悔いなき今を
この言葉は実に怖い。
使い方を誤れば悲観的な人生の入り口に立ちかねない。
しかし、捉え方を間違えなければ 今日を、今を、丁寧に生きるためのヒントとなる。
皆さんは どう使うだろうか?
「一日一生、今日が人生最後の日だと思え。」
この言葉を頭の片隅に置いた者は、すごい剣幕で怒鳴り込む相手を前に「そんなことより美味いものでも食ぉ~。」とストレスを遠ざけることに成功するかもしれない。
また、見るもの全てが愛おしく相手に親切にしたいという欲求が高まったり、持っているものをココに置き、後は誰かが使いたい時に使いやすいように知識や情報や技術を遺伝子と同等の価値として、そっと誰かに手渡すかもしれない。
「2020年最後の〇〇」と聞いてリアルな実感を持つあなた。
「40代最後の〇〇」と聞いてイメージが掴めてくるあなた。
「人生最後の〇〇」と言われないと、そう言った感覚や心境には成れないあなた。
と色々だが、こればかりは何が正解か私にも分からない。
ただ一つ言えることは、このコロナ過で終わった悲惨な一年の中からでも「逆に良かったこと」を見つけ出せた者、見つけ出そうとした者が人生の勝者であることは間違いない。
この感慨深さに満ち溢れた世の中を今までとは違った感覚と視点で見るよう強いてきた恐ろしいウィルスを前に、私たちは肯定することと変化を受け入れることでしか前に進む方法がないということを知った大変 刺激的な一年だった。
ボク、可愛そうだったね、お父さんとお母さんにゆとりが無かったね。
1年生も大変だったね、入学早々。
大学生も将来が不安で大変だね。
新社会人も不景気で全然契約取れなかったね。
リーマンショックを経験していない20代も驚いちゃったね。
でも不測の事態を経験してきた30代以降は学習能力を発揮すべき一年だったよね。
一定のサイクルで、震災や不景気や金融破綻は有り得るからね。
だから大人は、子供たちに良いところ見せたかったよね。
大丈夫、来年も良いところを見せるチャンスはあると思うから。
偉業を成し遂げるとか、夢を叶えるとか、成功するとか。
そういうのは、エネルギーがある人がエネルギーの高い時に発信すれば良い。
でも交通事故に遭わず、寿命を全うして生きるという普通のことを のほほん と送ることだって、きっとその中に「昨日のあいつのバイバイが嬉しかった」というマニアックな幸せは どこにも落ちていて、それを拾って喜んで、誰かにもやってみたいという細やかな営みの尊さに気付くことの方が遥かに人間らしい。
悔いなき今を。
生後数ヵ月の我が子が寝落ちする瞬間に立ち会える日が増え父は嬉しい。
「君のとっての12月29日はココで終わりか、目を開けたら12月30日になっているね。」
そんな快楽が私に残っているとは。。
やることは、毎日やっている。
世の中がどうなろうと、そういう男には さほど関係がない。