幼い思想からの脱却。
中学生の勉強スタイルを見ると、
賢いのに幼い、という表現が
ピッタリくる子がまだ
少なくはありません。
分かりやすく言うと、
目的や目標がはっきりしないまま
好き嫌いの価値観、
やりたいかやりたくないかの気分で
勉強している子がいるということです。
分かんないことをゼロにしておくまで
落ち着かないとか、誰かを出し抜いて
自分が一位になろうとか、
それくらいの気合いで
毎日毎日、学校からの宿題の後に
ルーティンとしての勉強と、
補強としての勉強を当たり前の
こととしてやるような、
そのような姿勢のある子は
さほど多くはありません。
自分がその時やりたいことを
優先しすぎて、本質的に
やっておいた方がよいことに
行動を向けられない弱さが
ある限り、自分の天井を
ぶち壊して変革するほどの
成果は得られません。
この行動をルーティン化できるかどうかは、
実は「気の迷い」レベルの行動の
連続から生まれます。
まずは、行動から全て始まります。
やりたくないとか、やらなきゃ
いけないとか、そんなものじゃなく、
とりあえず必要そうなことに対して
何か小さな目標を立てて動いてみるという
単純な行動から習慣は
出来上がります。
何かができて「やったー!」ってのも
別に悪くはないですが、1位をとる
器ではありません。
日々、今の自分を超える
努力をしている子は、
小さなことに満足はしません。
当然できているべきと思うレベルが高く、
できないことにショックを受けます。
中1や中2は、能力はかなり
高いと思っていますが、
精神面での弱さ、行動力の面で、
「ああ、この子は特別だ」と
思わされるほどの何かをまだ
感じ取れません。
みんな生まれながらにして
ギフテッドであるというのは
最近よく読んでいる本の中でも
よく語られていますが、それを
活かさないような俗っぽい
生活様式で生きているならば
それは持ち腐れになります。
ある程度禁欲的に自己制御する術を
待つことが必要です。