乗り初め(会津美里町「伊佐須美神社 初詣」) 2021年 冬
2021年、今年最初のJR只見線の列車旅は、会津美里町にある会津総鎮守府「伊佐須美神社」で初詣をした。
「伊佐須美神社」の社格は高く、会津総鎮守府であり、岩城国一之宮になっている。そして、何より“会津”の名の由来にまつわる神話を持っている。会津総鎮守・伊佐須美神社のホームページの由緒と社格の項には以下のような記述がある。
(引用)
我が国最古の歴史書とされる『古事記』には「大毘古命は先の命のまにまに、高志国に罷り行きき。ここに東の方より遣はさえし建沼河別、その父大毘古と共に相津に往き遇ひき。かれ、そこを相津と謂ふ。ここを以ちて各遣はさえし国の政を和平して覆奏しき。ここに天の下太平けく、人民富み栄えき。」とあり、“会津”地名発祥の由来と創始を共にしております。(出処:伊佐須美神社HP URL:http://isasumi.or.jp/)
記紀には、第10代の崇神天皇(参考:宮内庁「天皇系図」)の世に、全国を教化するために四道将軍を派遣した記されており、「古事記」には北陸道を進んだ大毘古命(大彦命)と東海道を進んだ建沼河別命(武渟川別)の親子が出会った場所が相津(あいづ)と記され、会津の名の由来とされている。*参考:拙著「金山町「本名御神楽・御神楽岳 登山」 2019年 初夏」(2019年6月2日)
新型コロナウィルスの事があり、「伊佐須美神社」初詣は三が日を避け、できるだけ人に会わぬよう早朝の参拝をすることにした。参拝後は、再び只見線の列車に乗って三島町まで足を延ばし、早戸温泉「つるの湯」に立ち寄ってから、富岡に帰ることにした。
*参考:
・福島県:JR只見線 福島県情報ポータルサイト
・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」(PDF) (2013年5月22日)
・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線の冬ー
会津若松市内に前泊し、今朝、始発列車に乗るために会津若松駅に向かう。昨夜から雪は降り続いてた。今年は、昨年の暖冬から一変し、雪が多いようで只見線にとっては運休などで受難の冬になりそうだ。
切符を購入し、改札を通り、連絡橋を渡り只見線のホームを見下ろすと、列車の姿は無かった。だが、引き込み線から本線に入った列車が、まもなく入線してきた。
列車が停車してからホームに下り、後部車両に乗り込んだ。
6:03、只見線の始発列車が会津若松を出発。私が乗った車両には他1名、先頭車両は2名の客だった。
会津高田駅までは240円。隣町ということで近い。
列車は、雪降る未明の暗闇を進み、七日町、西若松を経て、会津本郷出発直後に会津美里町に入った。
6:24、会津高田に到着。降りたのは私一人で、高校生一人が、送ってきた父親の見守る中乗り込んだ。ホームでは雪かきをされる作業員がいた。
「伊佐須美神社」を目指して移動を開始。駅前から国道401号線に出て、薄暗い道を歩いた。駅から神社までは1.8kmで、“気軽にひょいっ”という距離でもないが、歩いて行けなくはない。
会津美里町公民館前に立つ高田生まれの“”黒衣の宰相”、「天海大僧正」様は雪の法衣を纏っていた。
駅から1,500mほど歩き、高田インフォメーションセンターが見え左折。アスファルトが露わになった県道130号線に入ると、正面に鎮守の森が見えてきた。
鎮守の森を正面に見て、突き当りを右折すると、前方に参道入口を示す大きな看板が見えた。雪に覆われた道を進み、神社の鳥居に向かった。
6:50、「伊佐須美神社」に到着。鳥居には大きな破魔矢が取り付けられ、周囲には初詣客を見込んだ出店が数多くあった。が、三が日を過ぎたからであろうか、参道は除雪はされていなかった。鳥居前で一礼し、雪を踏みしめながら拝殿に向かった。
参道を進むと、手水場は閉ざされ、臨時手水所が設けられていた。
半分に割った竹を上下に渡し、上段に手水場から引かれた水を流し、小さな穴から落とし下段で排水するというものだった。工夫に感心した。
手水場のそばに建つ桜門。本殿が焼失(2008(平成20)年10月29日)したため、現在の「伊佐須美神社」を象徴している。照明を受け、浮かび上がっていた。
左右の門柱には、仁王ではなく、前述した古事記に記載のある“親子将”の立像がある。向かって右の間に、剣を地面に立てる父親の大毘古命(おおひこのみこと)。
向かって左の間に、槍を持つ息子の建沼河別命(たけぬなかわわけのみこと) 。
桜門をくぐり、仮社殿(本殿)に向かう。ここも新型コロナ対策で中央の鈴緒は取り除かれ、両脇のものは柱に括りつけられていた。正面に立ち、正礼で参拝し、コロナ禍の一日でも早い収束、家族の健康、福島県と国の繁栄を祈った。
