「囲碁と武将たち」~今川義元編~
久しぶりのこのコーナー。今回は名前は聞いたことがあるはず、織田信長に有名な桶狭間の戦いで負けて討ち死にしてしまった、今川義元さんを取り上げます。
正直、そろそろ囲碁と武将を結びつけるのが難しくなってきました(笑)囲碁は当時の一般教養であり、色んな武将が囲碁を打っていたことは分かっています。が、なんか面白いエピソードがあったりする人は限られる。
しかもちゃんとした文献とかじゃなくてネットで軽く検索して調べてるだけなので、エピソードがあっても発見できてないことも・・・申し訳ございません(>_<)
さて、気を取り直して、今川義元さん。残念ながら面白囲碁エピソードは発見できませんでしたが、かなり囲碁は奨励していたようです。いわゆる上流階級の遊びであった囲碁を庶民にも広めた功績があるそうです。
今川義元といえばお歯黒付けた公家の格好をしているイメージですが、実際文化的なものへの造詣が深かったようですね。意外にも、和歌は苦手だったようですが・・
そういうお公家さんっぽい大名はだいたい戦国ではポンコツ扱いになってしまいます。しかし義元は決してポンコツでは無かったです。
何せ、義元には「海道一の弓取り」という異名がついているのです。まあ今風に言えば、「静岡らへんのすごく戦いに強い人」ってことです。そんな強い人が信長に負けたから、桶狭間の戦いが戦国一の番狂わせとして名高い戦いになったとも言えます。
例えるなら囲碁で初段の人が五段の人に互先で勝っちゃったくらいの感じかな。
なかなかそういうことは無い・・・と思いきや、かつて私は似たような体験をしたことがあります。
中学生の時に地元の大会に出た時のこと。まだ二段くらいだったと思います。相手のことは知りませんでしたが、後で聞くと県代表経験もある六段くらいの古豪の方。
当然ながらややリードされつつ中盤戦にさしかかり、かなり苦しくなってきた局面。もう相手の要石を取るしかない状況に追い込まれていました。しかし普通のゲタみたいな手ではなかなか取れない形をしていました。
しかし、直感的にこの瞬間に何か取れる手がある!と感じ、必死に長考しました。当時は勝負勘があったんですね(笑)
多分その瞬間だけ高段者並みに全ての手を読み切りました。そしてついに、普通の筋よりちょっと一路ずれているような不思議なところに打てば取れるというのを見つけました。
もし「神の一手」というのがあるならあの瞬間が人生で一番それに近づいた瞬間だと思っています。
相手も予想していなかったのでしょう。そこから相手の長考が始まりましたがどうにも逃げる手はありません。無事要石を取ってその碁を勝つことができました。
まだ弱くて局面の記憶があまりできなかったので、その盤面を再現できないことだけが悔やまれます(^^;)
自分語りになってしまいましたが、そんな番狂わせの体験をしてみたいというそこのあなた!実はですね、静岡県に行くと「今川義元杯」と名の付く囲碁大会があるらしいのです!
なかなか武将の名前が付いた囲碁大会なんてありません。(庶民への囲碁普及に貢献したので名前がついた、ということらしい)しかも番狂わせと言えばの今川義元。あやかるならこの大会しかないでしょう!私は静岡の回し者ではないですがぜひ。
・・とはいえ、今川義元杯だと、番狂わせされる方になってしまうかもしれませんねぇ(^^;)
無事オチ(?)がつきましたが、戦国好きの私としては有名な桶狭間の戦いについてもう少し詳しく書きたいので、次週は桶狭間!