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抗議し、守り、築く

2020.11.26 10:05

サティシュ・クマールは変革のための国際的な活動を歓迎 しています。

翻訳:竹田 真里

世界中で、何百万人という人たちが変革のため、活動に参加しています。しっくりく る言葉が欲しくて、私はこれをホリスティックな環境活動と呼んでいます。形容詞で ある「ホリスティック(全体的な)」という言葉を付けて、この世界的な活動は、自 然環境と社会環境、スピリチュアルな環境をより質の高いものにするよう専念してい く、またその必要があるということを示しています。

私がこの 3 つの環境を一緒に提起している理由は、もし生態系が健全な状態になけ れば社会の福利はなく、病気の惑星に健全な人々が住むことは不可能だからです。同 様に、社会が公平でなければ、環境の秩序は保たれません。なぜなら、もし多くの人が生きることに対して憂鬱で苦 しみを感じているならば、惑星の健全性に心を留めていられるような能力やエネルギー、機会を得られないからで す。私たちの世界観の基礎となり特徴付けるスピリチャルな価値がなければ、生態系の持続可能性や社会の結束は表 面的でうわべだけのものになってしまいます。 私たち活動家はホリスティックな環境活動において、抗議し、守り、築くという同時に 3 つの観点で行動していま す。 まずはじめに、抗議します。不当な規則、壊れやすい生態系システムと善良な社会システムを脅かす勢力に対して 立ち上がります。 過去と現在における全ての素晴らしい社会活動は、自然界の持続可能でない開発、また、弱い立場の人々への不当 な征服(階級や身分、人種、宗教、経済成長その他の名の下に、これまでも今でも手慣れたもの)を目立たせるため に抗議という手段を使ってきました。絶滅への反逆(Extinction Rebellion)の活動やグレタ・トゥーンベリなど世界中 の数千人の若者たちの学校ストライキは、この抗議のやり方を使った環境運動の 2 つの実例です。同様に、世界的に 広がったブラック・ライブズ・マターのデモは、社会運動としての抗議の実例です。 一般の市民を巻き込むためには、抗議活動はもちろん非暴力で平和的に行われるべきです。非暴力で行われた運動 や消極的抵抗を通じて、大きな変化が成し遂げられてきたことを歴史が教えてくれます。インド独立を求めてマハト マ・ガンジーが、アメリカの人種的調和に向けてマーティン・ルーサーキングが主導した活動は、社会の理不尽な規 則に対し非暴力によって抵抗した輝かしい実話の内の 2 つです。 しかし、孤独に抵抗するだけでは十分ではありません。私たちは、今存在しているローカル経済やその土地ならで はの固有の文化、人間らしい規模(ヒューマンスケール)のオーガニック農場のような、公平で、非中央集権的、再 生可能で、持続可能な文化やシステムも守っていかねばなりません。生物の多様性や文化の多様性を守る必要があるのです。多くの試練に耐えてきた伝統や風習は、絶えず進歩と発展という名のもとに壊されてきました。固有のコ ミュニティは時代遅れかのように扱われ、いわゆる文明という道に従うよう虐げられてきたのです。スピーディに都 市化が進む中、栄えていた村や地方の地域社会は大きなショックを受けました。急速な工業化や機械化に向かう過程 で、美術、工芸や家内工業は除外されてきたのです。世界の食料の最低 60% を今だに生産している自給的循環型の小 さな農場は重要視されず、彼らの生活は脅かされています。急速に進んだグローバル化は、ローカル経済の機能を低 下させてしまいました。もちろんこのような傾向や集約的なエネルギー生産、無駄な消費、地球温暖化の原因となる 無制限の二酸化炭素排出量に対して抗議します。しかし、私たちは抗議だけでなく、首尾一貫した地域社会や昔の文 化が尊重され、大切にされ、守られるように活動しています。 既存の耐久性のある文化の保護に向けたこの一歩は、まだ十分ではありません。また、代替案を作る必要もありま す。集約的でないローカル経済、持続可能で小規模なビジネス、そして農業生態学やパーマカルチャーのような農法 をベースとした再生可能な農業のプロジェクトを作り上げていかねばなりません。