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じゅんじゅんホームページ

睡眠と私。

2020.12.02 08:49

※画像は下記。

【▲昨日三食お米だったのと今朝寒かったので、朝ごはんはサッポロ一番みそラーメン旨辛。せめてもの気持ちで玉ねぎとにんじん。小さい乱切りにしたにんじんをレンジでチンして、例の白菜とマヨ+だしの素で和えた。バナナは空腹時に食すと良いというので、いつも最初に食べる。袋麺を作っている時に食べた。麺が伸びるの、嫌な人なので。]


なんということでしょう。

朝8時過ぎに目を覚まし、ゴミを捨てに行き、軽く台所と部屋の片付けをし遅めの朝ごはんを食べた。

こたつでほくほくし乍ら、ちょっとだけだからぁ〜と潜り込んだが最後。

爆睡。

むにゃむにゃ目を開けたら12時。

ありゃ、ありゃ、と思い乍らこたつむりに舞い戻り、次に時計を見たら13時過ぎ。

いいかげん起きなくちゃとのそのこたつを這い出てベッドの上に乗った。

が、いつのまにか爆睡。

16時。

うそだろ。

否、おかしいだろ。

今日ライブだぞ。

驚きと眠気が交錯し、若干後者に押されつつ、起き上がる。

もう一度思う。

今日、ライブやんけ。

トイレに立つついでに、風呂釜にお湯を溜めてお風呂に入る準備をし、今に至る。

純粋な1日あたりの睡眠時間で言ったら、今年トップ3に入るのではないだろうか。


私は昔から、夜あまり眠らない人間だった。

幼少期は記憶に無く、また引きこもり時代は例外として、一般的な生活を送る土台の上では、睡眠時間は短い方だと思う。

高校時代も仕事をし始めてからも、大体4時間、多くて6時間の睡眠で足りていた。

入浴と同じく、

「なんで寝んの。睡眠時間、もったいない。」

と思っていた。

睡眠時間を削って、高校時代は学年トップを争う程鬼の様に勉強をしライブを見に行き受験の為の絵を描きまくり、社会人になってからは六本木のクラブで踊り狂いライブを演りライブを見に行っていた。

頭では眠った方がいいと思いつつ、今も割とその思想が抜けずに生きている。

眠るの、もったいないやんと思ってしまう。

[▲ダムダム団ライブじゃない日誌より、ハイパーじゅんじゅんタイムの威力について。]


