なぜ、北辰一刀流を伝えるのか?
あなたは、真剣になって何かに取り組んだときが、ありましたか。
そしてそれは、どのような結果になったでしょうか。
あなたは、その結果を、どのように受け止めましたか。
真剣になって物事を行えば、結果が良かったときでも、悪かったときでも、心は満足を感じるものです。
結果とは、努力の成果のことです。結果に満足が出来ないと思うときは、努力が足りなかったことを自分が知っているか、努力の以上を成果を望んでいるからです。
努力以上の成果を願うことは愚かなことで、物笑いの種ですね。しかし、努力が足りなかったことを知ることは、重要なことです。努力をやり直せば、成功の可能性があるからです。
どうして努力が足りなかったのかを、過去の偉人たちは、それは、【真剣】という気持ちが十分でなかったからと言っています。日本では、「真剣になれば、人間に出来ないことはない」とも言われています。【真剣】という気持ちを身に付けることは、後悔のない人生を生きる上での、最重要課題なのです。それで、その【真剣】を学ぶために、サムライは剣術の稽古をしました。
なぜ剣術かというと、剣術以外の武術、たとえば、柔道、空手、合気道、弓道、槍、薙刀などは、一瞬で死に至ることはないので、稽古するときの気持ちに、甘えが入るからです。
死の恐怖を味わうことは、とても重要な体験です。死は、人間の最大の恐怖ですから、その恐怖を知れば、その他に怖いものは、なくなります。つまり、死の恐怖を克服するような、とても高いテンションを身に着けてしまえば、後は何も怖いものがなくなるのです。怖いもののない人生、何と楽しい人生ではないでしょうか。
しかし、実際に、死の恐怖を味わってみることは、危険なことです。人生が終わってしまうこともありますからね。そこで、剣術の重要性が、出てくるわけです。剣術だけが、稽古の中での臨死体験が可能だからです。
剣の操作では、一瞬でも迷えば、自分が切られます。切られるということは、即時に死ぬことを意味しています。それで、剣術の稽古には、実は、死の恐怖を乗り越える訓練が、凝縮されているのでした。
他の武術は、一度負けたくらいでは死にません。何度か立ち上がることが出来ます。それで、剣術以外の武道では、真剣さにおいて、剣術には敵わないのです。剣術は、武道の王者という価値を持っているといえるでしょう。
われわれは、自分の人生を最大に活かすために、何かを学ぼうとしますが、本当に学ぶ価値のあるものは、多くはありません。数ある武道の中でも、正しい伝統があって、理論的な技術と、心と精神の深い内容が伝わっているのは、世界中でも、北辰一刀流だけしかないと思います。だから私は、皆さんに伝えて、残して行きたいと思っているのです。(成胤)