大切な地球の調和を乱さず、全て の命、人間とその他の生き物の幸福を阻害することなく、若者や年配者の両方にどうやってより良く生きるかを教え る新しい教育機関やプログラムも作る必要があります。風、水、太陽を利用したエネルギーシステムを所有する地域 社会を作らねばなりません。団結、協力、相互支援が根付いた生き方ができる人たちの新しく前向きなコミュニティ を作ることが大切です。このような成功した代替例は、より回復力のある再生可能な未来につながる建設的な活動に 参加するよう人々に影響を与え、説得することができます。 抗議し、守り、築くというこの三位一体はうわべの変化のみに限りません。外的変化を補完するためには、スピリ チュアルな環境を育む内面の変化が必要です。物質主義、消費主義、欲求、権力と金銭欲にうまく立ち向かうために は、物質主義でないものへの価値を受け入れる必要があります。そしてコミュニティの結束と社会の調和を守るため に利他主義を啓発し、評判、名声、評価、地位、身分という利己的なものへの追求を越えていかなければなりません。 このような内面の変化のためには、心の変化、態度の変化、価値観や考え方の変化、世界観の変化、最終的には意識 の変化が必要です。外的な変化は、内的な変化と手を携えて行かねばなりません。 抗議、保護活動は生命の調和と尊厳に対する深い認識と全ての生命が神聖なものであるという深い信念に根付いた ものである必要があります。神聖な感覚を受け入れることで全ての命への深い思いやりや敬意を育みます。つつまし さ、シンプルさ、節度と自制心を養います。外部システムの変化を要求しながら、その変化を体現することになりま す。二本の足で歩くことと同じように個人的変化と政治的変化は、同時に起こるプロセスです。 国際的なホリスティックな環境活動は、資本主義対社会主義の二元論的な策略を超えたところにあります。これら 「主義(イズム)」は人間中心である一方、ホリスティックな環境活動は生命中心です。 資本主義は、金融資本と利益目的を全ての人間の活動の中心にしてしまいます。資本主義において、人々は利益の ための道具となり、自然は経済のための資源になりますが、ホリスティックな環境活動においては、お金や経済は単 なる目的のための手段にしかすぎず、その目的とは人々と地球のために幸福を創ることです。自然は金銭的利益を上 げるために利用される経済のための資源ではなく、生命そのものの資源なのです。 社会主義は、その言葉が意味するように、自然環境の重要性よりも社会的利益を大切にしています。歴史的にみて も、社会主義は結局、大規模、中央集権的、工業的、国家資本主義を含んでいることがわかっています。民主的な社 会主義はもちろん資本主義よりも良いですが、「社会主義」という言葉は、人間中心です。ホリスティックな環境活動家は、社会的連帯と社会正義を主張しますが、特定の政治哲学に固執するわけではありません。さらに、社会正義 と地球法学は相互に不可分のものです。 ホリスティックな環境活動は、参加型の民主主義を通して、ローカルで、非中央集権的な、人間らしい規模(ヒュー マンスケール)、多元的共同主義で、ボトムアップの経済と政治を促進しています。ホリスティックな環境活動家 は、生産と消費の量よりも生活の質に重きを置いています。彼らは、経済成長よりもむしろ人々と地球の幸福度を高 めることに重点を置いているのです。ディープエコロジーの視点では、経済と政治は人々に与えるのと同じくらい母 なる地球への恩恵を与えるべきだと主張しています。母なる地球の権利は人権と同じく根本的なものです。この 2 つ の間に矛盾はありません。 私たちは、自然の調和や社会的連帯、個々人の悟りといった完璧な状態を達成することはできないかもしれません が、バランスの取れた状態になるよう努力し続けています。変革というのは、到着地ではなく生涯にわたる旅です。 変革は、成果物ではなくプロセスなのです。変革とは、静的な状態ではなく、留まることなく進化し続けることなの です。

サティシュ・クマール (Satish Kumar) は「エレガント・シンプリシティ (Elegant Simplicity)」の著者。www.resur- gence.org/shop で購入可能。

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