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「宇田川源流」【土曜日のエロ】 イタリアは公共放送で「セクシーな買い物しぐさ」を放送している!

2020.12.04 22:00

「宇田川源流」【土曜日のエロ】 イタリアは公共放送で「セクシーな買い物しぐさ」を放送している!



 今週も土曜日のエロの日になった。あまり面白いニュースもない。まあ、吉川元農水大臣の話が出てきている。

しかし、よくよく考えてみると、アメリカのハンターバイデンなどは、15億ドル(1750億)のわいろを中国政府からもらっている。もちろんその父は今度の大統領になる確率が確実視されているのであるが、しかし、日本の元農水大臣はたった500万円である。この値段の差はあまりにも大きすぎないだろうか。

もちろん頼んでいることの規模も何も違うのであろうし、また中国という国家と、一企業とでは規模が異なるのもよくわかるが、それにしても安いのではないか。そういわれてみれば、河井元法務大臣の買収事件も数十万円の話である。そのように考えれば、日本の政治家がいかに安いのかということがよくわかる。まあ、ハンターバイデンのように、1000億を超えるような値段を払われたら、国でも売ってしまいそうな勢いではないか。

モノの値段というのは、このように時代とその時の応じた内容によって異なるし、また相手の権力などによっても異なるのであろう。しかし、このように単純に横に並べてしまうと、なんとなく物悲しい思いになってくるのではないか。

それは、なにも贈収賄の値段だけではなく、「違法な取引の値段」が全て変わってくるのではないかという気がする。まあ、今菅内閣が着手している携帯電話の値段も、日本はほかの国に比べてあまりにも高すぎるし、タクシーであっても高すぎる。しかし、日本人というのは、なんとなくその値段で「慣れ」てきてしまっているということも事実なのである。

このように「なんとなくこのようなものである」という感覚があって、そこにそのような内容ができてしまっている。たとえば公共放送のNHKであれば、「このような番組はやらない」というようなものはたくさんある。当然にエロい内容のものなどは行うはずがない。それで日本人は慣れてしまっているのである。

しかし、「ところ変われば品変わる」で、公共放送でも精一杯エロいことをしている国があるのである。


イタリアの公共放送、「セクシーな買い物のしぐさ」を指南し批判殺到

イタリアのテレビ番組が「セクシーに買い物をする方法」を紹介し、視聴者や政治家から大きな批判を浴びている。

 公共放送RAIで24日に放送された「Detto Fatto(お安い御用)」には、肌をあらわにした、ハイヒールとショートパンツ姿の女性が登場。スーパーマーケットで高い棚に手を伸ばす時は「背中をしならせて」とアドバイスした。

 さらに、魅力的にトローリーを押す方法や、「そそるように」膝をあげる方法などを披露した。

 女性に対する暴力撤廃の国際デー(11月25日)の前日に放映されたことも、多くの視聴者の批判の的となった。

 RAIのファブリツィオ・サリーニ最高経営責任者(CEO)は番組を一時見合わせ、調査を行うと発表。番組内容は「RAIの公共放送として精神、および編集方針とは関係がない」と強調した。

 「Detto Fatto」で司会を務めるビアンカ・ガッチェーロ氏も「制作チームを代表して」謝罪すると述べ、「今までの人生でもそうしてきたように、二度とこのようなことが起こらないよう気をつける」と話した。

 問題となったコーナーには、バレリーナでポールダンス講師のエミリー・アンゲリッロ氏が登場。ダンスを披露したあと、ハイヒールを履いてスーパーマーケットなどに行くコツを伝授した。

 また、床に落ちたものを拾うときには「片方のひざをもう片方より縮めて屈みます。これ以上、下品にならないように脚は閉じます」とアドバイスした。

 アンゲリッロ氏も放送後、フェイスブックで「侮辱されたと感じた全ての女性に謝罪する」と述べた。

 イタリアのソーシャルメディアでは、番組に対する批判の声があがっている。

 マリアステラ・ゲルミニ元教育相はツイッターで、「ジェンダーの固定観念は中々覆らないが、これを2020年に放送するのか? 今日は11月25日なので女性に対する暴力について話し合おう、でも明日は、お願いだから、一部メディアの女性に対する扱いについて話し合おう」と述べた。

