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中村鏡とクック25cm望遠鏡

火星の運河

2020.12.05 11:32

1941年(昭和16)10月20日の火星(木辺成麿氏撮影)

 火星の運河については、19世紀後半から20世紀前半にかけて、天文学界のみならず一般大衆にもたいへん興味を持たれた問題でした。

 1877年イタリアの天文学者ジョバンニ・スキアパレッリが、火星の「溝」と記入したイタリア語の(canali)が、「運河」(canals)と英訳されたことが事の発端と言われています。それから、プロ・アマを問わず、火星には植物や灌漑設備を建設することができる高等生物が存在するなど、想像を膨らませる騒ぎになったことは皆様もご存知のところです。

 日本の天文学界でも、その影響がかなりあったようです。

 1934年(昭和9)12月10日に発行された「THE MILKY WAY」(天文研究会・天文同好会大阪南支部会報、伊達英太郎氏編纂)に、木辺成麿氏(当時花山天文台員)は、火星運河問題について投稿しています。

『運河問題については、当然一言せねばならないが、これは賛否は言えない。かの「バーナード」が「天気の最良の時に見える実に微細な様子は、誰も絵にかけない」と言っているのが真に近いかと思っている。

 「ローウェル」によると、極冠が解けてその水?が次第に赤道方面に及んで、運河の色が変わる促進波をさえ認めているのである。こんなところは素直に聞くだけ聞けばよいので、そう思い込んではならないだろう。観測者はすべて出来るだけ白紙の立場が大切なのだから・・・・・・。』

 木辺氏の、観測者としての透徹した眼差しが表した、名文だと私は思いました。


 今日の写真は、1941年(昭和16)10月20日に、木辺成麿氏が撮影した火星です。口径310mm焦点距離1240mmカセ・ニュートン反射鏡の直焦点撮影像です。乾板上の火星は、直径約1mmです。乾板をi Phoneで撮影し、反転処理と画像処理をしました。乾板上では何も見えませんでしたが、画像処理をしたところ、南極冠や火星面上の模様が分かるようになりました。木辺氏の反射鏡の優秀さがよく分かりました。

参考文献:THE MILKY WAY,伊達英太郎氏編纂,天文研究会・天文同好会大阪南支部,1934

火星の運河,Wikipedia,2020.12.5閲覧