金売り吉次の墓
http://honmokujack.blog.jp/archives/20641234.html 【金売り吉次の墓(伝説)(栃木県下都賀郡壬生町上稲葉)】 より
金売り吉次は、鎌倉時代の始めに源義経に仕えた金売り ( 砂金などの売買を商売とした者 ) です。
義経は平家を壇ノ浦に滅ぼした後、兄頼朝と不仲 ( ふなか ) になり、奥州平泉へ逃れました。
吉次は義経の伴 ( とも ) をし、この稲葉の地まで逃れてきましたが、病にたおれこの地で生涯を終えました。
里人たちにより、吉次の墓とともに吉次の守護仏である観音像を祀ったお堂 ( ここより約 20m 東に現存 ) が建てられたといわれています。
また、江戸時代の「奥の細道」で知られる松尾芭蕉に随行した曽良の日記に、
「壬生ヨリ楡木ヘニリミフヨリ半道ハカリ行テ吉次カ塚右ノ方 20間ハカリ畠中ニ有」と記されています。
(案内板より)
〇 金売り吉次
金売吉次(かねうりきちじ)とは平安時代末期の商人。吉次信高、橘次末春とも称される。『平治物語』『平家物語』『義経記』『源平盛衰記』などに登場する伝説的人物。奥州で産出される金を京で商う事を生業としたとされ、源義経が奥州藤原氏を頼って奥州平泉に下るのを手助けしたとされる。
生涯
『平治物語』では「奥州の金商人吉次」、『平家物語』では「三条の橘次と云し金商人」、『源平盛衰記』では「五条の橘次末春と云金商人」、『義経記』では「三条の大福長者」で「吉次信高」としている。『平治物語』によると、義経の郎党の堀景光の前身が、この金売吉次であるともいう。またこの他に、炭焼から長者になったという炭焼藤太と同一人物であるという伝説もある。
吉次は都へ上り、鞍馬寺を参詣し源義経と出会う。『平治物語』では、義経から奥州への案内を依頼される一方、『義経記』では吉次から話を持ちかけている。吉次は義経と共に奥州へ向かう。下総国で義経と行動を別にするが、陸奥国で再会する。吉次の取り計らいにより、義経は藤原秀衡と面会する。吉次は多くの引出物と砂金を賜り、また京へ上ったという。
実際に「吉次」なる人物が実在したかどうかは、史料的に吉次の存在を裏付ける事が不可能であるため、彼の存在は伝説の域を出ず、まったくもって不明である。しかし当時の東北地方が金を産出し、それを京で取引していたのは明らかになっている。吉次なる人物のように金を商っている奥州からやって来た商人がいた事は想像に難くない。したがって現在では、こうした商人の群像の集合体が「金売吉次」なる人物像として成り立ったのではないかと考えられる事が多い。 また、岩手県宮古市田老地区の乙部には、彼の弟とされる吉内(きつない)の子孫である吉内家(よしうちけ)がある。
行商の途中、強盗藤沢太郎入道に襲われ殺害されたとされる。その際、革籠を奪われたことに由来し、付近は革籠原と呼ばれた。福島県白河市白坂皮籠の八幡神社に金売吉次兄弟のものと伝えられる墓がある。また、栃木県壬生町稲葉にも吉次の墓があり、こちらは義経が頼朝と不仲になり奥州へ逃亡する際に吉次が同行し、当地で病死したとされる。
https://japanmystery.com/fukusima/kitijihaka.html 【金売吉次兄弟の墓】 より
『平家物語』などにもその名前が記されている金売吉次であるが、実在の人物というよりもむしろ“当時の奥州から京都へ砂金を売りさばきに来た商人の集合体”のような位置づけが定着しているようである。しかし伝承の世界では、源義経を奥州藤原氏と引き合わせたキーパーソンとして重要な人物である。
白河市にある金売吉次の墓は、他の兄弟と合わせて3基の墓が設けられている。中央にある大きいのが吉次のものであり、左が吉内、右が吉六のものと伝えられている。地元の伝承によると、承安4年(1174年)に吉次兄弟は砂金の交易の途上、この地で群盗に襲われて殺されたとされる。ただこの年に義経は元服して奥州へ向かっており、伝承が正しければ吉次は義経を平泉に送り届けた直後に死んでいることになる。そして年代的な整合性を維持するためか、伝承では義経が後年にこの地を訪れて吉次兄弟の霊を慰め、近くの八幡神社に合祀したという後日談も残されている。
また殺した群盗の首領は藤沢太郎入道とされ、この時に砂金の入れていた革の葛籠を捨て置いたので、この土地の名を“皮籠”としたという地名由来の話も伝わる。だが、藤沢入道は、他の伝承では義経一行の奥州行きの道中で大勢の手下を率いて盗みを働こうとして、討ち果たされている。これらの伝承内容は、物語として流布したものが付け加えられながら形成されたものであると推測される。
吉次兄弟の墓である宝篋印塔は室町時代頃に造られたとされるが、実際には何度も積み直されており、その時に違う石塔の部分が使われていたりする。しかし地元の人々は今なお「吉次様」と呼び習わして、大切に保存している。
<用語解説>
◆金売吉次
『平家物語』では“橘次”とも表記され、奥州の商人ではなく、京都に店を構える富豪のような書かれ方もされている。また長者伝説の主人公である炭焼藤太と同一人物としている場合もある。ただ上に書いたように、“金売吉次”は特定の人物ではなく、当時奥州と京都を行き来して砂金を取引していた複数の商人をモデルとしていると考えた方が合理的である。
◆藤沢太郎入道
『義経記』に登場する盗賊。近江国の鏡の里で元服したばかりの義経を、手下100名と共に急襲するが返り討ちに遭ったとされる。この藤沢入道自体も架空の人物であるが、さらにそれらが統合されて出来たキャラクターが、大盗賊・熊坂長範であるとされる。
インターネット検索では金売り吉次の墓に関する芭蕉の関心をうかがわせる記事が見当たりません。 旅の目的の一つとされる義経の鎮魂。 曽良しか記事にとどめていないのはなぜでしょう?「小山ノヤシキ」に関しても 芭蕉は触れていません。
https://lifeskills.amebaownd.com/posts/10553086 【義経公鎮魂紀行としての 「おくの細道」】より
https://lifeskills.amebaownd.com/posts/10553350 【奥の細道・鎮魂の旅】