山岳信仰とは何?神道や仏教との関わりや、有名な霊峰をご紹介!
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山岳信仰とは何かご存じでしょうか。知らないという方も、大地にどっしりと根付き、たくさんの恵みを与えてくれる山に大いなる力を感じたことはあるかもしれません。山を神と見なし、崇めてきた日本古来の信仰「山岳信仰」と仏教との関係、有名な霊峰についてご紹介します。
山岳信仰とは、山に神々が宿るとし崇拝する信仰のことです。国土の7割以上を山地が占める日本に住む人々にとって、山は水や木、動物と言った生きるために大切な物を届けてくれる反面、火山噴火や土砂崩れなどといった恐ろしい災害ももたらす、まさに神のような存在だったのです。
日本の山岳信仰は仏教とも結びつき、独自の進化を遂げていきました。山岳信仰がどのように始まったのか、仏教や人々の生活とどのような関係があるのかお話します。
山岳信仰の発達
まずは、山岳信仰がどのように生まれ、どのように仏教と結びついたかをご紹介します。
土着信仰との関わり
日本独自の信仰である古代神道では、自然を尊び、また恐れる気持ちを体現するものとして、あらゆるものに神が宿ると考えていました。神々が宿る対象を「依代(よりしろ)」と言い、依代を持つ領域を「神奈備(かんなび)」と名付けました。山もその対象とされ、祭祀が行われていました。山は神が宿る、もしくは降り立つ場所であり、この世とあの世の境目とも考えられていたのです。
山岳信仰の始祖は誰?
古代神道は土着の民間信仰のようなもので、現在の神道や仏教のように体系立てられてはいませんでした。山岳信仰を確立させ、開祖となったと言われているのが飛鳥時代の呪術者、役小角(えんのおづぬ)です。役小角は日本各地の霊峰で修行を積み、修験道(山岳信仰)の基礎を築いたと言われています。
修験道では霊山にこもり、厳しい修行を通じて神秘的な力を得ることを目指します。役小角も藤原鎌足の病気を治したり、鬼を弟子とし、言う事を聞かない時には呪いで鬼を縛ったりしていたという伝説が残されています。この伝説からも、山が人知を超えた力を授けてくれる神秘的な存在であると考えられていたことが分かります。
仏教との融合
15世紀、室町時代になると、役小角を開祖とした修験道は教団化され、「山伏」や「法印」と呼ばれる修験者が山と里を行き来するようになりました。日本古来の天狗の伝説とこの山伏の姿が結びつき、現在の天狗信仰になったとも言われています。
修験道は密教(真言宗・天台宗)の教義を取り入れ、仏教の土着化を図りました。ここから神仏習合(神道と仏教の融合)が進み、平安時代中期以降には神と仏を一体のものと考える「本地垂迹(ほんちすいじゃく)」の思想が生まれました。土着の神は仏が姿を変えて人々の前に現れた存在「権現」と考えられ、仏と結びつきました。
この考え方によって修験道は体系化され、日本の山岳信仰に大きな影響を及ぼしました。明治初期に神仏分離が進められ、神と仏、神社と寺は完全に分離されましたが、今でもこの神仏を同体の物とし、山を崇める思想は残されています。
仏教自体も山を神聖視する宗教だった?
このように山岳信仰は仏教と結びつき、現在に息づいています。そして仏教自体も山と深い関係がある宗教です。仏教と山との関わりについてご紹介しましょう。
仏壇は「山」がモデル?
どうして仏教では仏壇を拝むのか、考えたことはあるでしょうか。実は仏壇は、元々は「山」を模したものなのです。仏教において世界の中心であり、神々の世界に最も近い場所は「須弥山(しゅみせん)」と呼ばれる山です。
この須弥山を模し、寺院で仏を祀るために作られた壇のようなものが、須弥壇(仏壇)です。現在では寺院にあるものを須弥壇、家にあるものを仏壇というように区別されて呼ばれています。仏壇に手を合わせるということは、すなわち山に手を合わせることでもあるのです。
寺院の名前につく「〇〇山」とは?
