内なる『世界』と向き合う ①
https://mag.handkerchief-books.com/fujita-saito2016/202007251047_2509 【内なる『世界』と向き合う】より
今回の「ハンカチーフ・ブックス・アーカイブス」は、「内なる『世界』と向き合う」をテーマに、禅僧の藤田一照さん、プロサッカー選手・齋藤学選手、バックグラウンドが異なる二人の対談をプレーバックします。
齋藤選手が、三浦半島の葉山にある一照さんの茅山荘を訪れたのは、2016年2月21日のこと。掲載当時、横浜マリノスのトップ選手として活躍していた彼は、これまでのトレーニング法はもちろん、食事の摂り方、日常の過ごし方などを大きく見直すことで、過去になかった新しい感覚が芽生えていた時期だったと思います。
目指すは、もっと広く、果てしない世界……。
一方の藤田一照さんは、身体の世界全般に通じ、既成の仏教の枠にとどまらない活動をしている、自由人。アメリカで17年間、禅の普及に活動してきたバックボーンもあり、斎藤選手にとってとても刺激的な存在だったはず。
「いったいどんな話になるんだろう?」
二人とも、もしかしたら最初はそう思ったかもしれません。しかし、会ってすぐに打ち解け、対話は思いのほか深いところへ展開されていきました。
早朝8時からの坐禅会に参加した後の昼下がり、穏やかな日差しのなかで、ゆっくりと話が始まりました。
取材・構成:長沼敬憲
※pass with heart.(心ある道を歩め):カルロス・カスタネダ『ドン・ファンの教え』より
【1世界をつまみ食いしている?】
――今日、坐禅をやってみてどうでしたか?
齋藤普段、瞑想を一日10分くらいやったりしているんですけど、長い時間、自分と向き合うことはなかなかなかったので面白かったです。いろいろなものが入ってきては消え、入ってきては消えという時間が。
一照ふつう僕らって、(自分をバリアするしぐさをしながら)こうやってシールドしていて、自分の気に入ったものは入れるけど、気になるものは入れないというふうに、取捨選択しながら自分を守っていますよね。
齋藤はい。
一照それって、ある意味、目の前の世界と向き合っていないわけです。英語では、ピッキー(picky)と言いますが、つまみ食いしているわけ。世界をつまみ食いして、自分がいいというものだけを見ている。人と出会う時も自分の気に入るところだけをつまんで、「この人はいい人、悪い人」と言っているでしょう? それで自分をわかったつもり、相手をわかったつもり、世界をわかったつもりになっているけれど、実際は全然わかってない(笑)。……というのが仏教の基本的スタンスです。
齋藤わかりますね。
一照そうではない生の世界に近づいていくことは、恐怖心や不信感があってやろうとしないし、むしろそれが普通の状態になっているわけですよ。肩書きなんていうのもそうでしょう。肩書きを外した自分というのは、らしくないから出さない。父親として子どもに向かうとか、夫として妻に向かうというふうに役割で生きていて、それはしょうがない面もあるかもしれないけど、この世界はそれだけじゃない。その手前のもっと素の部分を知らないと自分を見失ってしまうんじゃないか、ということですね。
齋藤“わからないということをわかる”というところに、結構グッときましたね。何かわかったような感じでいるし、いたいけれど、でも“わからない”ということでオッケーというか、そういう世界を自分の中に入れておくだけで変わってくる気がします。(『僕が飼っていた牛はどこへ行った』を手にして)この本を読みながら、「自分からサッカーがなくなったら」ということをずっと考えていたんですよ。
一照なるほど、おもしろい(笑)。
――齋藤君の場合、牛飼いの牛がサッカーなのかな?
齋藤はい。完全にサッカーなので。トレーニングもそう、食事のことを学ぶのもそう、サッカーがあるからそこに生きる時間を費やしているわけで。僕はものを考えるとき、すべてサッカーを通して見るので、「サッカー選手じゃなかったらどうなんだろう」ということが、瞑想の時にもずっと入ってくるんです。
一照それは、サッカーをしているというより、サッカーという窓口を通して自分や世界に出会おうとしている、というふうに言えばいいんじゃないかな。
齋藤ああ、確かに。
一照だから、サッカーがなくなったらそれはそれでショックだろうけど、何も残らないんじゃなく、サッカーを通して培ったものっていっぱい残っているはずだから。また違うものを通して、サッカーでやろうとしたことがつながっていくと思う。そういうやり方をしているように僕には見えるけどね。
齋藤でも、すごく考えちゃって。(本のなかで悟りには)8、9、10というプロセスがあると話されているじゃないですか。同世代の友達とかを見ると、やっぱりそれ以前のところで仕事をしたり、遊んだり、結婚したり……、でも、自分はそういう方向に向かっているのかなという感じがして、そこがすごく面白かったですね。
一照ふつう、僕らが世界を知っている、わかっていると感じているのは、既知の世界だよね。この既知の世界のなかにいて、未知を恐れているわけだけど、逆に未知に向き合うことでワクワクすることもあるでしょう?
