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じゅんじゅんホームページ

スランキーサイドとわたし。

2020.11.29 04:26

※画像は下記。

銭湯でケチって据え置きのリンスインシャンプー使ったせいで、髪の毛がギシギシ。

同じく据え置きのボディーソープで顔洗ったせいで顔面が荒れるという始末。

もえぺろちゃんの身嗜み心を1ミリくらい分けて貰うべきと思う。

鈴木さんにボディーソープで顔面が荒れたと言ったら、

「最高だ!ディスイズアンダーグラウンドだ!!」

とか言われた。

なんの蔑みだよ。

以前若手バンドマンに「こういうのアングラ?っていうんですよね?」みたいな事言われたのを根に持って、いちいちアンダーグラウンドと騒ぎ立てる鈴木さん。

鈴木さんから恨み妬み嫉みを持たれると、死ぬまでねちねち言われるから気をつけたい。


そんなわけで、午後にゆったりおうち半身浴。

お風呂にちゃんと浸かるようになって、心身共に穏やかになった気がする。

今でこそこんな女子のような入浴をしているが、昔は、

「おふろ?なんで入んなきゃいけないの?謎」

という感じで、2、3日入らないのなんてザラだった。

引きこもりだったし、汚れないじゃんという理屈らしい。

あと身体を洗うのも拭くのも髪を乾かすのも面倒で面倒で仕方無かった。

顔を洗うのはもっと嫌い。

一部分だけ濡れるのがすごく嫌だった。

風呂に入るといっても大概シャワーだけ。

温泉や銭湯は好きだけど、家で風呂に浸かることはなかった。

大学生の頃はアトリエや部室にこもったりで、学校のシャワー室で浴びるくらい。

1週間風呂に入らずライブ見に行って、終電逃して泊めてもらったことがあったが、何年後かに、

「あの時のじゅんじゅんは、ちょっと臭った。」

と暴露された。

本当にすみませんでした。

ちょっと臭うのに泊めてくれたナベジさんとちまさんには、頭が上がりません。

昨日は、そんなナベジさんのバンド、スランキーサイドのワンマンライブ。

元々クリスマスライブのリハーサルの予定があったので、滑り込みで顔を出せればという気持ちで家を出る。


リハはトテモ良い感じ。

普段練習しない私だが、がんばって練習しています。

本番までにもっと良くするぞ。

前回のリハスタ後大泥酔して記憶を喪失したのだが、同じ方面のバンドメンバーさんに電車のホームでほうじ茶を買ってもらって、歓喜の余り寝転がったりしたらしい。

りなちゃんの顔を立てるべくすごくお行儀良く振る舞っていたのに。

全てぶち壊しである。

スタジオに遅れて入りして先日は本当にすみませんでした!と言うと、みんな笑っていた。

時すでにおすし。

なんでこうなるの。

穴があったら入りたい。

そう思っていたのに、昨日も大泥酔。

そんな人生。


居酒屋から出た記憶も電車に乗った記憶も無いのだが、スラのワンマンに行こうとしたのはなんとなく覚えていた。

目が覚めたら電車の中。

つぎは国立らしい。

おかしいだろ。

時間的な推測でいくと、東京駅で折り返してきた模様。

どっひゃーと思いつつ電車を飛び降りて新宿へ向かう。

電車的にはまだ大丈夫。

ライブは完全にアウトだが。

[▲ゴールデン街横を通る近道。なんの写真だよ。酔っ払ってるよ。]