桜門と仮社殿の間には、会津五桜の一つ「薄墨桜」がある。石碑には「世の中の心や深く染めぬらんうすすみ桜あかぬ色香に」と会津藩主・松平容保公が詠んだ歌が刻まれている。
『一枝に一重と八重が混じり早咲き遅咲きもある珍しい桜で、植物学上からも貴重な銘木』ということで、春には特徴的な咲きっぷりと美しい姿が見られる。
鳥居を抜け境内を出ると、外苑の西には樹齢約300年のエドヒガンザクラ「高天原 神代桜」がある。
こちらは、紅色の花びらが古木を彩り、「伊佐須美神社」のいにしえからの春を思わせてくれるような光景を見せてくれる。
会津美里町は見ごたえのある桜が多い。綿帽子を被った桜を見ると、来たる春の華やかさが一層楽しみになった。 *参考:拙著「会津美里町「桜、桜、桜」 2019年 春」(2019年4月20日)
「伊佐須美神社」を後にし、近くのコンビで地酒を調達してから、会津高田駅に戻った。
道中、雪は降り続き、リュックにぶら下げている赤べこ「あかべぇ」は綿帽子を被っていた。
列車が到着するまで、駅舎で待った。暖房は無かったが、しんしんと雪が降る時は、体感温はさほど低くは無く、耐えられた。
積もった雪に目を凝らすと、結晶が見られた。久しぶりに見たが、美しいと思った。
20分ほどで、会津若松方面から下り列車がやってきた。
列車は三両編成だった。いつもは二両編成だが、駆動力を高め雪の影響を受けずに走行するため三連結にしたのだろうかと思った。
列車からは、多くの県立大沼高生が降り、車掌に定期券を見せたのち、学校に向け歩き始めた。
8:02、会津川口行きの列車が会津高田を出発。乗り込んだ最後尾の車両には4名の客が居た。早戸駅までの運賃は770円。
列車は進路を真北に変え、新雪に覆われた田園の中を進む。
列車は根岸、新鶴を経て、若宮から会津坂下町に入り、会津坂下で待機していた上り列車とすれ違いを行った。
車内が静かになり、「伊佐須美神社」近くのコンビニで入手した会津美里町の地酒、白井酒造店の「萬代芳 生酒」を、一杯だけ呑んだ。しっかりと冷えていたが、香り立ち、コクがあって旨かった。
会津坂下を出発すると、ディーゼルエンジンの出力を上げ七折峠の登坂を始めた。
列車は順調に進み、登坂途上の塔寺でも無事に停発車し、登坂を終えて会津坂本を経て、柳津町に入り、会津柳津を出発し郷戸手前で“Myビューポイント”で、雪雲に覆われた飯谷山(783m)があるであろう空間を眺めた。
滝谷を出発し、滝谷川橋梁を渡り、三島町に入る。木々に綿帽子が残り、滝谷川の一筋が水墨画のような美しさを見せていた。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス「歴史的鋼橋集覧」
会津桧原を出て桧の原トンネルを抜け「第一只見川橋梁」を渡る。只見川は群青色で、雪景色に調和していた。
会津西方出発直後に「第二只見川橋梁」を渡る。三坂山(831.6m)も雪雲に覆われていた。
会津宮下では、今朝私が乗った列車が会津川口で折り返しとなった会津若松行きと、すれ違いを行った。
会津宮下出発後、列車は東北電力㈱宮下発電所・宮下ダムを脇を通りぬける。平行して延びる県道237号(小栗山宮下)線は、この時期、区間通行止めになっていて、発電所・ダムの管理者が利用するだけになっている。
柳津ダム湖から宮下ダム湖に変わった只見川沿いを進む。
少しだけ只見川と離れ、「第三只見川橋梁」を渡る。国道252号線・高清水スノーシェッドの一部が、のぞき窓のように見えた。
渡河直後に滝原トンネルを抜け、短い明り区間を走ると、綿帽子を被った木々が綺麗に見えた。
早戸トンネルを抜け、早戸に到着。私の他、2人組が降りた。
ホームに前に広がる景色。
コンクリート造りの小さな駅舎。
早戸駅周辺には民家は無く、山間の秘境駅になっている。今日の雪景色も良かった。
駅を出て「早戸温泉」に向かう。除雪された国道252号に出て、バイパスの早戸温泉郷トンネルを進んだ。
トンネルを抜けると、前方に「つるの湯」の看板が見えた。
ゆっくりと歩き、10分ほどで早戸温泉「つるの湯」に到着。
10時の開館を待ち、中に入る。
一番風呂で、脱衣所にも誰も居なかった。
湯は只見川に面していて、今日は、内湯と露天風呂で、雪景色を見ながら、ゆっくりと湯に浸かることができた。
【早戸温泉】 *脱衣所の「温泉分析書」より
・泉質:ナトリウムー塩化物温泉(低張性中性高温泉) ・水素イオン濃度:pH 7.0
・泉温:52.9℃ ・湧出量:192.7l/min (動力揚湯)
