宇受賣命で、筑波の足尾神社の御祭神とは異なります。鞘堂の壁に草鞋が奉納されています。大前神社の神主さんのブログによると、「足尾山神社の御祭神は、足尾山神・猿田毘古神です。足尾山は、茨城県にある山で葦穂山とも記され、山には足尾山神社が鎮まっています。」とあります。足尾神社と関連があるのかもしれません。

<二輪車守護の神社>

パネルになっている「空ちゃん」は、雑誌「ミスターバイク」連載の「空ちゃんの旅」の主人公(真岡市出身)です。川崎のボンベの奉納など、バイク関連が盛りだくさん。    <摂末社>

明眼神社、淡島神社、皇大神宮、姫神神社・荒樫神社、大物主大國魂神社、天満宮、荒神社<大前恵比須神社>  真岡市東郷943 0285-84-2200

恵比須様が持っているのは、鯛ではなく鯉です。

<子安神社>  真岡市東郷946

<大前恵比須神社鳥居>

大前恵比須神社の参道は、大前神社参道を横切っていて、二宮神社の前に鳥居があります。

鳥居の両脇には、狛犬ではなく、獏(バク)がいます。恵比須バク(左手に夢袋)と、大国バク(左手に小槌)。「九難除け神社/夢福神めぐり」9か所の神社に夢福神。9か所以外に、東照温泉の湯舟に、真岡市大前神社拝受と説明のあるバクがいます。

そちらのバクは右手に夢袋です(これが一般的なようです)。      

<大前二宮神社>

説明板
「 大前二宮神社

当大前二宮神社は、先生の偉業起点である大前堰と穴川用水口を一望できる良処を選び、鎮座したお宮です。平成21年11月16日諒闇の中、桜町二宮神社からご分霊を勧請した。この本殿は「桜町陣屋」隣接地に先生の神霊を奉斎した、第二代目の御殿です。ご神徳は、広大に行き渡り、五穀豊穣と恵みの水・川の安全長久をお守りくださいます。 」

説明板
「 御手洗川と神使の鯉

五行川は、昔から大前神社の御手洗川と称せられます。 本宮は神護景雲元年(767)にご造替され、五行川の恵みで神苑の森を育みました。この御手洗川には「神使の鯉」が群生し、桜や紅葉が四季の季節を川面に映してきました。その為、神社では古来からこの神使の鯉を一切口にいたしません。 栃木県文化財指定のご本殿と拝殿には、「雌雄の鯉」を始め、「琴高仙人(鯉に乗る)」や「鯉が登竜門を超えて龍になる」構図の絵が在ります。是非ともご高覧ください。 」

説明板

「 平将門公と大前堰下の勤行川
平将門、天慶2年(939)常陸国を、皮切に下野国次いで、上野国・武蔵国・相模国を領有する。この時、当社戦勝祈願参拝の折、御手洗川の五行川大前堰で禊・潔斎の行を厳修した。この言われから、大前堰の下流を「勤行川」と記し、「ごぎょうがわ」と同称する。この時堰下の一の鳥居前に、記念樹の「欅」を植栽した。現在の欅は二代目。 」
 裏手に「稲荷神社・琴平神社」があります。

 <大前堰(二宮堰)>

五行川川辺に、二宮尊徳の監督のもとに修築した大前堰の碑があります。「二宮先生遺跡大前堰」(昭和13年(1938年)建立)大前堰の魚道もしっかりしています。対岸には穴川用水の水門が見えます。

http://hotyu.starfree.jp/historicalspots/kitsuregawakyuuseki/kitsuregawakyuuseki.html#%E4%BA%94%E8%A1%8C%E5%B7%9D%E6%B0%B4%E6%BA%90 【○五行川水源】より

昔は鬼怒川の伏流水が各所に湧き出て、これが五行川の水源でしたが、現在は、「市の掘用水」を水源としています。

 説明板:

「五行川水源地

五行川は氏家町北部を水源とし、真岡を経て茨城県下館で小貝川に合流する長さ55kmの川です。その水源地は長久保とされていますが、昭和初期ごろまでは、きぬ川学院のある台地の下は湿地で、そこに地下水が押上の旧信国寺の池やその周辺からも湧き水となって流れ、台地のふもとの低湿地に および、むかしから「中荒」の地名があります。それに長久保からも湧き水が集合して五行川の水源 となっていきました。長久保村の古い神社は天神社の奥にある湯殿権現で水神と関係があり、水源地の祀られました。戦後、森林は開発され、鬼怒川の水量は減少し、地下水も枯れ、水源地の面影は見られませんが、五行川はここを出発点として氏家・高根沢・真岡地方の穀倉地帯を潤す「命の水」となっています。


http://www.toshogu.jp/blog/2015/10/post-54.html  【大前神社の大大御神楽が奉納されました】  より

10月3日(土)、五重塔前特設舞台で真岡市大前神社の大大御神楽宮毘講による大大御神楽が奉納されました。大大神楽は『古事記』や『日本書紀』に記された神々の古伝承に取材した神楽で、大前神社の神職さんが場面説明を加えながら、次の五演目を披露して下さいました。

①五行の舞...万物を構成する五行(木・火・土・金・水)が活動をおこす様を舞う。

②天狐白狐の舞...狐が植えた稲を稲荷社の神である宇迦之御魂神が刈り取る。舞の途中で、実りを表す餅を観客に向かって撒き、神酒をふるまう。

③猿田彦の舞...天孫降臨に際して道案内をしたという猿田彦神の舞。

④恵比寿・大国の舞...恵比寿様が鯛を釣り上げ、大国様が米俵を担ぎ打ち出の小槌を振いながら現れる縁起の良い舞。俵の中から取り出した餅を観客に撒く。大前神社の御祭神が主役の神楽。

⑤天岩戸の舞...天宇受売神の舞に続いて手力男神が現れ、岩戸を外して天照大御神に岩戸から出ていただく。

 最後に、説明を担当した神職さんが、「神楽の伝承が難しくなってきているので、皆様には地元の郷土芸能を大切にしていただきたい」と訴えて、奉納神楽は終了いたしました。