 民主女性会議のセシリア・デリア報道官は、この番組は「固定観念に縛られ、公共放送にふさわしくない」女性のイメージを放送したと批判した。

「サリーニCEOをはじめとするRAI幹部は、この件について回答すべきだ」

 アンドレア・マルテッラ閣外相もこの番組内容を批判し、「指導が必要なのは買い物をする方法ではなく、RAIの歴史と価値を損なわずに公共放送を運営する方法ではないか」と指摘した。

(英語記事 Outcry over Italy TV show's 'sexy shopping' advice)

2020年11月27日 11時50分 BBC News

https://news.livedoor.com/article/detail/19288108/


 まず、記事にあるイタリアの公共放送の話をする前に、一般論として「女性にセクシーさを求めることはジェンダーハラスメントに当たるのか」ということであると思う。

ある意味で「性的な魅力」というものは存在すると思うのであり、女性に「セクシーですね」というのは、「ハラスメント」に当たるのかどうかは価値観の問題があるが、いかがなものであろうか。もちろん、一般的にこれがセクハラに当たるのではないかということが挙げられる。

しかし、逆に女性というのは(男性もそうであるが)性的な魅力が存在し、その性的な魅力をどのように表現するかというようなことが、服のファッションなどに表れているのではないか。

もっと単純に言えば、例えば女性のパーティードレスなどは、なぜ肩を出したり、あるいは胸を強調したりしているのか。また、女性はなぜスカートをはくのか。いずれも自分が性的に魅力があることを無意識のうちに見せているのであり、また見せることによって自分がきれいに見えるというように潜在的な意識があるのではないか。

本当に自分が見せるのが嫌ならばロングスカートや長ズボン(あえてパンツとは言わない)をはいて肌を極力隠すであろうし、また、エステや美容整形が大きな利益を上げることはないはずではないか。

つまり、女性というのは「きれいに見せたい人だけにきれいに見てもらいたい」のであって、それ以外の人に性的な目で見られることはあまり好まないのである。しかし、その「きれいに見られたい人」というのは、女性個人の主観に基づくものであり、男性側からはわからないものなのである。

そのように考えてゆくと、「主観に基づくハラスメントという圧力が許されている」ということはあまりにもおかしなものであるとしか言いようがない。せめて基準の客観化し、女性に対して権利の濫用を言えるような状況にすべきなのではないかと思うのである。


さて、その意味ではイタリアの公共放送はなかなか思い切ったことをやった。私は高く評価する。エロを不快に思う人も国民の中にいるが、エロを歓迎する人もいるのである。そのように考えた場合、「セクシーに見える」というのは、女性にとっても男性にとってもよいことであり、また女性にとっては「魅力的」と映る最高の手段ではないか。

最近では「女性が女性の魅力を発する」ことを「あざとい」などといっているが、それが何が悪いのかよくわからないのである。私には、個人的意見として「セクシーに見られない人や、そのような魅力を感じない人の妬み」としか思えず、そのような行為を気にかけている人は、とても役に立っているのではないか。

そして「公共放送」なのであるから「エロいことが好きな人」「セクシーな女性が好きな人」もすべて国民であり公共放送を見ているのである。最近の「ジャスティス・ハラスメント」によって、あまり声を上げられないだけで、実際にはそのようなことが好きな人も少なくないのではないか。

それだけではなく「男性がセクシーに見えるしぐさ」「デブがセクシーに見えるしぐさ」など様々にやってもらいたいと思うのは私だけなのであろうか。

女性だけをやるのが問題なのであれば、すべての性別に応じてやればよいだけであり、それは「差別」ではないのではないかと思うのである。