ふと、もうみんな帰っちゃったのではと疑念が浮かび、レッドクロスに電話する。

シラフだったら電話なんて出来ない人間なのに。

おさけ、こわい。

まだみんないますよと仰っていたので、あっそうですか不躾なお電話を失礼致しましたありがとうございますと謎の敬語で電話を切りレッドクロスへ。

到着するとお馴染みの面々がフロアで呑んでいた。

会うのは2、3年振りだろうか。

スランキーサイドは私がライブハウスに通うきっかけとなったバンドである。

ギターウルフの追っかけをしていた時、今は亡き渋谷AXで行われたギターウルフ、ゆらゆら帝国、DMBQという伝説的スリーマンを観に行った。

UFO CLUBという東高円寺にあるライブハウスの10周年記念ライブ。

それはもう最高に最高のライブだった。

終演後、物販を見に行くと、UFO CLUBのオムニバスCDが売られていた。

その頃はまだAXやクアトロ、ユニットなど比較的大規模なライブハウスにしか行った事が無かったので、そんなライブハウスがあるのだなあと眺めていた。

なんとなしにオムニバスCDのvol.2を購入。

全部で11組、それぞれ一曲ずつ入っている。

パッと見て知っているバンドはオシリペンペンズとおとぎ話だけだった。

家に帰ってCDを聴いて、2曲目めっちゃかっこいいなあと思った。

聴いてるうちに、え、なにこれめちゃくちゃかっこよくない?とリピートしまくるようになる。

でもライブ見に行こう!とはならなかった。

そもそも我が家にはパソコンが無く、情報収集の術がない。

その上、小さいライブハウスがあるなんてことも知らなかった。

ギターウルフはライブでもらうフライヤーか、姉の友達から教えてもらうか、ローソンのチケット情報誌をチェックして見に行っていたのだ。

ある時、いつも通り情報誌を眺めていたら、スランキーサイドの文字を発見。

見たことがある人はわかると思うが、プッシュされていないチケット情報欄は、新聞のテレビ番組欄くらい小さい。

否、それより小さいかもしれない。

すごく行きたいという気持ちと、下北沢シェルターってライブハウス行ったことないからちょっとこわいなという気持ちがせめぎ合ったが、これを逃したらもう見るチャンスがないのではと、ロッピーでチケットを購入した。

私の人生が大変動した、決定的瞬間である。


2006年1月25日(水)、下北沢シェルター。

ボーカルのナベジさん企画で、スランキーサイド、鉄と鉛、不謹慎シンドロームのスリーマン。

当日、2時間前くらいに下北沢に到着。

迷ったりしたらライブが見れないと思ったようである。

2時間迷うって、どういう迷路だよ。

当時ライブを見に行く時は、遅くても開場1時間前には場所を確認していた。

私の小心者具合が伺える。

石橋叩くどころかさすりまくるタイプ。

シェルターの場所を確認しに行くと、すごい頭の大きい人が座っていた。

え、ボーカルの人?