夜の睡眠時間は少ない。

でも今思い返すと、大学時代、不思議な癖がついていた。

どこでも寝るのである。

大学に缶詰になる事もあったので寝袋を購入しアトリエに置いていたのだが、一時その寝袋を校内で持ち歩いていた。

使っていない空き教室を見つけては、後ろの方の机の上に寝袋を広げて爆睡した。

裏の空き地や部室でも寝た。

猫のマーキングみたいなものだったのだろうか。

そこまで頭脳を使っているとも思えない。

人が多い所や群れる場所が苦手だったからかもしれない。

だからといって、寝袋を広げて眠る必要は無い。

謎である。

よくダムダム団で呑んだ際、"ハイパーじゅんじゅんタイム"と呼ばれる、ぶっ叩いても大声で呼んでも絶対に起きない大爆睡に陥る。

店内、道端、トイレ等々、所構わずハイパーじゅんじゅんタイムを繰り広げる由縁は、この頃のどこでも眠り癖にあると思われる。


一貫して、眠気に襲われたら眠るというスタイル。

高校生だった美大予備校時代は、別の意味での睡魔に襲われていた。

美術大学の予備校では、字の如く、朝から晩まで絵を描く。

死ぬほど描く。

しかも死ぬ気で描いた絵を講評会で陳列させられた上ボロクソ言われる。

アトリエ内みんなノイローゼ状態。

大学受験の半年くらい前から、不思議な感覚を覚え始めた。

セットされた瓶や観葉植物のモチーフがアトリエの真ん中に置かれ、早い者勝ちで円状に場所取りをする。

いつも通り描いているのだが、その日はモチーフの肌触りが感じられた。

葉っぱの表面の、というより、細胞のひとつひとつの、である。

そして見えているはずの視界ではない、背中側の景色が見えた。

アトリエの中を記憶するのは簡単だが、そうではなく、自分の今いる建物が透けて、その向こうの景色が見えるのだ。

視覚的に見える、というより、自分から伸びている見えない触覚が、モノや空間に触れて感知しているというのが近いと思う。

昔から見えない私の触覚は、人の気持ちやその場の空気を痛いくらいキャッチしてくる。

でもそこまで鮮明に、しかも動かないモノや景色に対して働いたのは初めてだった。

びっくりはしなかった。

ああ、見えるな、と思った。

無機物には反応出来なかった。

みんなの憧れである、「あの子の服を透かして見る」とかは出来なかった。

やろうとも思わなかったけれど。

絵を描いている時、神経が極限に高まると、そういう感覚に陥る。

実際にそういった力があるのかはわからないけれど、所謂トランス状態だったのは確かである。

そして、その状態になると、直後決まって信じられない睡魔に襲われる。

受験を控えたとても大切な時期、私は予備校で絵を描き乍ら何度となく爆睡した。

うつらうつらしていた時、油画科の先生に両肩にドンっと手を置かれた時は、眠気がぶっ飛ぶと同時に殺されると思った。

心臓が口から飛び出るかと思った。

「大山ぁ、今日はもう帰って休んだらどうや?」

この時ほど関西弁が怖いと思った事はない。

後から考えると、スパルタ極まりない我が予備校の講師が帰る様諫めるなんてなかなか無い。

本当に私を心配してくれていたのかもしれない。

ニコニコしていたし。

私のトランス状態、側から見たらどんな感じだったのだろう。

相当ヤバかったのかもしれない。

今や神のみぞ知る、である。

その頃は眠らないように沢山対策をした。

パイプ椅子に正座をして気持ちを切り替えてみたり、手の甲をつねったり。

そんな数々の努力虚しく、受験当日、油絵の試験中に爆睡した。

テレピンと呼ばれる油絵の具をとく為の油でキャンバスを仕上げている最中の事だった。

パイプ椅子にあぐらをかくという、逆にバランスの悪い姿勢で眠気を飛ばそうとしていたが、私の睡眠時のバランス感覚はかなり良いらしく、そのまま就寝。

すると、あぐらの真ん中に置いていた、テレピン入りの絵皿が傾き、こぼれてしまった。

股間に程近い場所に、である。

注釈をしておくと、テレピンとは揮発性に富んだ油で、度数の高いアルコール、ベンジンなどにとても近い。

臭いし、開けただけで、肌がヒリヒリする。

即ち、超、痛い。

左内腿の突然の痛みに飛び起きる私。

というか最早、付け根。

最早、股間。

ひいいぃぃいぃッ、と脳内で悲鳴を上げつつ、なんとかテレピンの染み込んだ作業着を肌から離そうとする。

私の作業着はガソリンスタンドでよく見るつなぎタイプなので、身体から生地を遠ざけるのは至難の業である。

しかも左脚の付け根て。

残り時間三分の一を切っていたが、痛みを考えると途方もない時間に感じられた。

もう已むを得ない。

静かに挙手し「トイレにいきたいです」と退室。

個室に入った瞬間つなぎを脱ぎ捨て、ああああああ痛い痛い痛いと口パクで悶絶。

呼吸を整える。

しかし、作業着を脱いで下半身パンツのまま戻る訳にもいかない。

今は一月。

鬼寒い。

いやそうじゃなくて即失格だろ。

ぐるぐると考えを巡らせたのち、腹を決めて作業着を着て戻る。

その後、試験終了時間まで眠ることは無かった。

絵、出来てたから、することもなかったんだけど。

テレピンを筆でかき混ぜながら、最後まで痛みに耐えた。

苦行かな?

そんな"テレピン股間に飛散事件"の末、その時受けた大学にめでたく現役合格しましたとさ。

他の受験生に言ったらぶっ殺されるので心に秘めている思い出。


諸々鑑みるに、私は、己の限界である危険信号が、極めて認知し辛い人間のようである。

電池が完全に切れるまで決して止まらない。

バッテリーが切れると、所構わず爆睡する。

もしライブや宴会の席で私が眠り始めても、あまり気にせず放置して戴いて大丈夫です。

充電中なので、下手に起こすとショートします。

多分。

そんなこと書いてるうちに、夜になっちゃったよ。

今日は灰鼠さん、安藤里奈ちゃんたちと無善寺です。

たくさん寝たので、元気100倍だ。

楽しんできます。