先ほどご紹介した須弥山の存在からか、真言宗の開祖である空海が高野山を、天台宗の開祖である最澄が比叡山を開き、山深くに寺院を建立するなど、山は仏道の修行の場としても大切にされていました。
寺院の名前は「〇〇山▲▲寺」というように山の名前(山号)がつきます。また、寺院の門のことを「山門」と言います。そこからも仏教における山への畏敬の念が感じられます。たとえ平地にあっても寺院は山のように奥深く厳しい場所、仏道の修行を行う場所と考えられているのです。
崖ギリギリのところに建てられたお寺の秘密
京都の清水寺を代表として、日本では山の崖ギリギリの場所に建てられた寺院が多く見られます。このような建築様式を「懸造り(かけづくり)」と言います。仏や観音様を山や崖の側に安置するという思想は山岳信仰から来ていると考えられています。
懸造りは日本独特の建築様式で、このような建て方が生まれたのは山地の多い日本において土地を有効活用しようという考えもあったのではないかと言われています。寺社の他、展望台や茶室、また個人宅でも懸造りは応用されています。山岳信仰は日本の建築にも影響を与えているのです。
有名な霊山
日本は世界有数の山の国であり、日本中に山岳信仰の対象となる霊峰を見ることができます。その中から有名な物をいくつかご紹介します。
出羽三山
出羽三山は山形県にある羽黒山、湯殿山、月山の総称で、権現を祀る修験道の山とされていました。神仏分離後は羽黒山は稲倉魂命、湯殿山は大山祇命、大国主命、少彦名命の三神、月山は月読命を祀る神山とされています。
羽黒山は標高436m、出羽神社を有しています。仏教との結びつきが強く残された神社で、国宝にも指定された五重塔を見ることもできます。
湯殿山は標高1500m、俗世とは切り離された神域とされ、湯殿山神社本宮では靴を脱いで裸足になり、お祓いを受けてからでないとお参りをすることはできません。
月山は標高1984m、頂上には月山神社があります。頂上からの雄大な眺めや、希少な高山植物を楽しむこともできます。
羽黒山で心清め、湯殿山で心を癒やし、月山でパワーを充電すると良いとも言われ、パワースポットとしても人気のある場所です。
富士山
日本で最も高い山、富士山(標高3776m)は、世界遺産にも選ばれた霊峰です。その美しさだけではなく、時に噴火して人々の生活を脅かすこともある富士山は、古来神の山として敬われ、畏れられていました。
平安時代後期より噴火活動は沈静化され、修験道の修行の場となりました。12世紀後半、本地垂迹の後に末代上人が頂上に大日寺を築き、富士登山信仰の素地を作りました。大日寺はほどなく退廃しましたが、室町時代には教団化した修験者による富士登山が盛んになり、いくつもの祠堂が建立されました。現在でも麓には浅間神社の総本宮である浅間大社があり、山岳信仰の息吹を感じることができます。
季節ごとに様々な表情を見せてくれる美しい富士山は、パワースポットとして、観光地として、国内外問わず多くの登山者を呼び集めています。
日光山
日光山は栃木県にある男体山、女峰山、太郎山の総称で、日光市にある輪山寺の山号でもあります。766年に勝道上人が開山した後、神仏習合の時代に修験者たちによって山岳信仰の聖地とされるようになりました。
男体山が父神、女峰山が母神、太郎山が子神を表し、三山で家族形式をなしていることも、神仏習合を違和感なく受け入れる要素となったと言われています。
男体山は標高2368m、女峰山は標高2483m、太郎山は標高2368mで、それぞれに神社を有しています。また輪王寺の三仏堂には三山の姿が仏様の姿として祀られており、神仏習合の名残を感じることができます。
山岳信仰についてまとめ
山岳信仰についてお話してきました。山岳信仰の対象となる霊峰は、現代ではパワースポットとして人気を集めています。海外からの観光客も増え、インバウンドの拡大にも貢献しています。また、山岳信仰の思想は自然環境保護にもつながっています。山への畏敬の念が自然や生命を貴び、自然保護の重要性に気が付くきっかけとなっているのです。
山は私たちにたくさんの恵みと、時に恐ろしい災害を引き起こす神のような存在です。そんな山への畏敬の念は、古代から現代へ、形を変えて私たちに受け継がれているのです。