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粋なカエサル

「ルノワールの女性たち」8 ジャポニスム

2020.11.26 20:25

 パリで爆発的な日本ブームが起きたきっかけは、1867年の第2回パリ万国博覧会。日本が、万博に公式出品したのもこの時が初めてだ。この時、日本の展示物で高い評価を得たのは、和紙(銅版画の用紙として珍重されていたが、改めてその品質の良さが認識された)、金銀蒔絵(鶴亀、松竹梅、富士、龍などの日本独特の図柄が話題になった)、武者人形(鎧をまとった等身大の武者人形に、「サムライ」ブームが巻き起こるった)、陶器(大量の注文・購入が行われた。特に薩摩焼は、飛ぶように売れ「SATSUMA」として世界的な薩摩焼のブームが起こった)。マネ、モネも生活を装飾する日本の美術工芸品を多くの作品の中に取り入れるようになっていった。1878年、フランスのある美術専門誌に掲載された「パリの日本」“Le Japon à Paris”(著者はエルネスト・シェノー)は、1867年の第2回パリ万国博覧会以前からの日本美術蒐集の実態とフランス美術に与えた影響についての次のように考察している。

「日本美術の趣味がパリに確実に根を下ろし、愛好家たちや社交界の人々に伝わり、その後工芸品に幅を利かせたのは、わが国の画家たちを介してである。・・・・その熱狂は、導火線の上を走る炎のような素早さで、すべてのアトリエに広がった。」

【作品12】「団扇を持つ少女」1881年 クラーク美術館

 小さい作品ながら、色彩の鮮やかさが多くの人を魅了する作品である。このモデルは、コメディー=フランセーズの人気女優であったジャンヌ・サマリー。彼女の楽屋は日本趣味で飾られ、天井には団扇や扇子が貼り付けられており、ちょうちんがぶらさがっていた。本作品は、おそらく彼女の楽屋で描かれたものであろう。

 当時流行していた英国風タータンチェックの旅行着を着ている姿や、手に持たれた日本の団扇など、当時の流行を取り入れた作品といえる。1878年のパリ万国博覧会の開催によって、ジャポニスム(日本趣味)が大流行していた時期でもあり、団扇のほか、当時の流行の花でもあった日本の菊を思わせる花々が描かれている。

 ルノワールは、元々磁器の絵付職人であったのだが、1858年、産業革命や機械化の影響は伝統的な磁器絵付けの世界にも影響し、職人としての仕事を失ったため、画家に転向した。ルノワールは、職人としての確かな目で、当時の流行であった日本の工芸品に対しては興味を持っており、一時、この「 団扇を持つ少女」や「 読書するカミーユ・モネ夫人」で団扇を効果的に使ったり、他にも日本の屏風や唐傘などを使った絵を描いている。ところが、ルノワールは、当時評判が高かったシャルパンティエ夫人が自邸で催すサロンに出入りし、文化人や芸能人の知己を得ていたのだが、当時の裕福な家では、日本趣味が流行っており、裕福な出版業者ジョルジュ・シャルパンティエ家も例外ではなかった。 そして、あるときルノワールは、シャルパンティエ家などで、あまりに日本の物が溢れかえっていたので、辟易して、かえって 嫌いになってしまったそようだ。

【作品13】「読書するカミーユ・モネ」1872年 クラーク美術館

 この年、クロードとカミーユのモネ夫妻は結婚3年目。落ち着いた生活を送る親友のもとを、独身のルノワールはしばしば訪れた。ゆったりしたドレスを身につけたモネ夫人のカミーユは、刺繍の施されたソファに座り、読書をしている。パリで初めて廉価本が売られた1852年以降、読書市場および出版産業は飛躍的発展を遂げたから、カミーユが手にしているペーパーバック本は、すでに珍しいものではなく、人々は気軽に読書を楽しむことができるようになった。画面左に窓があるのだろうか。カミーユは温かな光に包まれている。部屋の壁には日本風の団扇が飾られており、カミーユの室内着は中近東のカフタンと呼ばれる民族衣装を模したものである。ジャポニスム(日本趣味)やオリエンタリスム(東方趣味)の影響を感じさせる。

1881「団扇を持つ少女」クラーク美術館

1872「読書するクロード・モネ夫人」クラーク美術館

1867年モネ「ラ・ジャポネーズ」ボストン美術館

1874年マネ「ニナ・ド・カリアスの肖像」

フェリックス・フルヌリ「コメディー・フランセーズのジャンヌ・サマリーの楽屋」1880年頃 コメディー・フランセーズ博物館


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