「ルノワールの女性たち」14 パトロン①シャルパンティエ夫妻
1879年、第4回印象派グループ展を開く準備を始めようとした時、大きな問題が発生した。ルノワールがサロン(官展)に応募することを理由に、グループ展への不参加を表明したのである。その背景には、ルノワールの強力な支援者になったシャルパンティエ夫妻の意向があった。
ジョルジュ・シャルパンティエは書籍の廉価版を誕生させた「シャルパンティエ書房」の創業者の息子で、フロベール、ゴンクール兄弟、ドーデ、ユイスマンスの作品を出版した功績をもつ。シャルパンティエ夫妻は「魚釣り」を購入して以来、1870年代を通じてルノワールの最も重要なパトロンであった。
シャルパンティエ夫人が自宅で毎週金曜日に開く集まり(サロン)は、ブルジョアの社交の場として当時もっとも有名だった。ゾラ、ドーデ、フロベール、エドモン・ド・ゴンクールらの小説家や歌手・俳優・音楽家・政治家など、社会の実力者たちが大勢集まり、優雅で、洗練された家具調度品と流行のファッションに身を包んだ婦人たちがいるサロンは、美しく、豊かな雰囲気にあふれていた。そこに招かれるようになったルノワールは、生まれてはじめて、社交的な世界に入り自分と違う階層の人たちと交友することになったのである。そしてこの場所でルノワールはシャルパンティエ夫人の友人たちに紹介され、彼らから絵の注文を受けたのである。それは彼の経済状態を大いに助けたが、シャルパンティエ夫人とその周囲の上流社会の人物たちを描いた彼の作品がもつ雰囲気は、モンマルトルが提供してくれる、より庶民的な楽しみに対する彼の喜びと、明確な対照をなしている。
ルノワールはシャルパンティエ夫人のパーティーに出かけるのを楽しみにしていたが、そこにはジョルジュ・リヴィエールが語っている次のような理由があったのである。
「彼は自分が知的な環境のなかにいると感じていたが、そこでは女主人の機転と優雅さによって傲慢や退屈は影を潜めていた。そこにいると彼は、出会った友人たちの歓迎ぶりによって自分が理解され、励まされていると感じるのだった」
【作品22】「シャルパンティエ夫人と子供たち」1878年 メトロポリタン美術館
ゆったりとした黒いドレスを着たシャルパンティエ夫人が、「日本風の居間」のソファに腰かけている。背景やござを敷いた床は日本風。このころブルジョアたちのあいだでは日本趣味が流行っていた。おそろいの青い服を着た二人の子どもたちは、手前が姉、奥が弟である。当時は男の子でも5歳くらいまでは女の子の恰好をさせるのが習わしだった。この作品は1879年のサロンで絶賛され、ルノワールの成功を確固たるものにした。
プルーストは小説『見出された時』の中で、「ティツィアーノの最高傑作に匹敵する絵画」に驚嘆し、他の誰よりもルノワールの作品は「優雅な室内と美しい装いからかもし出される詩的感興」を表現するすべを心得ていると認めている。
【作品23】「シャルパンティエ夫人」1876~77年 オルセー美術館
ルノワールがヴォラールに語ったところによれば、シャルパンティエ夫人はマリー・アントワネットにいく分似たところがあり、この肖像の中で彼は、彼女の頭の傾きやその超然とした表情によって、それとなく堂々とした雰囲気を与えようと努力している。現在残されている写真から、豪華な調度品に囲まれたシャルパンティエ家の居間の暖炉の上にこの肖像画が飾られていたことがわかる。絵画はブルジョアの邸宅を飾るための重要アイテムのひとつであり、そのことは当然画家も心得ていた。色数を抑え、全体的に粗いタッチで描かれているが、それは、この肖像画が遠くから見られることを前提としているためだろう。
【作品24】「座るジョルジェット・シャルパンティエ」1876年 石橋財団ブリヂストン美術館
ルノワールが描いたシャルパンティエ家の人びとの肖像画は、全部で7点知られているが、この作品が最初の注文とされる。ジョルジェットは、この当時まだ4歳。流行の服でおめかしした彼女は、豪華な家具に囲まれた室内で、大きすぎる大人用の椅子に座っている。このようなくつろいだ姿は、かしこまったモデルを描きとめる伝統的な肖像画の様式からは逸脱しているものの、画家とモデルとの打ち解けた雰囲気を感じさせる。
1878「シャルパンティエ夫人と子どもたち」
1878「シャルパンティエ夫人と子どもたち」部分
1876「シャルパンティエ夫人」オルセー美術館
1876「ジョルジェット・シャルパンティエ」 アーティゾン美術館 東京
1874「魚釣り」
1879頃「ジョルジュ・シャルパンティエ」バーンズ・コレクション フィラデルフィア