浴後は休憩室で、列車の出発時刻が近づくまで休み、列車で一口呑んだ「萬代芳」の続きを楽しんだ。が、後で知ったのだが、どうやらここは持ち込み禁止で、売店で購入したものを飲食できるようだった。隣席で休んでいた客が、タッパから漬物などを出して堂々の食べていたので大丈夫だと思ったが、壁に貼られた注意書きをよく見ると、『持ち込みはご遠慮ください』との文言があった。
休憩室から見える景色は、露天風呂からの眺望と同じく、綿帽子を被った木々と、しんしんと降り続く雪が、只見川に映り込み美しかった。
早戸温泉「つるの湯」を後にして早戸駅に戻ると、まもなく会津若松行きの列車が入線した。
12:50、私のほか2人組の客を乗せ、列車が早戸を出発。この2人組は一緒に早戸駅で降りた客で、私と同じように「つるの湯」を利用していた。
切符は会津若松駅までの990円を購入。富岡駅まで購入するより、会津若松~郡山間を「Wきっぷ」に代える事で、260円お得になる。
車内は閑散としていて、3両編成で10名にも満たなかった。新型コロナウイルスの影響とはいえ、全線再開通を控え、只見線の利活用に一層の努力が必要だと思い知らされた。
車内では、「萬代芳」のワンカップをちびちび呑みながら、景色を眺め、時折デジカメのシャッターを切った。
「第三只見川橋梁」では上流側を眺め、振り返って一枚撮った。
会津宮下では、待機中の除雪車とすれ違った。
「第二只見川橋梁」の下流側を眺めた。
「第一只見川橋梁」の上流側、駒啼瀬の渓谷を眺め、振り返ってシャッターを切った。
会津柳津を出発し、会津坂本を過ぎて柳津町から会津坂下町に入り、塔寺を経て七折峠を下りきり、列車は会津盆地を進んでゆく。
会津坂下で停車中に、会津川口行きの下り列車が入線。高校生を中心に、少なくない客が降り、構内踏切を渡っていった。
若宮を過ぎて会津美里町に戻り、新鶴付近には、只見線のレールと並行して、風除けの仮設が並んでいた。西部山麓方面から吹き降ろされる強風対策で、只見線の冬の風物詩になっている。
列車は根岸、会津高田を経て会津若松市に入り、会津本郷、西若松、七日町と快調に進んでいった。
14:21、終点の会津若松に到着。いつもならば向かいのホームに停車している、磐越西線喜多方方面の列車が入線していなかった。構内放送によると、大雪の影響で運休となり、次の新津行きは約4時間後で、最終列車になってしまうという。
今後の地域圏域の重要度を考えると、福島県と新潟県の交流は高まらざるを得ない、と私は考えている。磐越自動車があるとはいえ、人貨の大量輸送が可能な鉄道(磐越西線)の役割は小さくない。単線で、県境付近の住民が少ないこともあり、磐越西線は今回のような降雪にとどまらず、自然災害などが懸念される場合は早々と運休してしまう。地域拠点(郡山市・会津若松市ー新潟市)を結ぶ重要な交通インフラとして、現在の弱点を補い、持続的・安定的輸送が行わるようになって欲しい。
会津若松駅は1番線と2・3番線のホームが陸続きになっているが、その通路には来月開催される「第22回 会津 絵ろうそくまつり」のポスターが掲げられていた。野外ということで、新型コロナウイルスの影響で中止とはならないようだ。良かったと思った。
この後、会津若松から列車を乗り継ぎ、富岡まで戻った。
今年は、新型コロナウイルスの影響が続き、只見線の旅がどれほどできるか不明だが、可能な限り乗車して、四季折々の車窓からの風景や、沿線の見どころを巡り、発信したいと思う。
(了)
・ ・ ・ ・ ・
*参考
・福島県 生活環境部 只見線再開準備室:只見線の復旧・復興に関する取組みについて
・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」
・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日)
・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)/「只見線(会津川口~只見間)復旧工事の完了時期について」(PDF)(2020年8月26日)
【只見線への寄付案内】
福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。
①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/
②福島県:企業版ふるさと納税
URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html
[寄付金の使途]
(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。
以上、よろしくお願い申し上げます。