シャイだった過去
いまでこそ わたしは
好き勝手 自由にやっているようだし、
こうして 自身の文章も公にすれば、
動画も撮影・編集したり、
役者や演者もつとめたりと
表現活動も盛んで、
物事に対する思いや主張もはっきりとしており、人にもストレートに伝えたりと
自身の確固たる軸のもとに、行動しているようだが
元々は
人一倍、恐れが強く
頑なだった。
子どもの頃、とてもシャイだと言われていたことを思い出す。
完璧に上手に やって見せられないことや
合っているのかどうか、わからないこと
そもそも 正解がないこと
自分の感性そのものを表すようなこと
などを表現するのが
とても恐ろしく
「これが正解ですよ」
「ちゃんと出来ていますよ」
という答えを
あらかじめ、教えてもらいたかった。
「自由にやってごらん。」
これが、一番苦手だったのだ。
わたしの “本質” としては 元来、
暴力的なまでに
もの凄く 強く、頑固で、譲らない軸を
はっきりと宿しているのであるが 笑
生身の人間としては、その上に
相反するような性格を纏ってきたように思う。
「どう思われるか」
「変じゃないか」
「恥をかかないか」
「失望されないか」
「認めてもらえるか」
これらの恐怖。
それと
私の本質的、傍若無人な性質 笑 とが、
同時に存在するような感覚を
常に抱えていたのだ。
これらの恐怖こそが
いつも、超えるべき壁だった。
今までに
その壁を打ち破るような 挑戦を
かなり、してきたつもりである。
(特に俳優修行時代には、1000本ノックぐらいの勢いで鍛えていただいたな…笑)
その度に、結果
自分自身の感性・能力・素晴らしさを発見し
ここまで、ひらいて来れた。
ーーー そうして来たが
それでも、まだ
あるんだなぁ この恐怖が
と思ったこの頃。(*´-`)
手を変え品を変え
様々な場数を踏むのね。
超えたと思ったら
その次
「この状況ではどうだ?」
「この状況では?」と
試されるように
いついかなる時も
変わらずに
深く 己自身で在ることを。