いやいやいや、ちがうだろ。

でもあのもじゃもじゃ大きい頭は、CDで見た人では。

もしかしてものすごいファンの人が同じ髪型をして開場待ちしているのかもしれない。

ベンジーのライブ見に行くと浅井健一ですか?って感じの人よくいるし、きっとそうだ。

などと思考を巡らせ、物陰からシェルター前の人物を凝視する私。

こわいわ。

我に返り、そうだ、ロッカーを探さねば、と街中を歩く。

大きいライブハウスにはロッカーがあって、そこに上着を含め荷物を全部入れてライブ観戦する。

特にギターウルフのライブではモッシュやダイブが頻繁に起こり、私もガンガン暴れ回っていたので、荷物を持って見るなど以ての外だった。

だが、シェルターはロッカーが無いらしい。

たいへんだ。

荷物いれないとライブ見れないじゃないか。

ライブハウスの周りを探したが、土地勘もない上に方向音痴なので、駅のロッカーに入れることにした。

時は1月。

すごく寒い。

否!気合いじゃー!!とロッカーに荷物と上着をぶち込む。

半袖で下北沢駅からシェルターへ。

受付でチケットを渡してドリンク代を払う。

えっ、小さい。

すごくちいさい。

こんなライブハウスあるのかと思いつつ、ドリンクカウンターでジュースを頼む。

受付で貰ったチラシを一枚一枚チェックし、物販スペースを見に行く。

物販に先程のおおきい頭の人が座っていた。

いやいやいやいや、すごいファンの人だよきっとそうだよ本人がいるわけないよっ、と心を落ち着けながら、物販のCDを一枚一枚舐めるように見る。

何かしていないと不安で、今よりもっと挙動が不振だった。

ディスクユニオンで万引きと間違われ、店員さんに後をつけられるなんて日常茶飯事で、姉に「じゅんまたつけられてるー!」と爆笑されていた。

今思うとかなりやばい奴だった。

今は別の意味でやばいけれども。

ライブはとてもとても良かった。

音がおおきくてよくわからなかったけど、どのバンドもすっごくかっこよかった。

まだ小規模ライブハウスの音量に耳が慣れていなかった。

等身大で見れるなんてすごい、横浜アリーナで見たポルノグラフィティは煮干しくらいのサイズだったのにとか思った。

今もそうだが、ライブや映画などは最前列で見る。

見るというより、エネルギーを浴びたいという気持ちと、自分と演者・作品の間に何か入るのが嫌なのだ。

純度120%で見たいのだ。

視界全部それで埋めたいのだ。

一番前で、スランキーサイドを見た。

めちゃくちゃ音がでかい。

声もでかい。

今でさえ踊り狂ってライブを見ているが、色々衝撃的すぎて棒立ちで聴いていた。

かっこよすぎるだろ。

「サディスティックな赤」というアルバムをユニオンで買って聴き込んで行ったのだが、ナベジさんは鬼のような速さで新曲を作るため、ほぼほぼ知らない曲だった。

スランキーあるある。

終演後、再び物販へ。

お小遣いの限界もあるので、1枚だけ購入。

穴が空くくらい物販を眺めていたら、販売しているスタッフさんが声を掛けて下さった。

AXでオムニバスを買って聴いて初めてライブ来たのですと話すと、その会場私もいましたよ、とのこと。

びっくり。

なんと、そのオムニバスを出しているレーベル、キャプテントリップレコードの方だった。

名刺を下さった。

小柳カヲルさん。

小柳さんとは今でも交流がある。

今はSUEZUN STUDIOというレーベルをやられている。

ジャーマンロックにとても詳しく、本も出版されている、すごい方。

スランキーの打ち上げに誘ってくれたのも小柳さん。

小柳さんが居なくても、今の私にはつながらなかったと思う。

おうちで音楽を聴くごはん会合などにも呼んで下さったり、とても大切なおともだちである。

[▲スランキーのライブPV。右最前でぴょんぴょんしているのが私。スランキーの昔のライブ映像には大抵私の後頭部が映り込んでいる。]


そんなこんなで、最高のライブを見て、興奮と放心で心がてんてこまい状態。

駅で着替えて、帰りの電車に乗る。

その日もらったフライヤーを握りしめて、次のライブも絶対行くと心に決めた。

そこからスランキーのライブは、文字通りほとんど行った。

今加入しているダムダム団も、その時対バンで見たバンドのひとつであった。

最初のライブのアンケート用紙の年齢の欄に16歳と書いたのを覚えている。

後から聞いたら、16歳が来た!と、ちょっと話題になっていたらしい。

いつのまにか仲良くなり、娘と呼ばれ、ライブでは大暴れし、打ち上げでは大泥酔した。

自分もライブをやるようになり、ナベジさんの関西ツアーに同行させて貰い、一緒にライブをしたり。

16歳の頃の私には想像もつかない事態である。

人生って不思議ちゃん。

昨日はりなちゃんとのリハもあり、最近の奇跡と懐かしい奇跡を詰め込んだような一日だった。

私も歴史を刻んでおるのだな。

しみじみ。

[▲ナベジさんとツーショット。はしゃぎまくりである。この後ギャン泣きする運命。]


さっきの電話じゅんちゃんだったんだ、とレッドクロスのきくちさんに言われる。

きくちさんにもいかりさんにも超久しぶりにお会いした。

JKの頃から、お世話になっておりまする。

昨晩の打ち上げでは、床に寝転んだり、叫んだり、音楽談義の末最後はなぜか、

「わたしはぁー!ナベジさんにはなれないですよぉぉおお!ナベジさんはかみさまなんですよおおお!!!!」

と大号泣。

ファン仲間のハルさんが、わかるよじゅんちゃんっ、と抱きしめてなでなでしてくれた。

なんだこのおおきい子供は。

本当にやりたい放題である。

ベースのとんとんが運転する機材車に乗せてもらい、みんなで帰る。

この感じ、ひさしぶりだなあ。

家の近くでおろしてもらってバイバイする。

ライブに間に合わない上にひっちゃかめっちゃかな酔っ払い方したのに、

「会えて嬉しかったよ。来てくれてありがとう。」

と言ってくれたナベジさんには、一生頭が上がらない。

いつまで経っても、娘気分が抜けない私であった。


まだまだ人生長いと思うけど、ここまで200点満点ではなかろうか。

たくさんの御縁に感謝しながら、今日も明日も、明後日も、元気いっぱい生きていくとする。