2020 出雲一人旅#3「本当の参拝とは?」
私の出雲入り初日は、三連休の最終日だったので、各神社にも観光客がたくさん訪れていました。ほとんどの方が観光なので、楽しそうではありますが、本当の意味での参拝ではありません。
神社は聖地であり、信仰の場ではありますが、経営という意味では、観光客を喜んで受け入れていますので、観光目的で訪れても構いません。しかし、観光のついでに神様からご利益を頂こうと考えるのは、ちょっと難しいです。
神様に会いたい、お願い事を聞いてもらいたいという場合は、それなりの準備や心構えが必要になります。
神様は大きな存在だから、小さなことは気にせず、何でも許してもらえる、わがままを聞いてもらえると、都合よく考えている方もいるかもしれませんが、感覚的にはお墓参りに近いと私は思っています。神様は私たちの遠いご先祖です。もちろん、やさしいご先祖様もいますが、中には厳しいご先祖様もいるのです。
さて、稲田神社で稲田姫と一年振りに再会して、出雲そばでお腹を満たし、出雲國一之宮「熊野大社」に参拝しました。こちらでソサノヲさんにご挨拶して、ご神水をいただいて、改めて出雲に来たことを実感しました。熊野大社で、ふと願ったことが、夕方頃に叶うのですが、ブログで書くようなことでもないので、興味のある方には直接お話します。
そして、松江方面に向かい、数年振りに「神魂神社(かもすじんじゃ)」に参拝しました。観光客が多かったので、落ち着いて参拝するために、こちらでも本殿裏に行きました。お酒を供えて、祝詞を奏上し、神様との濃厚接触で癒やされました。
しばらく立ったままで瞑想したのち、目を開けると、若い男性が少し距離を取って、私の様子をチラチラと見ていました。私がその場から立ち去ると、その若い男性は、私が居た場所に立って、何か感じるのかを確かめているようでした。
おそらく彼には何も感じられなかったと思います。それは、私が特別な存在だから、というわけではありません。しかし、そこに立てば、自動的にスイッチが入って、神様のエネルギーを感じる、ということでもないのです。稲田神社で稲田姫と「対話」したように、神様に語りかけるなど、心を通わせる必要があるのです。
見えないし、分からないから、信じないし、理解しようと努力もしない。でも、ご利益は欲しい。これが、観光目的で神社参拝する人の多くが、考えていることではないでしょうか。
これは丹生川上神社下社の龍神さまに叱られたことでもあります。
出雲の神々も同じことを伝えようとしていることに、だんだんと気付いていくのですが、続きの話は、また次回です。
いつもありがとうございます。
見えない世界を伝える神社ナビゲーター
市口 哲也