意味不明な“自分ごと”という言葉、それは“死んでいる”に等しい
【人生考察】 まず「他人(ヒト)事」から理解する。ある事柄が当事者にも関わず、ある事柄を当事者として捉えない事を「他人事」という。
「あなたの事なのに、他人事だね。」
「彼はいつも他人事のよう。」
やや馬鹿にしている言い回しでもある。なぜなら、その当事者を指しているのに、理解してないから。認知力に問題があるものとみなされる。
そして、まるで他人事の対義語のように「自分ごと」という言葉がある。毎日新聞・校閲センタが運営している「毎日ことば」では、この言葉を調査。「おかしな言い方」と考える人は七割に上った。発端は電通系のようだ。流石と言うべきか。
前述のように他人事は、当事者が自身の事と捉えない。「自分ごと」とは一体、どんな状態なのだろうか。
「自分ごととして捉える。」
「自分ごと化する。」
この人は普段、誰の事として周りの事を捉えているのだろうか。極論、誰の人生を生きているのだろうか。「自分ごと」という言葉があった場合、「自分ごと」として捉えない時は、その人は一体、誰なのか。でも、その人は生きている。まったくもって意味不明となる。
生きている以上、身の回りに起こる全ての事は、当事者である自身の事。
「関係が無い。」
これは本来「関係が薄い。」ないし「関係が遠い。」であって、まったくの皆無ではない。政治だろうが、友達の相談ごとだろうが、関係は薄くとも、遠くとも必ずある。生きているからに他ならない。後者は特に自身に相談をしているので、正に当事者。答え方次第で相談者が意思決定をするかもしれない。
「自分ごととして捉える事ができない。」
それは認知力や勉学の問題だ。別の言い方なら、「どう自身に関係・関与するのかが、分からない。」となるだろう。分からないなら、聴けば良い。「分からない」で話を止めれば、知性は低下するに決まっている。思考の放棄を重ねれば、単細胞化し、日常のやるべき事を覚える事もできなくなってくる。その結果が、若年性認知症。
仕事であれば、積極的にするのは、自身の収入の為に他ならない(ここではボランティア等の“諸活動”は含まない。あくまでも仕事)。
積極的にしても収入に何ら繋がらないなら、消極的が妥当だ。
この場合、単に職場が悪い。
「自分ごととして捉える事ができない。」
これは誤りで、
「積極的にしても収入に繋がらないから、消極的です。最低限しかやりません。積極的にするメリットを下さい。」
とオーダーする事が妥当。
中高年以上はケチが多いので、注意する。
ゆとり世代以下は国語力が落ちている。もし、そうだと、そもそも文章にする事ができない。「分からない。」「関係が無い。」は典型的。米国ではスラングに頼り過ぎると、英語力が落ちるとされる。何でも「Good!」「Happy!」と決まりきった英単語しか使わなくなり、トランプのような幼稚な英語で伝わってしまう。高校生以上の文法は、そもそも理解ができない。
ゆとり世代は学校教育ではなく、LINE等の「短文→単語→記号・スタンプ」でやり取りしている為、文章構成能力が劣ってきている。だから、仕事上だとコミュニケーションが取れても、プライベートの方がコミュニケーションが取れない、という逆転現象が起きている。
よって孤独感が増す。
仕事では、文章でコミュニケーションをしている。
文章だから、双方が理解できる(例;AmazonがPPTを使わず、文章で会議等)。
記号・スタンプは、そもそも言葉ではないので、双方は理解できない。
感嘆詞でコミュニケーションは取れない。
理解し合っていると勘違いしているだけだ。
仕事では、そうはいかない。
きちんと双方が擦り合わせないと、大きなミスになってしまう。
だから注意もする。
もし「自分ごと化」しなければならないのなら、その人は実質的に死んでいるに等しい。
「生きている事を捉える事ができない。」を意味する。
これでは、ただの肉塊だ。
生きている以上、どんな事でも当事者。
決して自身を他人事にしてはいけない。
記事:羽田野正法