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KANGE's log

映画「罪の声」

2020.11.29 14:15

【事件をエンタメとして消費する以上の価値】

父の跡を継いで京都でテーラーを営む曽根は、押し入れから古い手帳とカセットテープを発見。そこに録音されていたものは、かつて日本中が注目した企業恐喝事件に使われた脅迫文で、その声は幼い頃の自分のものだった。時を同じくして、大阪の新聞社で未解決事件を追う企画が始まり、文化部から駆り出された記者・阿久津が、その事件を調べ始める…という物語。

グリコ・森永事件をベースにしたフィクション。原作小説が出版され話題になった頃に「うまいところに目をつけたなぁ」「これは映画になるなぁ」と思っていましたが、未読のままでした。

この事件に関しては、私の実家が小さな食料店を営んでいたこともあって、よく覚えています。紙パッケージの上にさらにフィルムで包装されるようになりましたよね。当時から、株価操作説や、暴力団説、学生運動崩れ説、被差別部落説など、さまざまな推理や憶測が流れていました。本作は、それらをすべてさらえたうえで、一つの仮説をエンターテインメントとして提示してくれています。

2時間20分を超える長尺ですが、まったく飽きさせません。

前半は、曽根・阿久津の両人が、それぞれ事件の真相に迫ろうと調査を進めていきます。私たちは、この2人がどうやって邂逅するのかと、期待しながら見ていくことになります。ここにしっかりと時間がとられているので、出会ったときの2人のバックグラウンドの違いが明確で、観ている方としても「うん、どちらも、そりゃそうだよね」と思ってしまいます。そして、そこからは、どんどんドライブがかかっていきます(実際、ドライブもしていますが…)。

印象的だったのは、阿久津が曽根のテーラーを訪問した際に、曽根が激昂したところに妻子が帰宅、阿久津が機転を効かせて事件のことを伏せて取り繕うというシーン。阿久津は、事件にかかわるものを晒し者にしてエンタメとして玩びたいわけではないということが分かります。いや、そこまで深く考えていなかったかもしれませんが、彼の記者としての姿勢がよく出ていると思います。曽根が、彼のことを信用するのも納得です。

そして、子どもの声の脅迫テープは3本ありますので、曽根のほかにも2人が、この事件に巻き込まれているわけですが、この2人のその後と曽根との対比がいいですね。曽根は、自分のことだけを考えれば、事件の真相にたどり着いたとしても「そっとしておいてほしい」というのが本音でしょうが、あの2人のことを考えると「このまま、放っておくべきではない」と考えたのではないでしょうか。2人の存在がなければ、曽根は、阿久津の取材に協力することはあっても、記事に協力することはなかったかもしれません。

35年ほど前の事件ということは、当時の関係者は、かなりの年齢になっているということです。2人が取材してまわる先の人物が、いずれも、いろいろな人生を味わってきたことが想像できる、味のある役者たちで、とても贅沢な使い方をされていますね。物語に説得感が増す感じです。あと、橋本じゅん、高田聖子の劇団新感線組が重要な役割で、かつて舞台に通っていた身としては、なかなか感慨深いものがあります。

この作品のキモは、物語の中を越えて、彼らのような存在が、おそらく今もどこかに生きているのだろう、ということだと思います。

社会部の取材・報道の姿勢に疑問を感じ文化部に異動してきた阿久津は、この事件を追うことについて上司に「事件をエンタメとして消費することにならないか」と投げかけます。そして「エンタメを消費する以上の意義を見つけてこい」と切り返されます。

時効は成立していても、この事件に巻き込まれて、人生を狂わされたであろう人が確実にいるのです。その事実を、観客のアタマに刻み込むことが、この作品にとっての「エンタメを消費する以上の意義」なのではないでしょうか。その点では、大いに成功していると思います。


どうでもいいといえば、どうでもいいのですが、気になったのは「スーツのタグ、そんなところにつけないよね?」ってところです。