齋藤はい。
一照既知の世界を価値がないものとして捨てることはないんだけど、自分をどこに置くかというと、既知の限界のところで未知に向かっているというのが一番。だって、この世界って一刻一刻と変わっているわけで、いまという最もフレッシュな瞬間に僕らは立っている。だから、次どうなるかはわからない。
――それも仏教の考え方ですね。すべてが移り変わっていくという……。
一照だから、次の瞬間どうなるかは誰も想像がつかない。ニュースで事故の場面とかを見ても本当にそう思うよね。いいことも起こるけど、悪いことも予期せぬ形で起こり、それは僕らにはコントロールできない。
もう起きたことは変えようがないけれど、この先に何が起こるかはわからないという、いつも船のいちばん先頭にいるような状態。怖がろうがワクワクしようが、この先端の位置にいることは変えようがないわけだから、ワクワクしたほうが得じゃないかって、僕は思っているんです。もちろん、ワクワクするネタみたいなものは自分で持っていたほうがいい。多分、齋藤さんの場合はそれがサッカー。
齋藤はい、そうですね。
一照サッカーという世界の先端にずっといるわけじゃない。サッカーをしているというよりは、サッカーという具体的な手がかりのある世界で、この既知と未知の境目をどんどん先に入って、アドベンチャーをしている。
齋藤はい、だから僕は完全にワクワクしていますね。いま自分が知っていることが正解か不正解かということはわからないですが、(不安より)ワクワクのほうがずっと大きいですね。ただ、サッカー自体は狭い空間なので、新しいことにチャレンジすることに対しての拒絶というのは起きてきますけど。
https://mag.handkerchief-books.com/fujita-saito2016/202007251048_2512 【過去のデータは関係ない】より
一照(サッカー界に)失敗することを恐れている面があるということ?
齋藤そうですね。トレーニングにしても、食事にしても、僕は新しいことにチャレンジしてみて、ダメだったら戻せばいいという感じでいろいろと取り入れているんですが、「失敗したらどうするの?」という考えが強いんですね。
――新しいことへのチャレンジに不安を感じることは?
齋藤いまは結構(不安を)捨てられているので、あまりないです。逆に、ちょっと行きすぎちゃっているくらいな(笑)。
一照ハハハ。面白くてしょうがないんじゃない、それ(笑)。わかりますよ、僕もいろんなことやってみたから。
齋藤そうなんですか?
一照今日の坐禅会にしても、「実験的坐禅会」と呼んでいるんです。というのは、僕が最終回答をすでに持っていて、それを皆に教えるのではなく、今日だってしゃべりながら「次は何をしようか」と考えているわけです。
(坐禅の前のワークで)四つん這いになって身体を動かしたのも、最初は考えてなかったしね(笑)。それやったらおもしろいかなと思って、やってみて、自分の身体とか皆さんの反応を見て、次を考えるんですね。
だから、あるのは正解の方向性だけ。なんとなく場が和んで、うきうきして、次にどんどん展開していくような感じになったら、それはいい印だなというふうに受け取って僕はやっています。そこからどこに行くのかはわからないですけれど。
齋藤僕の場合、自分の夢としてワールドカップに出て、勝利に貢献するということがあるんですが、そのためにどれだけ海外に早く行けるか、どのタイミングで海外に行ってチャレンジするか。もしかしたら、Jリーグのままでワールドカップ行けるかもしれないですし、いろんな可能性はあるので本当にわからないですよね。ただ、結果は出さなきゃいけない。
一照それはそうだね。逆にまたチャレンジングでいいかもしれないけれど。
齋藤はい。なので、すごく楽しくて。結果を残せないと自分がサッカー選手でいられるかわからないという不安もあるにはあるんですが、いまはそれが大きく占めているわけではないんです。年齢的にも、サッカー選手だと25〜28歳くらいまでがいちばんいい時期と言われていますけど、僕はそれも人によると思っているし。
一照そうだろうね、運命というわけじゃないよね。
齋藤海外移籍の話にしても、もう26歳なので「遅いじゃん」と言われることもあるんですが、それはいままでの人を見てそう言っているだけであって。
一照過去のデータによれば、という話ね。常識は破られますからね。
齋藤そうですね。だから「僕は関係ない」と思っていろいろとやれています。移籍の話は2年前にも、今年の1月にもあったんですが、この数年、食事のことや、古武術のような身体の使い方をすごく勉強して、自分が成長していることが実感できているので、それを知らないで海外に行くのと、知ったうえで行くのでは全然違うと感じています。
一照いまやっていることが、もっともっとレベルの高いところで試せるよね。すごいな、それは。齋藤さんは、オリンピックやワールドカップで世界のレベルを感じたと思いますが、それはやっぱりすごかった?
