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記憶

2020.11.28 08:28

Facebook・津留晃一の世界 投稿記事  記憶

記憶があなたを規定し、記憶が今のあなたを縛っています。

家族、会社、友人、仕事、同僚、全てあなたとは、あなたの記憶のことです。

ではその記憶を書き換えた時、あなたはどうなるのでしょう。もちろん別人となる事でしょう。「

実は」と言って、あなたは突然見知らぬ人の来訪を受け、全く予期しなかったあなたの真実を打ち明けられたとしましょう。

そしてそれが充分信じるに値するような内容であったら、あなたはきっとその打ち明け話を受け取り、昨日とは違った人間になることでしょう。

真実とはあなたが信じたことに他なりません。

あなたが別人になるのは、それほど簡単なことなのです。

あなたが次の瞬間、自分が天才であることを信じられたら天才となるのです。

天才という物理的特性がどこかにあって、それによって人が天才になるわけではありません。

打ち明け話をあなたが受け取らなかったら、その話はでたらめな話となりますが、あなたの内側にはひょっとしてという、疑いの根は残されるかもしれません。

私は今、あなたに打ち明け話をしようとしています。

それは、あなたは本当は、あなたの世界の創造主なのだという事です。

これまでの話で、ひょっとしてそうかもしれないと感じていらっしゃる方が相当に増えていると思いますが、これからもその証拠を出し続けてゆくつもりです。

その証拠は無限にありますから。

これから出し続けていくあなたが創造主であるという証拠の数々の内、あなたがどの辺でそのことを事実として受け入れるか、それは単に時期の問題でしょう。

それは今かもしれないし、明日かもしれないし、一万年後の事かもしれません。

それがいずれであってもあなたの完全な選択の問題です。

先程の打ち明け話のたとえ同様に、それは単に、あなたが受け取ったときに、あなたの認識上の別人、全ての創造主となるのです。

決して努力した結果、その報いとして神になるわけではありません。

元々神であるあなたが神以外の何者にもなることなど出来ないのですから。

人は記憶を使い、現実空間を生きられるよう設計されています。

オギャーと生まれ出た瞬間の状態が人としての記憶の初期状態です。

何の認識もない完全ニュートラルな状態です。

キリストは赤子のようになれと言われたようですが、無垢であるニュートラルな状態の

素晴らしさへと戻れと言うことなのでしょう。

この心の位置では過去の記憶により、人の行動が制限を受けることがないからです。

無分別の状態、良いとか悪いとか、比較判断の基準を何も持っていない状態の事です。

成長し認識が入り、分別がつくようになると、人は絶えず過去に引っ張られ、過去の認識から抜け出せません。

昨日のあなたの認識が、今日の行動を決定しているといってもよいでしょう。

「彼は昨日あんなに怒っていた」と思い出すと、「彼に出合わないで済む方法はないか」

と逃避行動を考えるか、「何とかなだめる方法はないだろうか」と相手を何とかしようとし始めます。

記憶があなたの行動を誘発しているわけですが、そんなことには全く気づいてもいません。

自分の行動が今、記憶の奴隷と化しているとは考えていないのです。

あなたが今誰かに罵られたとします、「お前はどうしていつもそうなのだ」と。

次の瞬間あなたはどんな行動をとるでしょう。

そそくさと逃げ出すかもしれません。

あるいは、自己弁護を始め、自分を防衛しようとするかもしれません。

自分の正しさを主張し、大反撃に出る人もいるでしょう。

でもこの3つの行動パターンはいずれにしても、一瞬前の過去の記憶に対する対処行動にすぎません。

これらの行為は記憶からの自動ロボットであるといえるでしょう。

人は普段、絶えず何かを記憶し、その記憶に対処するという行動様式をとっています。

もし自分が今、過去の記憶からの対処行動をとっているということに気付いたとしたら、その次には違う選択を選ぶチャンスとなるでしょう。

あなたは対処行動を採り続ける事も可能なわけですが、たとえあなたが相手の機嫌を回復させ、その場はおさまったとしても、それは単にマイナスが元に戻っただけであり、何のプラスも産み出せなかったということです。エネルギーの浪費です。

人はいつもいつも、人の機嫌を回復するとか、自分の信用を回復するとか、そんなマイナスを0に戻すという非生産的なことにのみエネルギーを消費し続けているわけです。

プラスは生まれていないわけです。

あなたは毎瞬どの瞬間も、源から宇宙のエネルギーグリッドを介して無限にエネルギーを受け続けています。

そのエネルギーをどう消費するか、全てあなたの自由選択です。

そしてあなたは人から罵られた次の瞬間でさえ、あなたに注がれている無限の愛のエネルギーをそのまま変質させることなく相手に与え続けることも出来るのです。

こういう話をすると「いや私にはそんな聖人みたいな事はとてもできない」と、これまでの記憶のパターンを引っぱり出してきて自分を評価し判断を下してしまいますが、私の言っていることはそんなに難しいことではないのです。

単にそのことに気付いてさえいればいいのです。誰にでも出来るとても簡単なことなのです。それはちょっとした訓練ですぐに気付けるようになってきます。

単にあなたは「これまでは出来なかった」という過去の記憶に条件反応しているにすぎないのですから、これまで出来なかったという理由だけで簡単に片づけないでください。

太陽はどの瞬間にも光を放ち続けています。たとえ今地上が雲で覆われていたとしてもです。太陽は地球に今、雲がかかっているか否か、判断をしていないのです。

すなわち光るのに条件がないということです。我々も常にこうすることが可能です。

相手の状態に条件をつけることなく、光を放ち続けることが出来るのです。

相手の機嫌を判断する必要などないのです。

たとえ罵りの言葉を聞いたとしても、その言葉をそう受け取る必要はどこにもありません。

罵られたと意味をつけたとき、あなたは輝けなくなってしまいます。

「イヤそうは言っても現に次々と非難され続けている」という思いが出続けていると感じたら、無理をすることはありません。その場から可能な限り早急に離れてみることです。

大切にすべきことは、あなたが光り続けられるか否かです。

そう出来なくなりそうなら、その場を変えてしまうことです。

自己弁護を始める前に、自己主張を始める前にです。

葛藤はあなたの内部にしか実在していないのですから・・・。

他人を変えることに意味はありません。

他人の説得には何の意味もありません。

その場を離れてしまったら、もう一瞬前のことは手放しましょう。

あの人が怒っているというのは過去の認識にすぎません。

「でもきっとあの人はまだ怒り続けているに違いない」と、なかなか不安は去りませんが、

自分のそんな感情の動きを出てくるにまかせ、コントロールすることなく、ただただ眺めていると、やがてそんなに時をおくことなく感情のエネルギーは沈静化してしまいます。

そうしたら可能な限り自分のハートのセンターに意識を向け、自分でそこに愛を贈ります。

相手が今どう思っているかに意識をおくのではなく、相手がどういう状態でいるかに意識をおくのでもなく、自分が輝けることに意識の焦点を振り向け、今そこで光るのです。

いつもあなたのすることはそれだけです。どんな時も光続けることです。それだけがあなたの生きる目的なのですから。記憶に条件づけられた自動ロボットからの離脱です。