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造形分解体研Q所

普遍的

2020.12.01 12:09

普通という事は何か?それは状況や人によってバラバラだろう

しかし、それでは納得しないのも事実

普遍的(すべてのものに共通しているさま)つまりこの共通している所とは

なにか?っという話

なので私はこの言葉が何故できたか、又は使うに至った理由 そこに焦点を当てて考えて見た

結論を先ず述べると「権力の分布」だろうと思う

何故か

手の届く、見える、要は自分で把握出来る枠に居れば必要のない言葉であり

当たり前の行動として消化できるからだ

もし、当たり前から逸脱した場合間違っているっという拒否になる

其のことを踏まえて分解してみよう

現代ではなくまだ発展途上 車もなく歩きでの移動が主流だった時をイメージしてください

人が集まり人間とし 集まってできた枠 家族OK 集団はOK 村もOK 町は微妙

大体そこから出なければ、同じルール上で生活していくと思われる

そこを収める長としての仕事には 皆の監視も含まれている事でしょう

では考えて見ましょう。

他所から来た人はその監視下外でのルールの上で生活していました

いざ一緒に住もうとした場合 そこにはルールが二つ存在してしまいます

「郷に入っては郷に従え」

正にこの言葉の通りです

ルールは二つ存在できないのです。それは矛盾が生まれてしまう場合があるから

これが、「普通」が出来る種ですね

では集まりをより大きくしたい場合

長の下にそれぞれ区分した長を置く必要がある

それは個人が持つキャパシティをオーバーしてしまう為

大長→長達→・・・・

その時に共通ルールとして必要なのが「普通」一般的

この便利な言葉 実際にその普通が無くとも通用してしまう言葉

目には見えな範囲の出来事 そして自分が監視下・支配下に置かれていると言う心理的な立場

私は知らなかっただけで上の方は皆やっている普通の事として誤認させる事も出来る

つまり「普通」と言う言葉は

その集合体の傘下に自分がいるっという事を指します

なので現在この「普通」という言葉は便利に都合のいいように使われている傾向がある

それは仲間意識と同時に見下すっというと語弊があるやもしてませんが 知識に置いては知っている事の優位性を示しているのではないでしょうか

ここまでをまとめると

「普通」は仲間作りと仲間を広める事=長の権力の拡大

いい部分と悪い部分 収める者の目線と守られる者の目線 この二つ 

この自分が置かれている位置での考えと別の位置にいる者の考えを必ず考えて下さい

決して長の権力拡大が危険な事とは限りません。佳い事も悪い事もどちらの効果もあります

そして次に「普遍的」

普遍的(すべてのものに共通しているさま)これをどこまでとするか?

それがこの問題の一番重要な点であり その者の側面を視る材料になるであろう

私はこの世界で偉人と呼ばれる者に対して

存在しなければ誕生しなかったモノがあるっとは思わない 時間の短縮にはなったろうが別の形で違う形で誰かが似たようなモノを生み出していると思う

何故なら人が個で完結せず子や情報を残し絶えず継承した知識と知恵があるからだ

その姿はもはや個・単体であっても個であらず 複数体であるといっても過言ではない

それ程までに人の短い人生の中で得られる情報が多いのだ

だからこそ ここで問う

貴方の考える普遍的という言葉の点はどこに位置しているのかを

私の様に個人であって個人でない 

このような考え方は人は根っこでは皆同じである事 

生まれ出て経験で複合体から個人を形成し自分を獲得するっと言う考えならば 答えは単純

自分自身である

自分が決める 自分の意志で決める 自分の関りを以って決める そこに疑問は無い

何故ならば 自分の意思決定権を持っているのは自分のみであるからだ それを他者が妨害しようとも最後に決めるのは自分自身

では別の意見でも答えてみよう

単純に 自分以外で ならば答えの拠り所は他者になる

皆がやっているから 皆がそう言っているから 自分で選択し考える事を相手に投げる

いやしかし これでは普遍とは程遠い 

ならば環境を絞ろう

一歩前の普通から 普通と謂わばその者を枠に入れるという事

ならばその枠の視点をもっと上へ向けてみようか

一番わかりやすい所 それはこの言葉・記号を作った者 そしてこの言葉で利を得る者の思考と権力の在り方ではないだろうか

何故私が偉人の話を入れたか その意味はここにある

普遍とは賛同の元で成り立ったに過ぎない 誰かが決めて 別の誰かがそれに乗った その方が効率も良くわかりやすいからだ

色で例えよう 「緑色」これが皆が思う緑色である必要は無い 皆が思う「青色」と認識しても佳い

その違いは本来単語だけ 日本人が信号を赤・青・黄色と言うように

緑という色の存在を青で表現していただけなのだから

誰の世界の上で物事を判断しているのか その答えによって私は分析するであろう

もし私が心から他者の世界の普遍を口にするのであるならば 利も不も負わない立場の人間

最も危険視する相手の思考こそ普遍的であると視る