齋藤うーん。ワールドカップは代表になれましたが、試合には出られなかったので、一番いい場所で見ていただけなんですが……(笑)。
一照そんなにかけ離れてはいない? 手に届きそうな感じはある?
齋藤たとえば、コートジボワール戦でドログバが出てきた時の「これが本物なんだな」「これがチームをワールドカップで勝たせる選手なんだな」というものを生で見られたのは、すごく大きかったです。「こうならないと、ワールドカップって勝てないんだ」って。
一照「こう」というのはどういう感じ?
齋藤その一人の存在感でチームが変わるんですよ。すごかったですよ。
https://mag.handkerchief-books.com/fujita-saito2016/202007251050_2514
【存在感のトレーニング】より
一照『黒子のバスケ』のゾーンみたいな感じじゃないですか、それ。読んだことはありますか?
齋藤ちょっとだけあります。
一照ゾーンというのは確かにあるんだけど、(チームのなかで)ゾーンでは戦えない人が出てくるでしょう? だから、その次のゾーンというのがあって、それは他の人のパフォーマンス、ポテンシャルを引き上げられるというゾーンなんだね。それはただ自分が優れた存在になるだけじゃなく、他の人もできるようになるという新しいゾーンの考え。
齋藤面白いですね。
一照一人だったら自分のパフォーマンスが上がるだけで十分なんだけど、チームワークと個人のスキルがミックスしたような展開で起こるバスケやサッカーは、そういうものが大事でしょう? その人が入ることで、他のポテンシャルがグッと上がっちゃうという。
齋藤ドログバなんか、会場の雰囲気も変えちゃいましたから。
一照そうだよね。あの途中から出た人でしょう?
齋藤そう、そう。もう存在感ですよね。
――存在感のトレーニングってできるのかな?
齋藤どれだけ自分が大きく見せられるか、そういう見えないパワーというか、身体感覚が必要だと思うんです。
一照ただ、いままでやってきた練習がなければ、いくら次のゾーンをつくってもダメでしょうね。そうしたいままでのつながりを本当に信じるからこそ、一番いいところにいて、この瞬間に入るってわかっちゃうくらいの最高のタイミングでパスがつながって、それでバシッと入っちゃうという。『黒子のバスケ』の宣伝するわけじゃないけれど(笑)、そんなふうに描かかれたシーンがありましたね。
――それは、個人では成し遂げられない部分でもありますよね。
一照そう。それまでのチームの歴史、いろいろ勝ったり負けたり、泣いたり、怒ったり、喧嘩したり……部が崩壊するくらいの危機を乗り越えることで、すべてがそこに集約されてという感じに(作品のなかで)うまく表現されていました。
それは、実際にもあると思いますね。その個人がどんな人であるかがプレーに出るというか、考えなくても何となくわかりあえるようなものが練習のなかで培われていくという。
齋藤たまにあるんですよ。「あ、これ絶対負けないな」っていう雰囲気をチーム全体、会場全体で感じられる時が。ちょっと前なんですけど、2013年にJリーグで優勝した時もそうでした。優勝がかかる2つ前くらいの試合で、ジュビロ磐田とアウェーで戦ったんですが、相手のサポーターがすごく来ていたのに、なぜかわからないですが、いつも通りなんですよ。
僕らってすごくベテラン選手が多いので、「皆で頑張ろうぜ」という雰囲気は特に出すわけじゃないんですけど、試合中にすごく感じるんです。
一照そういうのが不思議というか、おもしろいよね。
齋藤1対0だったので(スコア的には)ギリギリなんですけど、やられる感じがしないというか、そういう試合がまれにありますね。継続的に出していくのは難しいですけど、それに近づいていける気はします。そういうチームが勝ち進んで、優勝すると思うので。
一照偶然で訪れるものを、意図的、自覚的に技みたいに繰り返せるというのは大事かもしれないですね。指揮者なんかは、そう言われるでしょう。ボロボロだったオーケストラにある指揮者が来ると、それぞれの個性がまとまってびっくりするような演奏をするという。
――それは監督の役割?
齋藤監督とか、あとはキャプテンとか。いや、キャプテンだけじゃなくて、一人一人のサッカーに対する考えとか、日常的にどんな過ごし方をしているかとか。そういうものが全部重なってタイミングが合った時に……。
一照おごりとかじゃなくて、「勝つでしょ、これは」というのはあるよね。僕も何回か経験していますよ、追い込まれてもあまり焦りがないという。
齋藤オリンピックのアジア予選は、そういう感じだったのかなと思います。アジアで優勝したじゃないですか。あの時、「勝てる」という雰囲気になっていたと思うんですよ。だから0対2という不利な状況から逆転できた。僕もアンダー17(17歳以下)のアジア大会で優勝しているんですけど、その時もそういう感じでした。北朝鮮に負けていても、「ああ、大丈夫だろうな」みたいな雰囲気があるんですね。だから、この時も0対2から逆転して、優勝できたんだと思います。
https://mag.handkerchief-books.com/fujita-saito2016/202007251050_2516
【考えることは感覚を鈍くする】より
――こうした話はメンタルな部分につながってくるんでしょうか?
一照メンタル、フィジカル全部につながっているよね。
――でも、そういう場面でくじけることもあるじゃないですか。それで負けるとメンタルが弱いという言い方になるでしょう? 「日本はここ一番に弱い」みたいな。
齋藤僕の場合、基本的に負けずぎらいなんで諦められないんですよ。ただ、人のことをあまり言うのは嫌なんですが、苦しい状況の時に「1点取ったらいける、サッカーだったらすぐ挽回できる」と自分で思っていても、チームにそういう雰囲気を感じない時も結構あります。
「やっぱ無理だろ」という考えの人が一人いたら、伝染するんですよね。それでうまくいかなかった、結果が出せなかったら、やっぱり「メンタルが弱い」という部分になると思うんです。皆が皆、あきらめてはいるわけではないのに、ちょっとでも折れた人がいた時に、それがブワッと広がっちゃう。
一照個人のメンタルもあるけど、チームとしてのメンタルってあるわけだよね。人間って不思議だけど、そこはやっぱり一人一人がつながっているんだろうね。今日の坐禅会は20人くらいいたけれど、やっぱりここにも部屋のマインドというものがあって、それがフッと変わる時がある。時々うまくいかなかったり、ザワザワがずっと続いたりする時もあるけれど、一緒にやっていると(個人を超えたものを)感じることはできますね。
齋藤今日、スッと変わりましたよね?
一照うん、何回かあったね。齋藤さんは、まわりを感じながら自分のことをやっているから、そういう感覚が人より身についているんだと思いますけどね。
齋藤スッとなって、部屋が変わって。これは、誰もが持っているべきものだと思いますね。
一照特にリーダーシップをとる人はこの感覚を持っていないとね。
――そうした雰囲気が悪い方向に伝染しないようにするには、どうしたらいいと思いますか?
一照さっきの「メンタルが弱い」というのも、「もし負けたら」という考えがまだ終わってないのに出てきて、いまいる場所から自分を切り離しちゃっているわけ。でも、実際にはまだ起きていない。そういうことを思うには、考えをつないでいかないといけないわけですよ。ないことをリアルに感じるには考えるしかないから、ずっと考えていくわけ。考えということで感覚を鈍くしているというかね。
齋藤はい。よくわかりますね。
一照こうやって声が聞こえていても、「次、何を言おうか」と考えていると聞こえなくなるじゃない。スポーツにしても、いまやりとりしているリアルな世界があって、それをちゃんと受け取っていなかったら対応できないじゃないですか。そこから離脱して、考えはじめてしまうと、絶対トンチンカンな、「は?」「えっ?」というトリップしたみたいな、聞かれてもヘンなことを言っちゃう感じになるわけです。
齋藤失敗して「ボール受けるのが怖い」っていう気持ちになっている時って、失敗した過去が頭に入ってきちゃっているから、そっちに行っちゃっていますよね。